プロローグ
かつて人類は大地に縛られ、二本の足だけで世界に対峙しなければならなかった。
けれどそれはもう、遠い昔の話だ。
現在、依って立つ地面はアビスに奪われ、人類は空域(そら)での生活を余儀なくされている。
地上から半強制的に巣立った人類が、【最後の世代(ラストエイジ)】と呼ばれるようになって久しい。
ラストエイジにとっては、すべての生活は大地ではなく、飛空艇の上にしかなかった。数え切れないほどの人間が、大地を知ることなく生まれ、育ち、年老いて死を迎えていった。
長い年月で、飛空艇を保つテクノロジーの大半は失われてしまった。老朽化の進む船が、ある日突然機能を停止したとしても、誰も驚かない時期はすぐそこまで来ている。
鳥のように解放された生きかたというのは強がりに過ぎない。実際この世界は、か細い宿り木だけを頼りに、かろうじて保たれているだけというのが正しい見方だ。
アビスの侵蝕が再開されている。ゆっくりと、だが確実に終焉のときは近づいていた。
けれど……だからどうした、そう言ってやろう!
下を向いて歩いていたって、小銭が拾えるわけじゃない。
落ち込むこともあるだろうけど、一人で沈む必要はない。ラストエイジの人間には、いつだってそばにいて、励ましてくれるアニマがいる。
それに大空、果てない空は、いつだろうと誰だろうと、両手を広げて歓迎してくれるのだ。
エスバイロのエンジンをかけよう。出かけよう。アニマとふたりで、どこかに遊びに行ってみよう!
マシンは軽やかに振動し、青い空をお気に召すまま、つききって飛んでいく。邪魔するものは何もない。
恋人のアニマと甘い甘いひとときをすごすか、母がわり姉がわりのアニマにうんと甘えるか。
それとも妹がわりのアニマに目一杯振り回されるのはどうか。
悪友のアニマと悪ふざけして笑いあうのだって悪くない。
真剣に今後のことを、彼女と相談したっていい。
あなたと彼女の、ある一日の過ごし方を教えてほしい。
「どこに行きたい?」
あなたは聞く。
「そうねえ……」
あなたのアニマが、あごに指を当てて考えるポーズを取る。
彼女が行きたいと告げたその場所は……?
解説
さあ! いよいよ本格始動しましたね、『俺の嫁とそそらそら』!
このPBW(プレイ・バイ・ウェブ)と呼ばれるゲームはコンピュータゲームとは少し違って、ゲームと物語の中間のような存在です。
しかもその物語の主役はあなた! そう、他ならぬあなたなのです!
あなたはこの世界に生きているキャラクター(『探求者』と呼ばれます)となり、生涯を共にするパートナー(『アニマ』と呼ばれます)とともに、冒険や恋、戦いなど、ひとつの【人生】をすごすことになります。
……と、書くと大げさですが、ようは、あながた下さったアイデアを元に、我々GMがストーリーを紡いでお返しするというのが、本作のような「通常エピソード」の目的です。
PBW初心者のかたも、ベテランのかたも、本作『俺の嫁とそそらそら』のスタートラインに立ったばかりというのは同じ、生まれたばかりのあなたのキャラクターそしてアニマがどんな性格なのか、何が好きでどんな話し方をするのか、どうか教えて下さい。
世界に慣れること、そしてキャラ作りの一環として、本作を利用いただきたいと思います。
本作は「ある一日を過ごすあなたとアニマ」を描くものとなります。
プロローグで描いたように、大空でデートを楽しむあなたとアニマ、というのを基本に考えていますが、戦闘にかかわらない話、という以外の制限は特に設けていません。ですから……。
○マーケットに買い物に行く。買い物の内容で「無駄遣いダメ!」とアニマに叱られる
○部屋の掃除をする。アニマもメイド服に着替えて応援してくれる
○エスバイロの整備。煤だらけになってしまう
というような日常の一コマでも構いません。
デートというなら
○飛び羊の牧場を見に行く
○泳げないあなたは市民プールで泳ぎの練習。ビキニの女性に目を奪われアニマがジェラシー
○エスバイロで曲乗り飛行を楽しむ
なんていうのもいいですね。
もちろん、ご自身のアイデアは最優先したいと思います!
ゲームマスターより
はじめまして。GM(ゲームマスター)の桂木京介と申します。
このエピソードは「日常系」エピソードです。
イベントメインの戦場から離れた場所が舞台になります。
戦いの喧騒を逃れ、一休みしてみてください。
ほのぼの風、ラブコメ風、シリアスでもダークでも、まさしく『お気に召すまま』なプランをお待ちしております。特に思いつかなければ、どうしても描写してほしい会話や場面だけ指定して、あとはお任せでもOKですよー。
それでは次はリザルトノベルで会いましょう。
桂木京介でした。
お気に召すまま エピソード情報
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担当 |
桂木京介 GM
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相談期間 |
4 日
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ジャンル |
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タイプ |
EX
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出発日 |
2017/7/31
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難易度 |
とても簡単
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報酬 |
なし
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公開日 |
2017/8/10 |
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・場所は、自室でも研究室でも、図書館等でも(おまかせ) ・アニマは世話焼き妹系(具体的な所は、おまかせ……多分、おバカな子ではない……筈です) ・シーンとしては、アビスと、その向こう側についての研究・考察や、文献・調査等を半ばライフワーク的に、やっている感じで。 アビスとヴァイレスの関連性とか、人類の前にヴァイレスが姿を現した頃に関して……とかも、広い意味では検証対象かも?知れません。 アビスと、その特性が解れば、向こう側に消えた世界の情勢や、出現の予測等、人類的な意味でも希望が湧いて来る……でしょう けれど、それらの為に研究している訳じゃなくて……どちらと言うと理系的な感じで、解らない事を解らないままにしているのが シャクだから、知りたいだけ……という要素の方が強い感じに。世界や、その根源法則的な所への模索と、その関連性も ・アドリヴ大歓迎です
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んー、今日は来客の予定も急ぎの作業もないし…飛び込みの依頼がなければオフだな よーしごろごろし…掃除? …まァ、そろそろ備品の在庫を確認したりしないといけなかったし…やるかァ ◆ 程よく残念な自室から目を逸らし仕事場の掃除をします 咲良娑のアドバイスに従いつつ客を通す場所を中心に清掃 作業中にケースに飾ってある時計について咲良娑に聞かれたら説明を 段々と掃除よりも時計の説明に熱中する 途中咲良娑のくすくすといった笑い声で、はっと我に返って欲しい 「それでこの歯車の機構が……あー、熱く語っちまったな。掃除掃除…」 楽しそうな咲良娑の声にバツが悪くなりつつ、掃除を進める 「なァーんか、調子狂うんだよな」 ◆ 掃除や在庫の補充の手配等を行った後に 咲良娑が推してきたミルクティーで一息ついて質問 「そういえば、なんでそんなゴキゲンなんだ?」 ◆ヴィクトル やる事はやる 直球の言葉に馴れていない
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空は、いい。 守られて過ごしていた幼き頃が悪かったとは言わないが自由という意味では窮屈であった。 そこから投げ出されたどり着いた世界は、これもまた空とは縁のない世界だった。 そして今は…こうして空を飛んでいる。 まあ、昔話をしても仕方がない。 空を飛ぶ時に受ける風は感傷をも流し去るか。 クーよ、君はどうだ。空をどう思う。 先のブロントヴァイレスの件もそうだが空にも危険は多い。 かつてあったという大地は失われた。 だが僕は…大地というものに憧れを覚えないではない。 かつて彼らは空を見上げ、大空を飛びたいと思ったという。 本質は、それと変わらないのだろう。 空を知らず、空を知り、空を飛ぶ僕は…大地を知り、大地に立ちたいと。 まあ、絵空事だがね。それとも、絵陸事ととでも言おうか。 ふむ、この辺りでいいだろう。 今日はいい茶が手に入った。 その香りを楽しみながら、今は空を飛ぶとしよう。
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たまの休日。家でゴロゴロするのはいいもんだ……なんて言ってたら普通に寝落ちした エクスがだらしない寝顔だったと馬鹿にしたように言ってくるが頑張って超スルー アニマはいいパートナーになるって話だが、うちのはどうして愛は足りないのに口数は多いのかね。まるで母親だ ……「母親と思ってるなら感謝しろ」? こんな母親ないわー こんなんじゃなくもっと可愛い子、それこそさっき夢に出てきたような子だったら俺の生活も少しは華やかに……どんな子だったって? それが俺の理想っぽい子で、可愛くて、優しくて、俺をちゃんとマスターと思ってくれて、甲斐甲斐しくて、執事服が似合う……執事服? いや、確かにちょっと顔が男の子っぽかったが…… ……そういう趣味だったんだ? MATTE。俺は健全な男でソッチ系の趣味はねえよ? ホントだよ? でもなんで執事服なんだよ。そこは割烹着……なんか論点が違うが、マジでどうしてだよ
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トロレーズには感謝している。 俺がぼんやり生きていられるのも彼女のサポートがあるからだ。 ただ…あの献身さもアニマだからだ、という考えが拭えなくて、時々複雑になる。 …トロレーズには筒抜けみたいだが。 「それでも良いのです、クロライト。この先まだまだ時間はあるのですから、ゆっくり絆を深めていきましょう。…そして私の嫁に」 ん???
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明智珠樹
( チア )
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ヒューマン | マーセナリー | 28 歳 | 男性
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●チアとの出会いを書いていただきたいです! 記憶喪失明智。自分の名前と位しか覚えていない。 「まぁ、仕方ないですね、ふふ」 あまり気にしていない模様。 流されるままに市民登録を受ける明智。アニマのチアとの出会い。 『はじめまして、ご主人様。僕はチアです』 どこか余所余所しく緊張した雰囲気のチア。 「よろしくお願いいたします、チアさん」 柔らかく微笑む、爽やか明智。 「私、記憶を失くしていますもので、ご迷惑おかけすると思いますが…よろしくお願いいたします」 深々とお辞儀。 『記憶を戻せるよう、僕も尽力します』 珠樹の境遇に同情するチア。 「チアさん、そんな他人行儀にならなくて良いですよ。私よりあなたの方がしっかりしてらっしゃいます。 ご主人様呼びと敬語はやめてください」 笑顔の明智に、チアもやや緊張をときながら 『じゃあ、僕はなんと呼べばよいでしょうか?』 チアの得意技は蹴りです。
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参加者一覧
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明智珠樹
( チア )
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ヒューマン | マーセナリー | 28 歳 | 男性
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リザルト
レガシードライブの振動が、低く静かに『クロライト』の骨に伝わってくる。
見渡す限りの青い空、定規をあてたような飛行機雲を曳き、バイコーン型エスバイロは風を切った。
くんっと急降下する。体感温度が一気に下がって、上がる。
「気持ちいいですね」
ロデオに興じるカウボーイよろしく、『トロレーズ』は中折れ帽を片手でおさえ上半身をのけぞらせた。
袖をまくったシャツにクロスノットに結ったネクタイ、シャープなパンツルックという彼女の服装は、空より澄んだ蒼い髪によく似合う。けれども淑女のよそゆきというよりは、ふらりと酒場にあらわれたハスラー風、前髪が左目を隠す中性的な容貌もあいまって、トロレーズの美しさはむしろ男前と呼びたくなる。
その宿主のクロライトはといえば、純白のジャケットと襟まで留めたシャツというかっちりした姿で、どこか物憂げな目を前方に向けていた。エメラルド色の左目、アクアマリンの右目、微妙に色合いが異なる双眸は、それぞれどこを見ているのか。
ハンドルを握るのはクロライト、その背を抱くようにしているのはトロレーズ、ふたりはエスバイロのシートを分け合い空を分け合っていた。といってもアニマのトロレーズにクロライトが触れることはできないのだから、実際のところは擬似的なタンデムなのだが。
「ところでクロライト」
赤銅のようにハスキーな声でトロレーズが言った。
「ああ」
気怠げにクロライトが答える。
「今日、突然思い立って空域(そら)に出てきたのはどういうわけです?」
「考えたから」
「何を?」
「実は……何を考えていたのか忘れた」
「……そのぼんやりぶり、クロライトらしいですね」
「そうか?」
「世話が焼けます」
これを受けてクロライトは口調を改め、
「感謝している」
とん、と文鎮を置くように告げた。
「何ですか藪から棒に」
「俺がぼんやり生きていられるのも、トロレーズのサポートがあるからだ」
そんなことですか、と彼女は彼のうなじに顔を寄せた。
「私たちは運命共同体ですから」
軽く頷くとクロライトはアクセルを入れた。機体が加速する。
鴉の翼のようにクロライトの黒髪がはためいた。
感謝している、それはクロライトの正直な気持ちだ。トロレーズがいなかったら、きっと自分はブロントヴァイレスの襲撃を生き延びられなかっただろうと思う。
ただ――彼女の献身ぶりはアニマだからだ、という考えを拭い去ることはできない。彼女は単に、過去の失われた文明が書いたプログラムに従っているだけではないのかと。
「よからぬことを考えていますね」
えっと声を上げそうになってクロライトは唾を飲み込む。
「……そんなことは、ない」
「どうせアニマだから、とか」
「ま、まさか!」
「いま噛みましたよ」
怒るのかと思いきや、するっとクロライトの前に回り込み、ハンドルに置かれた彼の手にトロレーズは手を重ねるようにした。
「それでも良いのです、クロライト。この先まだまだ時間はあるのですから、ゆっくり絆を深めていきましょう」
「そうだな」
「……そしてあなたは私の嫁に」
また「そうだな」と言いかけて、(ん??)とクロライトは首を傾げた。
彼女が彼の『嫁』というのではなく……その逆?
「それ、どういう意味だ?」
「秘密です」
くすっ、と童女のようにトロレーズは笑った。
●
ログロムの市街地、やや表通りから外れた道沿いに、ひっそりたたずむ時計工房があった。
空をゆく旅団の上にあることすら忘れるような、昔ながらの二階建だ。
んー、と気持ちのいい伸びをして、『ヴィクトル・ラング』は背を伸ばした。右目のモノクルを外し柔らかな布で拭う。
彼の前の仕事机には、調整が終わったばかりの腕時計が置かれている。革ベルトの光沢は、この時計が長く大切に使われていたことの証明だ。
「今日は来客の予定も急ぎの作業もないし、飛び込みの依頼がなければオフだな」
読みかけの雑誌や本のことをぼんやりと思い浮かべて、
「よーしごろごろし……」
と二階への階段に眼を向けた彼の前に、ひょこっと『咲良娑』が半透明の姿を見せた。プライベートモードだ。
バレリーナみたいなステップで階段を二段昇ると、咲良娑のポニーテールがふぁさりと揺れた。
「お掃除のチャンスよ」
「掃除?」
Really? と訊き返すときのイントネーションでヴィクトルはオウム返しした。
「うん! まるでバッカニア空賊団が通り過ぎたみたいになってるよ、この仕事場」
「いくらなんでもそりゃ大げさ……」
とヴィクトルは自分の周囲を見回して、八艘飛びでもマスターしなければ外に出ることすら難しいという残念な現状を認識した。
「……とは、言えないな。まァ、そろそろ備品の在庫を確認したりしないといけなかったし……やるかァ」
咲良娑は頭に三角巾、口にマスクをし、作業着姿でホウキを手にしている。あくまでイメージなので実際の掃除は手伝えないものの、その分てきぱきと指示を出してくれる。
「使う頻度の高いものは一番取りやすい棚にね」
「そこ埃が溜まってるよ、注意注意」
「おっと、それは『燃えないゴミ』のほうね」
口うるさいようだがガミガミ声ではなく、音楽のようにリズミカルでしかも的確だ。おかげでヴィクトルの作業はすいすい進んだ。
「そのガラスケースだけは綺麗ね、毎日拭いてるし」
「これか? 旧世界の時計を飾ってるんだ。市場価値はほどほどだが職人が良い仕事してて……」
思わずヴィクトルは手を止め、時計についての蘊蓄を熱心に語った。
「それでこの歯車の機構が……」
「うふふ」
「俺なんか変なこと言ったか??」
「違うの。活き活きとしたヴィクトルって素敵ね、って思って。時計について語るとき、本当に楽しそう」
すると気恥ずかしげにヴィクトルは頭をかき、
「あー、熱く語っちまったな。掃除掃除……」
と再び雑巾を手にするのである。なァーんか、調子狂うんだよな、と小さく呟いた。
こうして仕事場は見違えるようになり、在庫の補充の手配等も行って、ヴィクトルは誇らしげに腰に手を当てた。
「ミルクティー、淹れたから」
咲良娑に呼びかけられ気がつく。ティーサーバーが湯気を上げていた。
「お、気が効くな」
カップを手にし湯気を吹く。どんなに暑くても、シナモンを利かせたミルクティーを彼は好んだ。
いつの間にか服装を普段に戻した咲良娑が、笑顔を浮かべこっちを見ている。
「そういえば、なんでそんなゴキゲンなんだ?」
「アナタの魔法の様なお仕事をお手伝いできるのが嬉しいのよ」
「魔法? 褒めすぎだろ」
目をそらしヴィクトルはカップを傾ける。
咲良娑の笑顔こそ俺にとっちゃ魔法だ――なんて、さすがに言えなかった。
●
『メルフリート・グラストシェイド』のエスバイロは、雲が流れるような速度で空を遊泳していた。
風が出ており、短剣の鞘飾りの赤い布がはたはたと揺れている。
鏃(やじり)のような彼の眼差しは、雲と空とを眺めているようで、そのすべてを貫いているようでもあった。
「空は、いい」
ぽつりと言葉を漏らした。
「庇護下にあった幼き頃が悪かったとは言わないが、自由という意味では窮屈であった。そこから投げ出されたどり着いた世界は、これもまた空とは縁のない世界だった」
透き通るような、少し冷たい風が頬を撫でる。
「そして今は……」
ヴィクトルは瞼を閉じ、開いた。
「今は、こうして空を飛んでいる」
「また空と大地談義? メルも飽きないわね」
忽然とメルフリートのそばに長身の少女が姿を見せた。彼女は言う。
「ま、この空にあるものは風と雲と、人だけ。思索をめぐらすにもそれしかない、か」
メルフリートのアニマ『クー・コール・ロビン』だ。
ターコイズブルーの瞳。エメラルドグリーンの髪。抱けば折れそうな儚い姿をしている。目立つ特徴は頭に巻いたターバンで、極楽鳥のものに似た大きな羽根飾りがついていた。
空中に立つようにしているが、これはクーの肉体が実在するものではなく、メルフリートの脳にイメージを映し出しているにすぎないためである。
「まあ、昔話をしても仕方がない」
メルフリートは視線を和らげた。
空を飛ぶ時に受ける風は感傷をも流し去るか、そう詠み忘れた詩のように呟くと、
「クーよ、君はどうだ。空をどう思う」
と問うた。
「漠然とした質問だけど」
整った唇に微風のような笑みを乗せて、「そういう質問、嫌いじゃないな」とクーは言う。
「そうね……私もかつては空を見上げていたような気がするわ」
このときクーの視線と、メルフリートの視線が交差している。
「アニマのくせにおかしいって思う? でも私にも少女時代があったように……そう、そんな気がするだけなんでしょうけどね」
「いや、どんなことも起こりえる」
メルフリートは告げた。【アビス】が突然勃興した先日の争乱のように。
アビスについて考えるとき、どうしても彼には導かれる想いがあった。
「かつてあったという大地は失われた。だが僕は、大地に憧れを覚えないではない」
遙か下に見える黒い口に眼を向ける。
「古(いにしえ)の時代。人々は大空を飛びたいと願ったという。本質はそれと変わらないのだろう。空を知り、空を飛ぶ僕は……大地を知り、大地に立ちたいと願う。まあ絵空事だがね。それとも、絵陸事とでも言おうか」
「メル、私もその考えを夢想とは思わない」
「どうして?」
「それは憧れだと思うから。憧れがなければ技術は進歩せず、アニマも開発されなかった。私がメルに出逢うことだって、なかった」
クーは続けた。
「それに私にだって、憧れはあるもの」
「どんな?」
何か言いかけたものの、クーはなぜか頬を薄く染め、「またの機会にね」と首を振った。
「ふむ、この辺りでいいだろう」
メルフリートは背嚢を叩いた。
「今日はいい茶が手に入った。その香りを楽しみながら、今は飛ぶとしよう」
「お茶ね、味は私にはわからないから……羨ましく思わなくもないわ」
今のところはね、とクーは小さく付け足したのだが、風に紛れその声は彼の耳に届かなかった。
●
図書館から借りてきた分厚い本の数々を、塔のようにテーブルの上に積み重ねた。
書籍はすべて電子化される、そう信じられていた時代もあったという。だが実際はどうだ。デジタル化されたデータは多いが、【最後の世代(ラストエイジ)】になってなお、印刷され出版される書籍は少なくない。
「厚い本のほうがありがたみがあるんですよね……知識が詰まってる感じがするというか」
笑うと『Truthssoughter=Dawn(トゥルーソウター ダーン)』の口の端からは、氷柱のような白い牙がのぞく。
「ふぅん……わかるようなわからないような話でございますねぇ」
彼のアニマ『lumiere=douceur(リュミエール ドゥサール)』は、白いブラウスに花柄のスカートという、暑い時期らしくも露出を抑えた格好で、トゥルーソウターの正面につくねんと腰掛けていた。
ここはアカディミアの第七学区、トゥルーソウターの研究室だ。飾り気のない部屋だけに、壁にかけられた地上世界の地図(想像図)がよく目立つ。
本の背表紙をつーっと眺めリュミエールは言った。
「よくもこれだけ龍関係の書物ばかり集めたものでございますな」
「字違いの『竜』のものもありますよ。簡単な字のほう……大型『竜』のものを集めたかったのですがね。やはりそちらは資料が少なくて」
言いながらもう、トゥルーソウターはめぼしい本をパラパラとやりはじめている。彼は紺のポロシャツ姿だ。
「最近やっていた研究とは方向が違うのでございますか?」
ついっとリュミエールがのぞき込む。
「いえ、大きく逸脱はしていないのですが、アビスとヴァイレスの関連性とか、人類の前にヴァイレスが姿を現した頃に関して興味が出てきたもので」
気になるデータが出てきたらしい。トゥルーソウターは複数の本を開き、それぞれの記述に注目している。
「新発見です……」
使い込んだノートを出し、走り書きでメモを残し始めた。
「でもそれ、千年以上前の話なんでございますよね? 本当かどうかわからないのでは?」
「そうです。だからこそ研究するんですよ、わかるように」
「わからないことをわかったと、どうやってわかるのでございますか? わからないことをわからないとわかったような気がしても実はわかってなかったとわかったり……あうー、なに言っているかわからなくなってきましたー」
明るい桃色の髪に、リュミエールは手を突っ込んでくしゃくしゃにしている。
「大丈夫、通じてますよ」
トゥルーソウターは笑った。
「そこが研究の面白いところなんです。試行錯誤の迷路をたどって少しずつ真実に近づいていく」
「そうそう、そう言いたかったんでございます」
大丈夫、と請け負ってもらったことが嬉しくて、リュミエールは満面の笑みだ。
「わからないことをわからないままにしているのがシャクだから知りたい――それが僕の学問の出発点です。わからないことがあるのは当たり前のことかもしれませんけれどね。でもやっぱり識りたいじゃないですか……世界の深淵、理の根幹等を……」
「つまり、すごい知りたがり屋さん、ってことでございますか?」
「そういうことです。よければ探してほしい単語があるのです、このページで……」
ふんふんとリュミエールはうなずく。
知の探求、その世界は無限だ。
●
やはりアカディミア。
エアコンの効いた自室で『ブレイ・ユウガ』はもぞもぞと起き出し、ベッドサイドの時計を手にした。
無駄な抵抗とはわかっているものの、時計に耳を当て動いているのを確認し別の時計も探す。
そうして出した結論が、これだ。
普通に寝落ちした――!
もう夕方! 貴重な休日がパア!
「くー」
ブレイはベッドの端に両膝を折ってうずくまり、突っ伏して頭を両手で押さえた。
ちゃんと朝に起きたのに、色々やりたいこともあったというのに、家でゴロゴロするのはいいもんだ……なんて言ってベッドでぐずぐずしていたら、本当に寝てしまったというのが事の次第だ。
「やっと起きたの?」
呆れたような、けれど半分冷笑しているような、そんな声が頭上からした。
顔を上げて最初に目に入ったのは、たわわに育った果実みたいな双つの膨らみ、それがオレンジのタンクトップからこぼれ落ちそうになっているのである。
いつの間にか目の前に、アニマの『エクス・グラム』が現れていたのだった。垂れ目気味の大きな瞳で、品定めするような表情でプレイを見ていた。
「だらしない寝顔だったよ。口も開きっぱなしで」
小馬鹿にしたような口調だ。
「あのなあ、見てるくらいなら起こせよ」
「起こせって言われてなかったし」
「それくらいわかるだろ!」
「なんでそこまで面倒見なきゃいけないわけ? いい年なんだから自分のことは自分でしなさい」
「まったく……」
プレイは腕組して座り直した。
「アニマはいいパートナーになるって話だが、うちのはどうして愛は足りないのに口数は多いのかね。まるで母親だ」
「はあ? お母さんと思ってるならもっと日頃から感謝してほしいんだけど」
「ないわー! こんな母親ないわー!」
「ちょっと、『こんな』呼ばわり!?」
エクスはむくれてベッドから滑り降りる。
「君ねえ、私みたいな美貌で優秀なアニマ、そうそうないんだからね」
「美貌? 優秀? 自分で言っちゃったよこの人」
まるで子どものケンカだが、勢いがついてしまい互いに収まらない。
「俺はなあ」
と立ち上がってブレイはエクスを指差した。
「こんなんじゃなくもっと可愛い子、それこそさっき夢に出てきたような子だったら俺の生活も少しは華やかになったな……って思ってんだよ!」
「普通ここで夢とか言う!? だいたいその夢のアニマって!?」
へへん、と無闇な自信とともにプレイは言う。
「俺の理想っぽい子なんだよなあ。可愛くて、優しくて、俺をちゃんとマスターと思ってくれて、甲斐甲斐しくて、執事服が似合う……」
「執事服?」
改めて言われると困惑するが、ここでやめるわけにもいかずプレイは続けた。
「いや、確かにちょっと顔が男の子っぽかったが……」
「あら! プレイってそういう人だったんだ。いやいいけどね、恋愛の形は自由だし」
「待て! MATTE! 俺は健全な男でソッチ系の趣味はねえよ? ホントだよ?」
「大丈夫、私BLも行けるほうだから。プレイ、いい人見つけてね……応援してるから……」
「待て待て待て誤解だ! だいたい俺は執事服より割烹着のほうが好きなんだ!」
「割烹着美少年とBL……アリかな」
「違う! そもそも論点がなんかちがーう!」
なぜ執事服なのか。そんな出会いが待っているというのか!?
今後の展開に乞うご期待、とだけ書かせてもらおう!
●
途方に暮れるような状況に陥っても、『明智珠樹』は動じない。
「まぁ、仕方ないですね、ふふ」
この一言で受け入れてしまった。
大きな戦乱があったという市街を歩く。復興は進んでいるようだが、巨大生物に襲われたという爪痕はまだ生々しいものがあった。
やがて珠樹が学んだのは、アカディミアと呼ばれるこの都市国家が空の上にあるということだった。大地は喪われ、そこから逃れた人類が、巨大な飛空艇の上に都市を築いたのだという。
驚くべき事情だがすっと理解できたのは、と珠樹は思った。
「やはり私もこの地の出身だからかもしれませんねえ……ふふ」
珠樹には記憶がなかった。わかるのは自分の名前くらいだ。今朝突然、街の中心で立ち尽くしている自分に気づいて以来、あてもなく歩き続けているのである。
「記憶を失い街をさまよう。私はいわば永遠の異邦人(エトランジェ)……あぁ~、エトランジェ、流れ流れて旅の宿ぉ~」
謎の節を付け歌いながら珠樹は軽やかに歩く。記憶もあてもなくても、彼の行く手はいつも明るいのだ。
「いずれにせよここで、ときめきドッキンな出会いを期待したいですね~」
なんてのも歌い込んでみた。
言ってみるものだ。
「ときめきドッキンって……ちょっとツッコみづらいセンスですよね……」
応じるように声がしたので、オヨッ、と珠樹は周囲を見回した。
ぐるり見渡し正面を向くとなんと、桃色の瞳と桃色の髪をもち、やはりピンク系のブレザーに身を包んだ少年が立っていた。
「やや! あなたは生き別れのお父さん!」
「……どう見ても僕のほうが年下なんでせめて『弟』とかにできませんか」
コホンと咳払いしてから少年はお辞儀をした。
「はじめまして、ご主人様。僕は『チア』です」
照れくさいのか、チアは珠樹と視線を合わせようとしない。
「これはご丁寧に、チアさん」
珠樹は柔らかく微笑んだ。
「私、記憶を失くしていますものでご迷惑をおかけすると思いますが……よろしくお願いいたします」
チアは実のところ女性らしい。珠樹のアニマだと告げ、アニマに関する事情を一通り説明した。
「宿主さんと連動する必要はないはずなのですが、どうも僕も記憶がないようで……」
「とすると大逆転であなたがお父さんの可能性も!」
「お父さんから離れて! ていうかせめてお母さんにしてください!」
と指摘するチアの声に、どうにも違和感があると珠樹は思った。そこで提案してみる。
「チアさん、そんな他人行儀にならなくて良いですよ。ご主人様呼びと敬語はやめてください」
笑顔の明智に、チアもやや緊張をときながら、
「じゃあ僕はなんと呼べばよいでしょう?」
「『薄汚い豚野郎』でお願いします!」
ハアハアと荒い息で珠樹は告げた。
「あと『靴を舐めろ!』とか命令してください」
「……それ以外で」
「なら『明智にゃん』と呼んでお尻をナデナデしてください!」
チアの前蹴りが炸裂した! だが当たらない! アニマは物理的な接触ができないのだッ……!
「ああん! 残念ッ!」
などと悶える珠樹を蔑んだような目で見ながら、チアはふつふつと胸に沸き立つ感情を抱えていた。心の命ずるままに宣言する。
「これからは珠樹って呼ぶからな、このド変態!」
「あぁ、ド変態だけでもウェルカムですよ……!」
こうして、珍妙なる主従が誕生したのであった。
依頼結果
依頼相談掲示板