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●泣く子も黙る忌兵隊
 ふしくれだった大樹が目の前に迫ってくる。
 その表皮に生じている苔の緑色まで、鮮明に!
 近い! 近すぎる!
 間に合わない! 本能的に『ネリネ・アランドロン』はそう感じた。
 この速度でエスバイロごと木に正面衝突すれば、マシンは大爆発し五体もバラバラ、あわれ10歳の幼さにしてネリネは、戦死者リストの仲間入りだ。
「ふえーん!」
 彼女の絶叫が口からほとばしり出た。そのとき、
「僕に任せてっ!」
 天の声? いや、それはアニマ『コラプター』の声だ。続いて感じた強烈な遠心力は、瞬時にしてエスバイロの主導権を奪ったコラプター が、自機を急旋回させたことによるものだった!
 肝が冷える。鼻先が木の皮に触れそうなそのギリギリで、ネリネは激突を回避したことを知った。
 マシンは大木の目の前でほぼ90度に曲がるという荒技を示し、激突の悲劇から逃れたのである。
「ふえーん!」
 それでもネリネは悲鳴をあげつづけた。かわして機体がつっこんだその場所に、大きな蜂の巣がぶら下がっていたからだ。
「ま……また蜂さん! み……密林……怖いよう……!」
 今度は蜂から逃げるべく、ネリネはアクセルをフルスロットルで回す。その背後を銃弾がかすめていった。時代がかかったマスケット銃から放たれたものゆえ狙いは不正確とはいえ、ネリネは鉛玉のことなどまったく忘れているようだ。
 正直、いまの彼女にとっては、空賊団バッカニアより蜂のほうがよほど怖かった!
 傭兵部隊【忌兵隊】は、空賊団の奇襲を受けたのだ。

 最初は穏やかなものだった。
「さてと……皆さん、これより僕ら忌兵隊は探検、及びバッカニアからの椰子の防衛を行います」
 リーダー『ギリュベール・デストラル』が呼びかける。忌兵隊のメンバーは、彼以下、『フリアエ=アレンシェル』、『サザーキア・コッペリアル』、『ベイバル=ゴレインダー』、『木島 狂次』、そしてネリネの総勢6名、それぞれの乗機にまたがり一丸となって行動を開始した。
「冒険とかすっげーわくわくするなぁ!!」
 先頭をゆく狂次は、興奮を抑えられない様子だ。併走するサザーキアにしきりと話しかけている。
 ところがサザーキアといえば、
「クックック……世界が! 宇宙が! すべてがこの超絶鬼可愛いアイドルのボク!  そう! サザーキアを呼んでるのさ!!」
 などと言うばかりである。
「しかもバッカニアのやつらとの遭遇戦もあり得るって話じゃねぇか! マジかよ!」
「バッカニアの人も他の探索者も皆ボクの密林ライブの虜にしてあげるのさ!!  流石ボク!! 鬼天才!」
 ……まるで会話がかみあっていない。
「やつらが出てきたらよ、こう、全力のストレートを叩き込んで、アッパーでKOだ。くー!」
「新曲から披露したいところだけど、やはりここは鬼定番! 大ヒットしたスタンダードナンバーではじめるべきかな!!」
 ……やっぱり、かみあっていない。二人のアニマ『錦河 愛』と『クレンバラン』は、それぞれの後部座席から顔を見合わせるばかりだ。
「総員、各自見つけた物やバッカニアなどは報告すること……いいわね?」
 と言うのはフリアエだ。彼女は中衛位置にギリュベールと陣取り、四方に目を光らせている。
 なお今回、エスバイロ操縦が不得手なギリュベールにかわって、指揮はフリアエが取る手筈になっていた。大型飛空艇を指揮するのがギリュベールの本業、ゆえに適所適材の布陣である。
 フリアエ、ギリュベールのやや後方を往くのがネリネ、そして殿(しんがり)はベイバルが務めている。
「……遂に始まったか……任務は確実に遂行する」
 寡黙な彼は最初にぽつりとつぶやき、以後は口をきかなかった。アニマの『モカにゃん』もそのあたりはよくわかっているので、ちんまりと後部座席に収まって、ただ時の来るのを待っている。
 密林探検は、トレジャー・アイランド探索作戦のなかでも最も広いパートを担当している。なにせこの浮島はほとんどが密林なのだ。行けども行けども緑色、それも濃い緑色、湿気だらけの空気は薄甘く、水蒸気の中を歩いているような気分になる。鳥らしき鳴き声がときどき聞こえるのも、最初は物珍しかったがすぐに飽きてしまった。
 三時間もこれが続いた頃だろうか。狂次は機上で大欠伸を漏らしていた。
「さすがにボルテージが下がってきたぜ……なんだ、バッカニアは昼寝でもしてるのか。それとも俺たち同様、うろうろジャングルに迷っているのかよ……」
 まさかそれが呼び声になったわけでもあるまいが、
「ミラーボール!?」
 アイドルのサザーキアが、そう誤解してしまっても無理はないところだ。突然彼らの中央で、閃光弾が炸裂したのである。密林の茂みがとつぜん真っ白な光で満たされる。位置はちょうど、ギリュベールとネリネの中間地点真下のようだった。
「トラップです!」
 ギリュベールが叫ぶ。
「散会して! 固まっていると狙い撃ちになるわ!」
 まだ視界は白一色だがフリアエは声を上げていた。
「……バッカニア」
 後方のベイバルは比較的ダメージが少ない。チカチカする目で、彼は後方、さらに前方、側方から、次々と空賊のごてごてしたエスバイロが姿を見せるのを察知した。同時に甲高い雄叫びが聞こえる!
 真っ先に飛び出したモヒカン頭の盗賊は、ぎゃっと言って転がり落ちた。
「……これが俺の任務…俺の戦いだ。撃てば当てる……」
 いち早くベイバルが射殺したものである。けれども、
「み、密林ライブなのさ! 曲は……曲は……あ、音楽ながさなきゃ!!」
「っておい!! いきなりすぎんだろ! チクショー! どこだどこだ!」
 サザーキアと狂次は行動が乱れ、とにかく密集だけは避けようとエスバイロを急発進して姿を消した。ネリネは慌てすぎて爆発的な初速で発進し、そして……大木に激突しそうになったのである!

 けれど彼らは泣く子も黙る忌兵隊、最初の混乱が去ると、たちまち統制を取り戻していた。
「蜂はもう追っ払った! 落ち着けって!」
 ぐい、と横合いから襟首を掴まれネリネははっとした。狂次だ。ナックルを外した手で自分をつかまえてくれている。
「連中の用意してた罠はあの目くらましだけだったみてぇだ! こっから一発逆転といこうぜっ!」
 ネリネをその場に置いて、狂次は爆音を立てて舞い戻っていく。
 ガツン! いきなり体当たりするようにして、空賊の顔面を殴り抜けた。空賊はもんどりうってエスバイロから墜ち、その機体がすぐに後を追った。爆発音!
 そして騒々しい、いや、本人の言葉を借りれば『鬼激しく鬼美しい』メロディーがガンガンになりながらネリネを追い抜いていった。
「クックック……! 閃光弾のオープニング、一風変わった歓迎だったね!! さあここから真打ちの登場さ! 最前列でこのライブを楽しめる光栄に浴すがいい!! 空賊の諸君!!」
 ケモモの耳を両方突き立てて、サザーキアが戻ってきたのだ。
 その向こうで突然、銃撃を受けて転がり落ちた空賊があった。きっとベイバルが斃したものだろう。
 ネリネも彼らを追い、すぐにギリュベール、フリアエとの合流を果たした。
「本部との連絡は取れました」
 ギリュベールは涼やかに言った。
「ですが援軍要請はしていません。見たところ空賊はこちらの三倍程度、これなら」
 にこ、と彼は笑んで、
「簡単に勝てるでしょう」
 その言葉通り、間もなく忌兵隊は、バッカニアの過半を討ち取り、残りを潰走させたのである。



 忌兵隊が向かったのとは反対方面を、五機のエスバイロが進んでいる。
 といってもそのうち一機は、限界高度に近い高度にあった。『simple(シンプル)』機である。
「椰子の木分布状況を一望できるかと思ったけど……」
「これほど背の高い木が多くては、ねえ」
 アニマ『MNA (マニア) 』が返事した。密林は濃く厚いばかりか、背の高い木があちこち、にょきにょきと飛び出しているため、とてもではないが一望とはいかないのだった。
 比較的密集隊列をとっていた忌兵隊と違い、こちらの五人は距離を取っていた。
 それゆえだろう、空賊を発見したとき、『羽奈瀬 リン』は単身だったのである。
 十人を超える集団だった。バッカニアらしく装備品は貧相だが、半身を入れ墨で覆っていたり、リベットで棘だらけになったエスバイロにまたがっていたりと見た目は凶暴そのもの、とてもではないが、茶を挟んで冷静な話し合いができそうな連中には見えない。
 察知されなかったのは僥倖だった。慌てずエスバイロの高度を下げ茂みに身を屈めると、囁き声でリンは告げた。
「これはいけない……」
(だよね。あのままだと、空賊は採取組の待機地点にたどり着くわ)
 プライベートモードで『スピカ』が応じた。半分以上透明であろうと、彼女の瞳のルビーのような朱さは健在だ。
「だったら、まずは採取組から敵を引き離すべきでしょう」
 わずか12歳ながらリンは羽奈瀬家の当主、積極果断すべき状況にはこれまで何度も遭遇してきた。今回も、その一つだと理解している。
(引き離す、ってどうやって……)
 スピカは目を丸くした。リンの意図が理解できたのだ。
 あえて大きな音を立てエンジンをふかすと、リンは空賊らの目の前を堂々と横切った。高速で!
「背後はスピカにまかせるよ」
 リン自身は操縦に集中するということだろう。
(またこのお坊ちゃまはこんな無茶を!)
 スピカは声を上げるも、心の底ではリンと通じている。だからすぐにプライベートモードからオープンモードに移行し、白い髪を解いて激しくなびかせた。
「8時の方向から敵2人、銃持ってる!」
 スピカが叫ぶと、リンは無言でエスバイロに体重をかけ予想された射撃をかわした。しかしアクセルは緩めない。むしろ、さらに速度を増していく! そうして木々の間を縫って飛ぶのだ。なんという綱渡り! 一歩間違えば木に正面衝突するというのに!
「リン……もしかしてスピード狂の気がない?」
「これでも正確かつ安全運転を心がけてるんだけど」
「絶対うそーっ!!」
 ぱぱぱっ、とマシンガンの銃弾が、彼と彼女の真横をかすめていった。
 リン機が凄まじい速度で飛び込んで来たことにより、たちまち『ヴァニラビット・レプス』は事情を察した。
「空賊を引き連れてきてくれたってわけ。バッカニア空賊団……相手にとって不足なしね!」
 機種を巡らせ来たるものを待ち受ける。トレードマークの大斧を、ぐるり回転させて構え直した。その姿はまるで、馬上で構える鎧武者、しかし昔日の武者とは異なりヴァニラに甲冑はない。ただし彼女にはアニマ、心強い『EST-EX (イースター)』が共にある!
「勝負よ、バッカニア! この島は渡さない!」
 威風堂々立ち向かい、突進してくる相手と刃を交える。
「女かよ!」
 敵は、毛深く類人猿じみた面相の大男だ。腹立たしいことにその得物も鉞(まさかり)である。
「そうよ! だから力では劣るかもしれない!」
 火花が散った。だが両腕を上げてのけぞったのはヴァニラだ。男は呵々大笑して、
「その通りみてぇだな!」
 プライベートモードのイースターは、ヴァニラの劣勢を見ても狼狽しなかった。なぜってヴァニラのことを、世界で一番信頼しているのは彼女だから。このくらいの無茶無謀、ヴァニラなら日常茶飯事もいいところだ。
 だから、乗り切れる!
「あの敵、右の踏ん張りが弱いと見ました!」
 絶叫に近いイースターの声に、ほとんど反射的にヴァニラは応じ、左側方から円弧を描く水平薙ぎを見舞った!
「さぁ、魅せるわよ!」
「迅いッ!」
 力勝ちできると奢りがでたか、男は一瞬反応が遅れた。しかもイースターの見立て通り、右の踏ん張りが利かないコンディションのようでガードに遊びが出ている。
 ジャン! 激しい音は男の鉞が、吹き飛んで硬い岩に落ちた音だ。
 空賊自身はぎゃっと一声、血煙を上げてどうとエスバイロから落ちた。まだ息はあるようだが白目を剥いている。
「やるな! 鮮やかだ!」
 ヴァニラの隣をかすめて『遊星』は飛んだ。
 彼のマシンに同乗するは『アキ』、きりり凜とした表情で告げる。
「忘れないで遊星、味方の方針は『各個撃破』よ」
「ああ、単騎で突っ込むなってことだろう」
「わかってるならいいの。ま、遊星が無茶して酷い目に遭うのは勝手だけど、味方が窮地におちいるのは嫌だから」
「ちぇ、素直に俺のことが心配だから、って言えよ。可愛くないな」
「可愛くなくて結構……あ、木がいい具合で茂ってる! 利用しない手はないわ!」
「了解っ!」
 じゃれ合いのような口論をする遊星とアキだが、互いのコンビネーションは完璧だ。
 すぐに遊星は林に潜り、そのの狭い空間から細かなマジックミサイルを乱射した。しかもアキの導きでショートカットルートを取り、空賊の背後に回ってこれを行ったのだ。
 これはたまらない。二刀流の剣士を気取っていた空賊は、背中を嫌と言うほど焼かれエスバイロから転がり落ちた。
「よし次!」
 だが一人撃破したくらいで遊星は満足しない。さらに次の標的を探す。もちろん今度も背後を取るつもりだ。こうやってねちっこく攻めて、嫌悪感を与えながら追いつめるのが狙いである。多勢に無勢を跳ね返すには、これくらいの工夫は当然といえよう。
 このとき『アリシア・ストウフォース』も戦闘に加わっていたが、彼女は戦闘に邁進する一方で、もう少し広い視野を確保していた。
 そのためだろうか。
「見えたッ!」
 いち早くアリシアは見つけたのである。
「巨大椰子だーッ!」
 椰子の巨木が密林の中、ぽつんと生えているのを見つけたのだった。その根元には少なく見積もって三人の空賊がいたが、戦闘に突入し性格を一変させたいまのアリシアに、躊躇や恐れという感情はなかった。
「空族団がいるってェ? 関係ない関係ないッ! ワタシの歩みは止められないッ!」
「え!? なにする気!?」
 泡を食ったのはアニマの『ラビッツ』だ。当然アリシアはターンして、仲間を呼びに戻ると思っていたのである。ところが、
「よっしゃッ! 行くよーッ!」
「え、ちょっと待ってー!?」
 ますます速度を増して止まらない! まるで火の玉! 彼女はエスバイロごと、正面の空賊エスバイロに体当たりをかましたのだ!
「ひーっ!」
 悲鳴を上げたのは空賊だろうかラビッツだろうか、それともまさか、その両方だろうか!
 だが運はアリシアに味方した。空賊の機体はゲームの駒みたいに吹き飛んでしまい、残る23機の空賊を慌てふためかせたのだ。
 しかし2対1、他の味方はまだ見えない。どうなるかとラビッツはヒヤヒヤするも……ここで空から轟くのは、
「椰子汁ブシャー―!」
 という謎の咆吼! これとともに一人の空賊の頭にその頭上から、岩石のような椰子が落ちてきたのだ!
 あわれスキンヘッドの族だったから、その一撃はよほどこたえたのだろう。一撃で昏倒してそのまま、コントロールを失ったエスバイロとともに地に落ちた。
「ウチはsimple。アナタは?」
 キラッ、と目を輝かせ降りてきたのは、シンプルを乗せたエスバイロだった。
「まさに、simple is bestって展開になったね!」
 と笑うシンプルがこの椰子を落としたのは言うまでもない。なお「ブシャー―!」のほうは彼女のアニマ、マニアの声だ。マニアのアニマではなくアニマのマニア、ああ、ややこしい。
「食用になるかと思ったけど、文字通り歯が立たない実だったので利用させてもらったってわけ」
「こうして戦ってると、以前のブロントヴァイレス戦を思い出しますね」
 シンプルとマニアは笑みを交わした。
 これでようやく我に返ったか、
「お前ら俺のことを忘れてるだろう!」
 残る賊(アイパッチをした小男)が、ひとつだけの目を怒らせ、握った蛮刀を振り上げた。
 だが賊は、そのままポロリと刀を落としたのである。
 シンプルとアリシアはもちろん、このとき賊を囲むように、リン、ヴァニラ、遊星もこの場に集結していたからだった。
「降参……します」
 賊は哀れっぽい声を出した。


●椰子の真相
 やがて採取作業を担当するメンバーが到着した。
「では、お任せします」
 忌兵隊を代表してギリュベールが告げ、空賊を追い散らした付近を明け渡す。
「お疲れ様でした。これからも相互に連絡を取り合いましょう」
 と『Apocalypse(アポカリプス)』は慣れぬ敬礼を返して、傭兵部隊を送り出した。
 空賊がこの付近に潜んでいたのもけだし当然であった。戦闘終了後、付近に例の【フラグメント椰子】の群生地が発見されたのである。
「それにしても素晴らしい。これほどの巨大植物が、こんなに……」
 アポカリプスは感極まった様子だ。どこから調べるべきだろう。やはり実か、それとも葉か表皮か。
 ところがアポカリプスのアニマこと『Vosis(グノーシス)』は、まったく興味のない様子で、
「面倒そう」
 ぽつんとそう告げただけである。さっそく行きましょう、とアポカリプスが急かせば急かすほど、グノーシスのほうは、そんな急がなくても椰子は逃げないでしょ、と消極的になるのだった。
「これが……」
 椰子の根元でエスバイロを降り、『Truthssoughter=Dawn (トゥルーソウター ダーン) 』は巨木を見上げた。確かに椰子の木に似ている。けれども大きさは段違いだ。幹は太く、……まで届くのではないかと言うほど背が高い。それぞれの木には、二つから三つ程度実がなっていた。
「なにやら夢の中にいるような気がいたしますね」
 トゥルーソウターのアニマ『lumiere=douceur (リュミエール ドゥサール)』が言った。普通の椰子ならアカディミアにもあるが、これほどとなると記憶にない。
「フラグメントを含む植物か……栽培できればエネルギー問題は解決に進むだろうが」
 と言いながら、『メルフリート・グラストシェイド』は木の根元にしゃがみ込んだ。
「そう甘くはあるまい」
 と告げて彼は、根元を掘っている。
「なぜそう思われるのです?」
 トゥルーソウターが問うと、メルフリートのアニマ『クー・コール・ロビン』が代わって応えた。
「メルフリートはこう予想を立てているの……実際のところ、これは『植物に見える鉱物』ではないか、って」
「まさか」
 と言ったのは『美馬坂七瀬』である。
「だってこの見た目、それに、風にそよぐ感じ……」
 ここまで口にしたところで、本がぱたりと閉じたように七瀬は口を閉ざしていた。
「そうね。そよいだりしていないわね」
 七瀬の言葉を継ぐように、アニマの『八雲』が告げた。八雲は黒髪の前髪を稚児髷状にし、着物を身にまとった少女であるが、その眼差しに宿る怜悧さは、大人のそれをも上回る。
 その通りだった。表皮は硬く、有機物の質感に乏しい。観察すればするほど、この椰子は、椰子に擬態した無機物のように見えた。
 けれどまだ、七瀬は希望にすがるように言った。
「で、でも、この椰子を育てることに成功したら永久機関に……」
「永久のものなんてないのよ」
 八雲の言葉は冷ややかだ。けれどもそれは、現実を直視した冷ややかさだった。
 トゥルーソウターはエスバイロを飛ばし、椰子の葉を採取した。これは『切る』というより『砕く』に近い採取となった。実を取るのも同様だ。表皮を取る作業もほとんど、『削る』作業に終始した。
 採取したものをリュミエールに分析させる。クーも比較調査したが、二人の結論は同じだった。
「部位による差は微量です」
「そうね。残念だけど、これは『椰子』っぽいだけの構造物で、全体でひとつのフラグメント鉱床よ」
 このときメルフリートは、根元を大きく掘り終えていた。
「その結論だな……これを見てほしい」
 七瀬もこれを見ては、諦めるほかなかった。
 この椰子は、地中に根を張っていない。電信柱のように、ただ土台を埋められているだけだった。
「それでも」
 と声を上げたのは、これまで黙ってメンバー間のやりとりを聞いていた『アクア=アクエリア』だった。
「これが自然物なのか人工物なのか、それともまさかの魔石感染なのかって結論は出てないでしょ? それに貴重なフラグメント資源なんだもの。あちこちのサンプルを、いっぱい持って帰ろうよ」
 その明るい声に、曇っていた七瀬の眉はいくらか晴れた。
「そうですね」
 アポカリプスも応じた。調べ物が終わったわけではない。いやむしろ、ここが新たな出発点になる可能性だってある。忘れず知識調査もしたいところだ。


●密林の道標
 陽が落ちるころ、最終作業は終わった。
 引き上げるメンバーから少し遅れて、アクアとアニマ『フォブ』は密林上空に浮かびあがる。
 昼間は暑くてたまらなかったというのに、涼しい夜風もあってか、この場所はとても快適だ。
「調査班、全員引き上げ完了です。アクア=アクエリアも今から帰投します」
 本隊に連絡を入れると、アクアはあえてゆっくりと空を進むことを選んだ。遊覧船のように。
「そういえばアクア、さっき【魔石感染】って言ったよね? それってなに?」
 フォブはアクアの膝に乗って背を彼の胸に預け、アクアの顔を見上げた。アニマだからこのフォブの姿は映像でしかなく、だから実際の接触ではないし、当然重みもないのだけれど、それでもアクアは彼女に、ほのかな体温と重みを感じている。
 錯覚だろうか、だとしても、幸福な錯覚であろう。
「大昔の言葉でね……かつて地上がこの世界にあった頃の言葉だそうだよ」
 アクアとフォブは容姿が似ている。だから遠目なら、双子が睦みあっているように見えるかもしれない。
「かつてこの世界には【魔石】という魔力の塊のような物質があったそうなんだ。魔石感染というのは、魔石に触れることによって起きる謎の感染現象で……生物に信じられないような変化を及ぼしたというよ。感染の結果石化したり、塩の柱になったという伝説もあるんだ。あの椰子もその一種かと思ってね」
「ふうん……」
 わかったようなわかっていないような顔をしたフォブだが、このとき、あっ、と声を出して行く手を指さした。
「あれ見てっ! きれい……!」
 遠目に小さくえるピラミッドが、月の光を浴びて輝いているのだ。
「たしかあれって、鏡とガラスででてきるんだってね。そのせいかな?」
 わからない、とアクアはこたえた。だけど、と続けて、
「暗い密林の『道標(みちしるべ)』には、ちょうどいいよね」
 と、夢見るような微笑を浮かべたのだった。
 幻想的な空の遊泳は、もうしばらく続くことになりそうだ。



執筆:桂木京介GM