リザルトノベル
壮観だ。
収容定員五百名、学園内でも最大規模を誇る大講義室が、隅から隅までびっしりと埋まっている。立ち見まで出ているではないか。
そこにいるすべてが学生ではなく、同分野の研究者や評論家、メディア記者も混じっているとはいえ、おそらくこの講義室が建設されて以来の入りを記録しているということは、【エルヴィス】にも想像できた。
しかもエルヴィスがいるのは、教壇の上なのだ。
つまり、ここにいる全員がエルヴィスの講義を聴きに来たということである。
もう少し、緊張したほうがいいのかもしれないが――。
ループタイの留め金具を軽く引いて整え、エルヴィスは五百人を超える受講希望者と向かい合う。待ち構えるは痛いほどの視線、引き絞った弓につがえられた千の矢尻を前にしているようなものだ。それでも彼は、自分でも不思議になるほどに落ち着いている。
これより語る内容に自信があるからだ。
レジュメもスライドもほとんど使わない。
そうしたものの助けを借りなくても、想いが伝わるとわかっているからだ。
「それでは、講義を始めたい」
エルヴィスの宣言とともに、超満員の大講義室がミュートボタンを押されたかのように静まりかえった。
あの戦い、今では【暗流(Dark Flow)】と呼ばれている運命の日から数年が経った。
以来、単発的ではあるがエルヴィスは要請を受け、アカディミアで講師として働いている。
戦いの場で自らの名と想いを空に語った影響もあるだろう、アカディミアは活動再開と同時ににエルヴィスへの登壇依頼を行った。
講義には初回からして既に予想以上の聴講希望者が詰めかけたものだが、それでもこれほどの盛況ではなかった。数年かけ評判が評判を呼び、黄金でできた雪原を転がる雪だるまのように人気が高まって、エルヴィスが講師として立つ二時間を求める声は、この規模にまで達したのである。
その理由はやはり、彼の言葉がもつ魅力にあるといっていい。
幻術(まやかし)ではない。タネも仕掛けもある誠心からの言葉だ。
堂々としているが押しつけがましくない声、真夏に吹き込む涼風のような語り口、マイクがなくても講堂の隅々まで届くような艶のある声量でエルヴィスは話す。依頼を受けてさまざまな船団を飛び回り、実体験として得てきた『世界を知る』ということを、学びとり、伝えたいと思う物事を。
「……しかし私は、まだ途上にあると思っている。旅すること、知ることはこれからの長い生でずっと続いていくことだ」
この日も二時間強、十数人規模の教室で話していたときと変わらぬ熱意で語り終え、エルヴィスは嵐のような拍手に包まれたのである。
壇を降りた彼を、たくさんの学生が取り囲んだ。
口々に質問を浴びせる。
できるだけ公平に判断しようとするのだが、どうしても秘書【ケーナ】の目には、エルヴィスを包囲する学生は女子ばかりのように見えてならない。
「なるほど、その部分にはふたつの解釈があると思っている。ひとつは……」
質問に丁寧に答えていくエルヴィスも、妙に楽しそうに見えてしまう。
あの女生徒、距離近すぎでは?
気のせい? 目がハートマークになっている子が二人、三人……。
ちくちくと胸が痛む。しかしその痛みとともに、ケーナの胸には誇らしさも座っているのだ。
仕方ないでしょうね、だって。
だって、あんなに格好いいんだから。
とくに壇上で弁を振るうエルヴィスには、魂ごと持って行かれそうな神々しさを感じてしまう。
それでも、とーナの口元には笑みがこみ上げそうになるのだ。
エルの心は――。
リン・ワーズワース少尉が黒いものに包まれ、アビス領域は下降を開始した。
あのとき、あの光景を見守りながら、エルヴィスはケーナに告白した。
短いが、しっかりとした自分の言葉で。
その瞬間、ケーナはアビスが迫っていたことも、メデナ最高会議の暴走も、世界が危機にあったというそのことすらも忘れてしまった。そしてただ、赤面したのである。
もちろん、天にも昇る気持ちで。
あの日以来、ケーナはスレイブとしての状態を選んだ。当初はごくまれにアニマに戻ることはあったものの、すぐに意思の力で戻ることができる程度の支障でしかなく、しかも数年経ち技術研究が進んだことで問題は解消されている。
実体化を選んだゆえもうケーナは、飛ぶことがない。
しかしアニマ時代をいくら回想しても彼女は、エルヴィスが心を明かした直後ほどの浮遊感を味わったことはない。
◇ ◇ ◇
フライパンの上のチキンは、皮はカリカリ、肉のほうはジューシーという絶妙のバランスに焼き上がった。ぐらぐらいいはじめた鍋の火を止め、蓋を開けてスープをゆっくりと混ぜる。
冷蔵庫のサラダボウルに手をかけたところで、ドアの開く音が聞こえた。
玄関まで小走りで行った彼女を、エルヴィスの笑みが待ち構えている。
「おかえりなさい、エル」
「ああ、ただいま。ケーナ」
エルヴィスはケーナの手を取ると、抱き寄せて唇に軽いキスをする。
今やケーナはエルヴィスの秘書、そして大切な恋人だ。
「遅くなってすまない。これでも急いだのだが」
「いいえ。でもあんな雑用、『秘書』に任せればいいのに」
「本当に雑務だったからね。それに、『恋人』に先に帰ってもらい夕食を作ってもらうほうがいいと思った」
エルヴィスが玄関をくぐってから、二度目のキスとなった。
夕食後、照明を落とし気味にしてエルヴィスはテーブルに戻った。
「ケーナ、今、いいかい?」
「ええ」
ケーナが正面に座ったところで、エルヴィスは彼女の手に自身の両手を重ねた。
「いつか技術が進歩し、アビスが無くなったら二人で地上を見に行こう」
アビスの向こうに地上はない、そう言われている。
しかしアビスを取り去ったところに、地上がある可能性はまだ残されていた。不確定ながら存在を示すデータもいくつか現れている。
「ええ、必ず」
オレンジ色の左目、レモン色の右目、その両方でケーナはうなずいた。
エルヴィスは小さく息を吸った。重ねた手が、ほんのりと熱を帯びる。
緊張、しているのか。
ふと気がついた。
多くの聴衆を前にしても汗ひとつかかぬこの身が、たったひとりの女性を前に心臓の拍動を早めている。
そのことをエルヴィスはどこか可笑(おか)しくも思う。
しかし人生には勇気が必要な局面がある。おそれに打ち克つべきときが。
エルヴィスは知っている。間違いない。今がそのときだと。
「ケーナ、私と結婚してくれないか」
言えた。
短くも長い沈黙の数秒が過ぎる。
エルヴィスは喉の渇きを覚えていた。暗流の迫る空で、レーヴァティン軍のただなかに飛び込んだあのときのように。
ケーナは息を詰まらせていた。。
あまりに突然。
いつかは、と期待はしていたけれど。
『ええ、ありがとう』
『ふふ、喜んで』
『待っていました』
『こちらからもお願いします』
他にも、たくさん……。
そのときに備え百通りも返事を考えていたというのに、いざとなると頭は真っ白で何も出てこない。やっと出てきたのは、シンプルな二文字の言葉だった。
「はい」
泣くまいと思っても、瞳が潤んでくるのをケーナは止められない。
けれども笑顔だ。泣き笑いのような。
ずっとエルの夢をサポートしていたい、それがケーナの変わらぬ望みだ。
アニマとしてスレイブとして秘書として恋人として、
そしてこれからは、妻として。
知らずケーナは立ち上がっていた。エルヴィスも当たり前のように席を立ち、彼女の躰を抱きとめていた。
一旦自室にさがったケーナは、間もなく装いも新たに扉を開いた。
「私を愛して……」
自分がこんな大胆な言葉を口にするとは、とケーナは耳まで紅潮させている。
しかし、もっと大胆なのはその衣装だ。
いつかのときのために用意していた、まるで水着のようなドレス、裸の上に水色のリボンをまとっただけのようにも見える。これが、彼女なりの冒険だった。
「素敵だ」
エルヴィスは彼女の耳に囁く。
「そうしよう。今夜は、うんと。朝まで」
エルヴィスとケーナはもつれるようにして寝室へ赴く。絡み合う指先が、互いの甘い疼きを刺激してやまない。
いくらか乱暴なくらい、どさっと音を立て寝台に折り重なる。
もう、服を脱ぐことすらもどかしい。
◇ ◇ ◇
翌朝、遅めに身支度したふたりは部屋を後にした。
本日これから、世話になっている人たちを訪ね結婚の報告をするつもりだ。
簡単にメールなどの通信で知らせてもいいのだけれど、こればかりはやはり、直接会って述べたいと思う。何人かは生徒にも会うだろう。
それに結婚式の準備もしたい。会場を探したいし予算も調べたいところだ。
ウエディングドレスも見てみようか。
「新たにやることがたくさん増えた」
想い人に顔を寄せ、エルヴィスは言う。
――そう。この、空で。
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空の皆が共に戦ってから数年、今私はアカディミアで時々講師として働いている
あの戦いで自らの名と想いを空に語った影響もあり、そういった方面から依頼が増えた
依頼を受けながらさまざまな船団を飛び回り『世界を知る』。それはこれからの長い生でずっと続いていくことだ
そして……
「おかえりなさい、エル」
「ああ、ただいま。ケーナ」
触れ合えるようになったケーナは今も私の秘書として…そして、恋人として共にある
キスを交わし、夕食を食べる
食事後、私はケーナにある想いを告げる
いつか技術が進歩し、アビスが無くなったら二人で地上を見に行こうと
そして…今、この場で
「ケーナ、私と結婚してくれないか」
彼女へと求婚する。
ケーナの嬉しさの涙と愛しい笑顔、その日私たちの想いは深く繋がった
深く愛しあい、翌日から世話になっている人たちに結婚の報告をする。結婚式の準備など、新たにやることもたくさんだ。
――この、空で
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依頼結果
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