When the Gray Turns to Blue.桂木京介 GM) 【難易度:とても簡単】




プロローグ


 彼女の鋭い眼差しを、宝石のようと讃う者もあるが、まるで磨ぎたての刃と厭う者もあった。
「落ち着いてご覧下さい」
 カメラに向かい語りかけているのは、メデナ議長【ルビー・トロメイア】である。クラシカルなワンレングスボブにした髪型、かすかな弧を描く細い眉、血管が透けて見えるような白い肌。まだ若いが、旅団連合【メデナ】の最高権力者だ。
 ヘブンリー・ロック・フェスティバルやカンナカムイでの事件から間もなく、その余韻を断ち切るようにメデナは、あらゆるメディアを用いて緊急放送を行った。
 内容は二つ。
 アビス領域で撮影された映像の公開と、非常事態宣言の発令だ。
 この時代、この世界に暮らす人々が漠然と抱いていた不安、それが現実となったことを示すものだった。
 すべての旅団の下に存在する黒い虚無【アビス】が、にわかに上昇を開始したというのだ。
「……ご覧いただいた通りの状況が、断続的な中断を挟みつつ、現在も進行中です」
 公開された映像にはおぼろげながら、巨大な黒い羊の頭部が浮き上がってくる様子も映り込んでいた。
「我々はこれを、暫定的に【シープヘッド】と名付けました。その正体は不明ですが、アビスの意志が実体化したものという観測が出ています」
 その観測を出したのは誰なのか、そう言える根拠は何なのか、それは口にしない。トロメイアは、このような表現のほうが大衆の不安を煽るものになることを知っている。
「アビスそのものが洪水となり、世界を窒息させようというのです。規模は、前年のブロントヴァイレス戦役など比較にならないでしょう。終焉の時は近い、そう言わざるを得ません……」
 と言い切って数秒、沈黙する。トロメイアは画面の向こうに、恐慌の気配を感じていた。
 やがて機を見て、再開した。
「もやは私たちは、座して滅びを待つしかないのでしょうか?」
 ここまでの静かな口調をかなぐり捨て、トロメイアは毅然と告げた。
「否! 断じて、否と申し上げましょう! この現象には原因があります。終末信仰を抱くカルト勢力がアビス領域を刺激、活発化させたことが明らかになっているのです」
 カメラがトロメイアの顔にゆっくりと寄っていく。無論これも彼女の指示だ。
「さらには、この危機に乗じて軍部(デレルパレル)の一部将校が、特定旅団と結びつき連合全権を掌握しようとしていることも判明しました。これは叛乱です……許すことはできません!」
 断定口調で締めているものの中身はまるで空虚だ。確定情報がないのでと弁明し、トロメイアは『一部将校』『特定旅団』、そのいずれも具体的に名を示さなかった。
 しかしこれで十分なのである。
 疑心暗鬼を生じさせ、内乱を発生させるには。
「詳細は改めて報告しますが、本日この時間より、一般市民の長距離移動には制限を課させていただきます。また、カルト勢力および内乱因子に関する情報をひろく募集したいと思います」
 最後に、とルビー・トロメイアは悲痛な表情で、目に涙すら浮かべて語った。
「……ブロントヴァイレス戦役の英雄【リン・ワーズワース少尉】が、叛乱者との戦いで命を落としたことを報告させていただきます」
 リン・ワーズワースのモノクロ写真が映し出された。飛行帽を被った少尉は、寂しげに微笑んでいた。
 トロメイアの演説はここで終了となり、非常事態宣言の詳細な情報解説へと放送は移るのだった。
 その後何度も、この放送は繰り返し流れることになる。
 
 ◆ ◆ ◆

 あなたとアニマは、どこでこの放送を見ているのだろうか。
 自宅で研究の手を止め、テレビ画面を眺めているのだろうか。
 臨時休校になった帰路、街角のワイドヴィジョンの前で足を止めているのだろうか。
 うつむき加減で買い物を続けながら、もう朝から三十回は聞いているトロメイアの口上にうんざりしているのだろうか。
 それとも、叛乱者とみなされ逃亡を続けながら、アニマがキャッチした通信でリン・ワーズワースと向かい合っているのだろうか。

 この時期のあなたとアニマが過ごす、短い一場面を切り取りたい。
 たとえ特殊な状況になったとしても、日常は存在するのだから。



解説


 日常系シナリオです。
 もちろんサスペンスフルになっても、追っ手との戦いがあっても、はたまたハートフルであっても、それが『この状況下での日常』であると主張されるのであれば、基本、全部受け止めてリザルトノベルにさせていただきます。
 なお、冒頭で描写したトロメイアの放送を観ている場面は必要ありません。『観ていない』というアクションプランでも大丈夫です。

 暗い雰囲気を吹き飛ばすように、明るく備蓄食料品を買いに出ている話、デートしている話も歓迎です。
 来たるべき最後の戦いのために準備しているというお話もいいですね。


《登場不可のNPCについて》
 以下のNPC(およびそのアニマ)と接触することはできません。
 つまり、このリストに載って『いない』人となら、会ったり話したりできることでしょう。
○リン・ワーズワース
○フラジャイルのマリア
○ドクター・リーウァイ
○ガウラス・ガウリール特佐(副官のニコラスも)
○イワン

※ルビー・トロメイアだけは例外で、『会うことは理論上可能』としています。トロメイアは現在非常に多忙ですので、納得できるような理由付けがない限り登場させられないでしょう。(逆に言えば、彼女を引っ張り出せるかどうかはあなたのロールプレイ力《ちから》の見せ所とも言えます)



ゲームマスターより


 マスターの桂木京介です! よろしくお願いします。

 いよいよ『のとそら』最後の日常系エピソードとなりました。同時に本作は、私の出す通常エピソードのラストともなります。
 正直、残念に思っています。もっともっと、やりたいことがありました。描きたいものがありました。
 みなさんも同様かもしれませんね……。

 ですが、その足りない思いを、せめてここでいくらか昇華させましょう。
 少々の無茶であればできるだけ工夫して通させていただきます! ご参加お待ちしております!
 (相談期間が短くてごめんなさい!)

 それでは、次はリザルトノベルでお目にかかりましょう。
 桂木京介でした。




When the Gray Turns to Blue. エピソード情報
担当 桂木京介 GM 相談期間 2 日
ジャンル 日常 タイプ EX 出発日 2018/5/12
難易度 とても簡単 報酬 なし 公開日 0000/00/00

 ブレイ・ユウガ  ( エクス・グラム
 ヒューマン | マーセナリー | 18 歳 | 男性 
ニュースが流れた時、お菓子やら食材などを土産に潮綾の元に来ていた
フェスの一件で綾も無何有郷計画を知ったから身の危険があるかもしれない

それから料理したり綾に稽古を付けて貰ったりして過ごす
夜になり、そろそろ帰る頃合にニュースの話題を切り出す

おそらく議長は近々計画実行のために動くはずだが、俺は議長を止めるつもりだ
死ぬかもしれないし、生きてても一生日陰暮らしかもしれない。そもそも無駄に終わるかもしれない
そんな道を行こうとしてるけど、俺は綾に一緒に来てほしいと思ってる

正直綾の意見を無視したひどい提案だ。だから無理強いはしない
それでもいいのなら、今日は帰らず悔いのないよう綾と一緒の時間を共有したい
 ヴァニラビット・レプス  ( EST-EX
 ケモモ | マーセナリー | 20 歳 | 女性 
◆目的
メデナ決戦に向けて地盤固め(広報活動)

◆行動
体制側のメデナの情報操作…悪者にされるのを避け味方を増やすため、地道に草の根やゲリラ放送などで真実を伝える広報活動とPR。
新衣装(空賊衣装)は赤と白カラーメインでヒロイックに、ただカラーだけでサンタやクリスマスの意匠はあえてなし。
『赤の戦乙女』『深紅の聖女』とか、そんな感じで。
(【三択弄す団】は尊重するが、そこで止まらず共に上を目指す…という意志表示)

PCからの対決希望、入団希望は全て受け取ります。

ただリンの事だけは…知らない者には『法を守る英雄として、逆賊にはなれないと誠実に戦い散った』と。
弱さは伏せ、最後まで英雄として葬られるように配慮を。
 羽奈瀬 リン  ( スピカ
 ヒューマン | ハッカー | 12 歳 | 男性 
※非常事態宣言を受けてバタバタ中

アビスが近づけば慌ただしくなるだろう、厳重なプロテクトへアクセスできるチャンスだよね
しかも現状に無関係な情報まで目を光らせる余裕はないよね

僕だって低レベルとはいえアビス感染者だ
リン少尉は比にならないが、わずかでもあの恐怖は知ってる
そんな彼女の恐怖やドクター・リーウァイの思いを利用して人殺しをさせようとしたこと
許すつもりはないよ
(…それでも相手はメデナ議長だ。懐に入り込むのは簡単ではないだろう
失敗したら一巻の終わりだ)

スピカはこんな状況でも、真っ直ぐ僕を信じてくれる
弱音をはいてる場合じゃないよね
「うん、行こうか」
 メルフリート・グラストシェイド  ( クー・コール・ロビン
 ヒューマン | スパイ | 14 歳 | 男性 
…こんな状況で甘味を手に入れられるとは僥倖だった。
しかも普段であればすぐに売り切れるやつだ。
上も下も大騒ぎだがこうして日常を続けるものがいるというのは僕にとっても救いだ。
…今後も続けてもらわねばならんからな。

なに、こういった時は堂々としている方がよほど安全だよ。
トロメイアが何を言おうが状況は変わらん。
ならばこの先も続く日常と旅の為に…英気を養うのは適切な行動だと思うが。

そう、どうせしくじったならば天に昇るか地に堕ちるかのどちらかでしかないのだ。
ならば先の事を考えておく方が精神衛生上もいい。
そうだな、地というからには空の下にあるものだとばかり考えていたが…
実は逆に空の上にある、というのはどうだ?
 スターリー  ( フォア
 デモニック | 魔法少女 | 23 歳 | 男性 
・目的

叛乱者として雌伏の時を過ごす

・動機

メデナの議長…真相を知っている俺達を指名手配犯として捕まえ処刑して、無何有郷計画を進めるつもりだろう
議長を仕留めたとしても、解決はしない…
計画を止めて、その後の混乱した世界を救えなきゃ意味はない。

もう、どうしようもないのか
打つ手はないのか、万策は尽きたのか
いや。


…”冷たい、音のない闇に同化していく感覚”か
そんなのは嫌だよな…誰だって嫌だよ。

少尉
だから、猶更計画は止めないといけねえよ。


・行動

シープヘッドを観測した情報を確認する為、研究施設へのテロを繰り返す日常を送っている。
観測結果が嘘だとして、それを公表する手立てはない。
だが次の一手に繋がるかもしれない。
 フィール・ジュノ  ( アルフォリス
 ヒューマン | 魔法少女 | 18 歳 | 女性 
・フィール


リン少尉、あんなことになっちゃって。

でも……なんだろう。まだ、何もかも終わったわけじゃない。ああ、でもお腹が…(グゥ)。もう、チョコも残ってない。
指名手配されてるかもだから普通の依頼も受けるな……なんて。


うう、アルの持って来る非合法依頼は変なのばっかだし、私の未来はどっち!?

・アルフォリス

ほれー、フィール働けー。今日も依頼じゃぞー。
今日は何と「逝く前に魔法少女とパフパフしたい」とか言う哀れな者共からの非合法依頼【ソラウシの牛乳掛け祭り】じゃー。豪華な食事もあるらしいぞい。

少尉からもらったチョコが切れた今、行くしかなかろ?



さて。あのトロメイア議長を引っ張り出すとするかのう。(極秘連絡)


参加者一覧

 ブレイ・ユウガ  ( エクス・グラム
 ヒューマン | マーセナリー | 18 歳 | 男性 
 ヴァニラビット・レプス  ( EST-EX
 ケモモ | マーセナリー | 20 歳 | 女性 
 羽奈瀬 リン  ( スピカ
 ヒューマン | ハッカー | 12 歳 | 男性 
 メルフリート・グラストシェイド  ( クー・コール・ロビン
 ヒューマン | スパイ | 14 歳 | 男性 
 スターリー  ( フォア
 デモニック | 魔法少女 | 23 歳 | 男性 
 フィール・ジュノ  ( アルフォリス
 ヒューマン | 魔法少女 | 18 歳 | 女性 


リザルト


●メルフリート・グラストシェイド
 ガスが充満し極限状態まで膨張した風船に、黒い針の一刺しがもたらされたかのようだ。
 メデナ議長【ルビー・トロメイア】の放送が流れると間もなく、世界各所で同時発生的に暴動や略奪、軍組織同士の衝突が勃発した。集団自殺への参加者を募るSNSの書き込み、発作的にアビスに飛び込んだ人々や、上司を射殺した会社員のニュースがあふれかえるも、わずか2日が経過する頃には、この程度であればいちいち報道されなくなっている。
「……人間なんて、もろいものね」
 手元に一括表示させたテレビ放映リストを眺め、【クー・コール・ロビン】は青白い溜息をついた。いつもアニメばかり放映しているお気楽な局ですら、暗い報道のみを流すようになって久しい。
「もろいわけじゃない」
 と【メルフリート・グラストシェイド】はつぶやくように言ったが、「じゃあ何?」とクーに問われると、まるで自分が空になった本棚のように、返す言葉がないことに気付いた。
 それでも、と穏やかに告げる。
「ログロムの、少なくとも居住区の治安は保たれている。それだけでも、人間すべてがもろいわけじゃない、という証明になると思いたいな」
 すでに暴威が荒れ狂い避難勧告が出ている地域もあるそうだが、技術旅団ログロムは比較的平穏だ。一部公共機関こそ機能停止しているものの、居住区内の店舗は軒並み開店しており、通りを行き交う人の姿もまま見られた。といっても皆、見えない死の使いに追い立てられているかのように急ぎ足で、何かといえば周囲をうかがい蝋のような顔色を見合わせるのである。
 けれどメルフリートは意図的にその不穏さを無視し、閑散とした商業施設に足を踏み入れるのだった。
 メルフリートが目指したのは施設内の洋菓子店だ。
 店内に入り、間もなく紙袋を左右の手に提げて出てくる。紙袋には、地上時代の騎士のごときロゴが箔押しされていた。
「……こんな状況で甘味を手に入れられるとは僥倖だった。しかも普段であればすぐに売り切れるやつだ」
 メルフリートの目に微笑がある。無理に作った表情ではない。
 日ごろなら『最後尾はこちらです』という立て看板が蜃気楼の彼方に位置するように思えるほど、長い行列ができる名店なのだ。それが今日は、並ぶはおろか他の客はゼロという快適すぎて寒いくらいの状況で、悠々と買い物を楽しむことができたのだった。
「ったく、こんな時にまで甘いもの?」
 クーは両の握りこぶしを、腰の両サイドに当てていた。
「お店の人まで呆れちゃってたじゃない」
 メルフリートは、一番人気であるチョコレートケーキをしこたま買い込んだのである。ケーキはドーム型で、厚めにコーティングされた表面を剥がすと、絹のように滑らかなチョコソースがとろりあふれ出すという逸品だ。甘すぎずビターなのも人気の理由だ。今日に限っては、ひとりいくつまでという購入制限はなかった。
「まあ、こんな時にまでお店を開けてるあの人たちも同じようなものだけど」
「上も下も大騒ぎだが、こうして日常を続けるものがいるというのは僕にとっても救いだ。……今後も続けてもらわねばならんからな」
 今後、という言葉が空虚に響いたように感じられたのは、メルフリートもどこか、弱気になっているからかもしれない。
 そんな彼のためらいを読み取ったのだろうか、フォローするようにクーは言葉を継いだ。
「今さら慌てるよりはいいのかもしれないけれどね」
 それより、とクーはメルフリートを見上げ眉をしかめる。
「顔、隠さないでいいの?」
「隠す?」
「そうよ」
 強盗みたいな覆面をしろと言っているのではない。サングラスなり伊達眼鏡なり、なんなら付け髭やマスクでもいい。なにかしら素顔を偽る工夫をしなくていいのか、とクーは言うのだ。
「あんまりそんなイメージないけど、あなた分類的にはスパイでしょう? 変装とかだってできるんでしょうに全然使わないんだから」
「ああ、そういう意味か」
 前衛詩の解釈を聞いた生徒のようにメルフリートはうなずくと、
「なに、こういったときは堂々としている方がよほど安全だよ」
 しごくあっさりと答えた。
 メルフリートは『リン・ワーズワース少尉殺害犯のひとり』として指名手配されていてもおかしくない状況だった。だがそのような動きは今のところなく、それゆえにメルフリートも気にはしていない。
「トロメイアが何を言おうが状況は変わらん。ならばこの先も続く日常と旅のために、英気を養うのは適切な行動だと思うが」
 今度はさいぜんとは違い、『この先も続く』という言葉に実感があった。
「来年のことを言うと鬼が笑うっていうわよ?」
 とクーは、からかうような口調で、
「でも、そうね。そういうことなら……長旅に必要なもののリストアップくらいはしておいてもいいかもね」
「頼む」
 先は長いと思う――そう答えたメルフリートにはもう迷いはなかった。
「要は今回のことが片付いたらまた旅に出るってことでしょう? 気を張り続けているより、そのほうが確かにいいわ」
「どうせしくじったならば天に昇るか地に堕ちるかのどちらかでしかない。ならば先のことを考えておく方が精神衛生上もいい」
 するっと駒鳥(Cock Robin)のように宙を舞い、クーはメルフリートの眼前に回り込む。
 額と額をぶつけるようにして、彼女は彼に問うた。
「で、どこを目指すの? 鬼をも笑わすスパイさん?」
「そうだな」
 夢想と言い切るのは簡単だ。
 しかし結局のところ探究者とは、夢想家のことにほかならない。
 そして新たな時代を創るのは、いつも夢想家だと決まっている。
「地というからには空の下にあるものだとばかり考えていたが……実は逆に空の上にある、というのはどうだ?」
「空のむこう、ってこと?」
「そういうことになる」
 と涼やかに語るメルフリートを見ていると、とてもではないがもうじき世界が終わるとか、アビスに覆われてしまうとか、そんな想像をするのは難しいとクーは思った。
 いいわ、とクーは声を上げる。
「なら、どこまでもお供しましょ!」
 メルフリートにとことんつきあう。
 たとえどんな終焉が待ち構えていようと。
 どんな未来が開かれていようと。
 それこそが自分の存在理由だと、クー・コール・ロビンは考えている。


●ヴァニラビット・レプス
 空は、薄く溶いた灰色をしている。
「はは……こんなことしてる場合じゃないのにね」
 もう笑うしかないではないか。
 だから【ヴァニラビット・レプス】は笑った。
 少しだけ、泣きたいような気持ちも込みで。
 ヴァニラビットのエスバイロは、戦場の遙か上空を横切っていた。
 眼下でぽっぽと炎の花が咲く、硝煙の匂いがうっすらと風に混じる。
 下で繰り広げられているのは、レーヴァテイン軍同士の内戦だ。対立する二派閥が、小さなきっかけで戦闘をはじめたというものである。勝とうが負けようがしょせんは同士討ち、得るものなどないというのに、醜い殺し合いを演じている。
 何のためにやっているのか。
 その力を少しでも、アビスに振り向けようという気持ちはないのか。
 蜘蛛の糸を巡り争う亡者たちより、もっと悲惨で絶望的なものを見た気がした。
「感傷的になっていますか?」
 彼女のアニマ【EST-EX(イースター)】が、いつの間にかヴァニラビットの隣に浮いている。例の超然とした、揶揄するような微笑を浮かべて。
 イエスと答えるのはしゃくに障るし、ノーと答えるのは片意地を張っているようで嫌だった。
 だからヴァニラビットは回答を避け、ところで、と意図的に話題を変えた。
「ネット上のPRはどうなってる?」
「代わり映えしませんね、数時間前と。つまり、情報戦という意味では明らかに劣勢です」
 と答えるイースターは、いつの間にか銀縁の伊達眼鏡をかけている。彼女が弦を人差し指で跳ね上げると、イースターを中心とした同心円状の空中に、大量のSNSや情報サイトが表示された。
「メデナ側から流される情報はやはり膨大です。臨時職員と思わしき数十の匿名アカウントが、24時間3交代ないし4交代制で休みなくデマをばらまいています。対立を煽ったり、特定勢力の排除を訴えたり……よく考えれば根拠がなく、ただ扇情的なものばかりだと気付きそうなものですが」
 イースターが映し出したどの情報窓にも、目を覆いたくなるような言葉が踊っていた。特定の旅団ないし地域を『裏切り者』と糾弾し『排除せよ』とわめき立て、『アビスに突き落とせ』と結ぶ。もっと直裁に『殺せ』と記したものも少なくない。
 効果は絶大です、とイースターは冷静に述べた。
「こうした強い言葉は届きやすいものです。メデナ側のメッセージに乗せられ、頼まれもしないのにその孫コピーのようなものをアレンジし拡散している一般人も少なくない……それも、自主的に」
 自主的に、という言葉の重みに、ヴァニラビットは唇を噛むほかない。
「……それでも味方を増やすには、地道に草の根やゲリラ放送などで真実を伝えるしかないわ。イースター、こちらからの情報発信は継続して」
 アビスの危機、メデナ最高会議による【無何有郷(ユートピア)計画】、ミルティアイ爆破未遂事件、そうした情報をイースターはずっと流しているのである。無論、メデナ側と比べればその量は、何百分の一、いやさ何千分の一の規模であろうが。
「蟷螂の斧、ですね」
 冷ややかにイースターは言った。一瞬、ヴァニラビットは鼻白む。
 しかしイースターは、こう付け加えるのも忘れなかった。
「それでも私、イースターは蟷螂の斧でありたいと思います」
「イースター……」
 むしろ感傷的なのはイースターかもしれない、ふとヴァニラビットは思ったが、口には出さずにおいた。
「ところで、いいのですか? リン・ワーズワース少尉についてはご指示の通り、『法を守る英雄として、逆賊にはなれないと誠実に戦って散った』という情報しか発信しないようにしていますが」
 真実を明かさないでいいのか、イースターはそう言っている。
「そのままで、お願い」
 リンの弱さを暴き立てて何になろう、それがヴァニラビットの考えだった。
 世界は今こそ、『英雄』を必要としているのだから。
 戦闘空域が見えなくなった頃、
「カシラ!」
 イースターの周囲からSNS関係の小窓がすべて消え、代わりにヴァニラビットの正面にひとつ、大きめのスクリーンが表示された。
 スクリーンの向こうでは、顔の半分以上にタトゥーを入れた悪相の持ち主が、ぎざぎざした歯を剥きニイっと笑っていた。
「カシラの服があがりやしたぜ!」
 へへへ、と心底嬉しそうな声で言う。彼は頭に、あみだにしたサンタクロース帽を被っている。衣装もサンタそのものだ。
「姉御、カシラとつながりやした!」
 男が引っ込むとかわりに、セクシーなサンタ衣装を着た【マッチ売りの症状】が顔を出す。
「団長着ができたってさ。このバカどもが『早く着てもらいたい』ってうるさくてねェ……団長、そろそろ戻っておいでよ」
 見てくだせぇと声がして、さっきの男が白いサンタ袋から服を引っ張り出した。
 マッチ売りの症状が身を引くと、衣装が大写しになる。
「注文通りね」
 ヴァニラビットはうなずいた。
 赤と白をベースにした薄手のコンバットスーツである。ガンベルトがしつらえてあり、腰には小さなポケットもついている。機能性重視ながら見栄えは上々だ。サンタやクリスマスの意匠はあえて外していた。『赤の戦乙女』とか『深紅の聖女』とか、そんな風に呼びたくなる。
 サンタクロース風のコスチュームにしなかったのは、ヴァニラビットの強い要望があってのことだ。これは彼女の、【三択弄す団】は尊重するが、そこで止まらず共に上を目指す、という意思の表れである。
 待ってるよ、というメッセージを残して通信は切れた。
「もしかしてバカっぽい?」
 辛辣な回答も予想しながら、ヴァニラビットはイースターに顔を向けた。
「いいえ。抵抗のシンボルたるには、これくらい鮮烈でちょうどいいでしょう」
 なんならお揃いに着替えてさしあげましょうか? とイースターは冗談か本気かわらかぬことを言う。
 シンボルね、とヴァニラビットは微苦笑した。
「少尉に呪いをかけられた気分だわ。私も結局、道化をやってる……」
 さて、とヴァニラビットはアクセルを踏み込んだ。
「生きるか、死ぬか、世界と共に滅びるか……また三択ね」
「願わくば、最良の選択がなされんことを」
 イースターにしては珍しく、皮肉っぽさのない口調だった。
「……今までありがとう、イースター」
 エスバイロは一気に加速した。


●フィール・ジュノ
 ひもじいなあ、と【フィール・ジュノ】は思うのである。
 なんというか、心がひもじい。
「そう思わない?」
 と【アルフォリス】に問う。
「何を言いおる」
 アルフォリスはフンと鼻息で返した。
「アイドルは人の心を満たす存在。おのれの心が飢えておってどうする!」
 もっともではある。けれど、とフィールは言わざるを得ない。
「リン少尉、あんなことになっちゃって……世界も……」
 あれ以来世界は大変なのだ。フィールの周辺に限っても。
 フィールが暮らす旅団カンナカムイは、風光明媚な観光地として知られるが、同時に宗教的権威の土地でもある。
 非常事態宣言以降、宗教に救いを求める人々が大量に押し寄せ、それを狙ったテロが発生して危険度は加速度的に高まっていた。巡礼者同士の小競り合いが殺人に発展したという話も続発しており、おちおち外も出歩けない。
「フィールも指名手配犯らしいからのう」
「他人事みたいに言わないでよー」
 レーヴァティンでは激しい捜査が行われているらしい。幸か不幸かカンナカムイはそのレーヴァティンとの対立を深めており、情報は共有されていない。
「だから普通の依頼は受けないほうがいいんだよね……」
「いつ逮捕されてもおかしくないからな。フィールはミニスカートをはきエッチなおじさんを逮捕する側であって、逮捕される側ではない!」
「それじゃ変なイメクラじゃない!」
 このとき、グゥとフィールの腹の虫が鳴いた。
「リン少尉がくれたチョコ、大事にとっておけば良かった……心だけじゃなくてお腹もひもじいなあ」
 このように表だって活動できないこの頃、フィールはアルフォリスがどこからか見つけてくるアングラな依頼で糊口をしのいでいる。
 本日も身を隠すように顔まで隠れるフードを着てエスバイロに身をかがめ、仕事先に向かっているところなのだった。
「今日は何と『逝く前に魔法少女とパフパフしたい』とか言う哀れな者どもからの非合法依頼【ソラウシの牛乳掛け祭り】じゃー。豪華な食事もあるらしいぞい!」
「ちょっとー! 聞いてないよ! それ変なイメクラより酷くない!?」
「食料が尽きた今、行くしかなかろ?」
「もう帰りたーい!!」
 ギャース! その後フィールが『仕事』に悶絶するなか、アルフォリスは密かに『営業』を開始していた。
 フィールを業務で動けなくするのはアルフォリスの企みであった。本題はこちらなのだ。
 それにしても元手がかかったことだ。
「非合法依頼で稼いだ金の何回分になるかのう……」
 ぶつぶつ言いながらアルフォリスは、あるルートから購入した連絡先に通信を試みた。(フィールの)汗と涙で仕入れた貴重な連絡先だ。無駄にはできない。
 相手は、現在カンナカムイの仮想敵旅団のレーヴァテイン、しかもその中央にあるメデナ本部への通信であるせいか、なかなかつながらない。
 まさかガセをつかまされたか、と思ったとき、音声が飛び込んできた。
「どなた……?」
 女性の声だ。聞き覚えがある。
 当然だろう。非常事態宣言の放送で、何度も聞いた声である。
 おっと、とさすがのアルフォリスも面食らった。暗号メール回線を開いて文書だけやりとりするつもりが、音声回線にぶち当たるとは。ガセどころか、値千金の買い物だったかもしれない。
 ……もちろん、相手が本物のルビー・トロメイアであれば、の話だが。(映像が出ないのが残念だ)
 アルフォリスは言葉を選びながら言う。
「トロメイア議長か? 我じゃよ」
 相手は否定しない。よし本物! アルフォリスは小躍りして続けた。
「この回線にかけるのは久々になるのぅ」
 などとしれっと言う。
「失礼ですがどなたでございましょう? 私に直通回線を開ける人はそう多くないはずですが」
 まずい! アルフォリスは即本題に入ることにした。
「まずはお悔やみ申し上げる。リン・ワーズワース少尉のことじゃ」
「リンの……?」
 トロメイアの声のトーンが変わった。
「……それは、ご丁寧にありがとうございます」
「リンは英雄の名にふさわしい者じゃった。悲しみに暮れているのはおぬしや我だけではないぞえ。旅団を超えた存在としての彼女を喪失したことが、こたびの内乱状態を招いたとすら我は思うておる」
「……」
 返答がないが、ここはたたみかけていきたい。
「そこでじゃ」
 とアルフォリスは声を強めた。
「議長、新しい英雄がほしくはないかの? 民衆はアイドルを求めるものじゃ」
 ちょうど良い人材がおってのぅ、とますます饒舌になる。
「先のブロントヴァイレス戦役にて、最大の敵グレーターブロントヴァイレスを撃破した少女がおるのじゃ」
 ここには本当は『(最終的に)撃破した』という但し書きが入るのだが意図的に省く。
「フィール・ジュノと申してのぅ。歌、トーク、セクシーの三拍子が兼ね備わった天性のアイドルよ! どうじゃ、フィールは『失われた英雄の代わり』に使えるとは思わんかね?」
 ここが売り込みの勘所(かんどころ)に違いない。
「指名手配されとるなら解除してシープヘッド討伐に担ぎ出すのじゃ! 報酬は単純じゃ。フィールが一流の魔法少女として世界的に有名になれば良い。あ、桃色サービスシーンは増量するのじゃ。世界の意思じゃからして!」
 よし、とアルフォリスは思った。
 フィールは嫌がるかもしれないが、メデナ側に取り込まれるのもひとつのサバイバル術だろう。そもそもアルフォリスは正義や悪という二元論にはこだわりがない。強いて言えば、フィールを受け入れる側が正義だと考えている。
 無何有郷計画公認アイドル! 大いに結構ではないか!
 ところが返ってきたのは、
「どこのどなたか存じませんが、ふざけるのもたいがいにしてくださいません?」
 明らかに怒気を帯びたトロメイアの声だった。
「逆探知しなさい! すぐに軍警察を差し向け……」
 トロメイアの声は自分のアニマか部下か、とにかく明確な害意をもって第三者に命令しているのがわかったので、アルフォリスは早々に接続を遮断した。
「難しいのぅ……」
 ぽりぽりと頬をかいていると、
「なにが難しいって……?」
 ソラウシ牛乳でびしょびしょになったフィールが、とぼとぼと帰ってくるのが見えた。
「うう、アルの持って来る非合法依頼は変なのばっかだし、私の未来はどっち!?」


●スターリー
 ミルティアイ爆破未遂事件が起きた後、意外にも多くの旅団では容疑者捜査への動きは起こらなかった。
 事件後間もなく非常事態宣言が発令され、それどころではなくなったという見方もできるだろう。それは間違いではない。
 正確なところを記せば、旅団間の緊張、内戦状態が発生したことで、旅団によって対処に差が出たというのが真相に近い。
 比較的穏やかなログロムでは捜査の動きは鈍く、当事者ながら傭兵隊同士の内乱のほうが大きな問題となってしまったミルティアイでは、捜査そのものが動き出さなかった。
 しかし、激しい捜査が行われた地域もある。
 それが、メデナのお膝元でもあるレーヴァテインだ。
 舌打ちして【スターリー】は、エスバイロから幌を捨て去った。
「テロリストだ! 手配犯『スターリー』、発見!」
 周辺から次々と、軍警察のロゴが入ったエスバイロが急襲してくる。轟然たるサイレン音だけでもう、スズメバチの巣に頭を突っ込んだような気持ちになった。
 ――手配犯『スターリー』、な。俺も有名になったもんだ。
 体重をかけてスロットルを回す。
 たちまちマシンは馬のように竿立ちになり急上昇した。ほとんど垂直上昇、まるでロケットだ。
 スターリーの機体を、黒衣を、鉛玉が掠めて飛んだ。
「連中、警察学校で『逮捕』『拘束』という言葉を習わなかったのか」
「か……」
 機体にシンクロしながらも、【フォア】は言わずにはおれない。
「軽口叩いている場合ですかっ……!」
「軽口でも叩いてないとやってられねえよ」
 水平飛行に戻るとスターリーは手早くダッチロールをかけ、追っ手を混乱に陥れた。軍警察は軍の下部組織、大抵は下っ端が配属される。本式の軍人と比べると、食いつく牙が貧相だ。
 追っ手をふりきると日没に紛れつつ居住部を突き抜け、スターリーは旅団の底にあたる下ブロックまで一気に降下した。廃工場地帯にエスバイロを滑り込ませる。
 何分、そうしていただろうか。
「撒いたか」
 食料確保も一苦労だ、そうぼやいてスターリーは、マシンに積んだザックから硬いパンを取り出した。
 桃色の髪をひょこっと出して、おそるおそるフォアも小屋を出る。アニマだからプライベートモードにすればいいだけの話だろうに、こんな人間じみた仕草をするあたりが、フォアのフォアらしさだとスターリーは思った。
 指名手配犯、という画像データを取り出すと、逆光気味に撮影されたスターリーの顔を眺めフォアは溜息をついた。
「重罪犯扱いですか……メデナは、どうしても私たちを消すつもりですね」
 まあな、とスターリーは言った。
「真相を知っている俺たちを処刑して、無何有郷計画を進めるつもりなんだろう」
 スターリーの隣に、ちょんとフォアは腰を下ろした。自分も(データ上の)パンを取り出してほおばる。
「だったら逆襲するというのはどうでしょう? いっそトロメイア議長を襲撃して……」
「フォア、最近過激なことを言うようになったな」
「おかげさまで」
「俺に似た、ってのか。言ってくれるよ」
 それはそうと、とスターリーは天井を見上げた。旅団の下ブロックは飛空挺内部であり、空はなく錆色のプレートしか見えない。
「議長を仕留める、って案には賛同しかねるな。少なくとも今は」
「なぜです?」
「トロメイアを討っても計画は止まらないからだ。計画を止め、その後の混乱した世界を救えなきゃ意味はない」
「なら夜陰に紛れてログロムにでも逃げません? あの地域なら指名手配データも共有されてないみたいですし……」
「それもいただけない。計画を潰すには、計画の真下にいるのがいいんだよ。つまり、メデナ議会のあるレーヴァテインがな」
 非常事態宣言が出て以来、スターリーは【シープヘッド】の観測情報を確認すべく、研究施設へのテロを繰り返す日常を送っている。
 観測結果が嘘だとわかったとしても、それを公表する手立てはない。だが次の一手に繋がるかもしれない、そう考えていた。
 外はもう日が暮れているだろう。光源に乏しい下ブロックは、見る間に闇へと染められていく。この辺りは無人のはずだが、どこからか野犬の遠吠えが聞こえてきた。
 薄気味悪そうに腕をさすりつつフォアは言った。
「じゃあ、どうするんです?」
「わからん」
 エスバイロの上にスターリーは背を横たえた。
「打つ手はないのか、万策は尽きたのか……」
 泣いているリン・ワーズワース少尉を思いだした。
 何が起こったのか理解できない、という表情のままリンは足を滑らせ、大空へ落ちていく――。
「『冷たい、音のない闇に同化していく感覚』か。そんなのは嫌だよな……誰だって嫌だよ」
「少尉のこと、思いだしたんですね」
 ああ、とスターリーはつぶやいた。
「だからこそ、計画は止めないといけねえよ」
 アビスかと錯覚するほどの濃い闇が、スターリーとフォアを包み込んでいる。
 もう、何も見えない。
「最後の最後まで切った張った、挙句に追われる身か」
 スターリーは自嘲するように言った。
「平和な日常ってのがついぞ訪れないままだったが……お前が相棒で良かったよ」
「いきなりなんです?」
「誰よりも気が利いて、誰よりも聡明で、誰よりも厳しくて、誰よりも優しかった。誰よりも、俺を見てくれていた」
「急になんですか、もう」
 フォアの顔は見えないが、きっと桃色に頬を染めていることだろう。
 スターリーを饒舌にしているのは闇だろうか。
 それとも、迫る最期の予感か。
「フォアが支えてくれなければ、十年前にアビスに感染した時に俺はダメになっていた。だから良いカッコ見せようと、支えられなくても大丈夫な男になろうと、肩肘を張ってキツい態度で当たってしまっていた」
 すまんな、とスターリーが告げると、フォアは穏やかに返すのである。
「知ってましたよ」
「なに、俺が言いたかったんだ、もう少しだけ聞いてくれ」
 いつの間にかスターリーは身を起こしている。
 闇の中見えないフォアに腕を伸ばすようにして、言った。
「もし、事件が解決して言うことなしのハッピーエンドが待っていたら……ふたりで、今までの時間を取り戻したい」
「大丈夫です」
 懸命に涙をこらえるような声色でフォアは言った。
「大丈夫です。幸せになりましょうね、ふたりで」
「ずっと」
「ずっと」


●ブレイ・ユウガ
 良かった、と【ブレイ・ユウガ】は胸をなで下ろした。
 広い武家屋敷に駆け込むと彼は、今ではここの唯一の住人となった【潮綾(うしお・あや)】の姿を探したのだった。そうして離れの剣術道場、最奥に用意された畳敷きの床の間に綾がひとり、白い着物姿で正座しているのを見つけたのである。
「連絡もなく上がり込んですまん! ニュースを聞いてすぐ来た!」
「ニュース?」
「さっきトロメイア議長が……」
 ここで【エクス・グラム】が姿を見せ、
「観てもらったほうが早いよ」
 と、データベースに保管した映像を空中に表示させた。
「フェスの一件で綾も無何有郷計画を知ったから、身の危険があるかもしれないと思ってさ」
 綾は無言でブレイを見ている。
 ことの重大さに言葉もないのだろうか。しかし綾はブレイが踏み込んだときからずっと、冷めたような目をしている。
「今日は一日、ここで過ごして構わないか。もちろん夜には帰る。話したいことがあるんだ」
 思いだしてブレイは片腕を上げた。提げたビニール袋に食材や菓子類がぎっしりと入っている。大慌てで詰め込んできた土産品だった。
 綾が立ち上がった。やはり無言で。
「稽古も付けてほしいし、寿限無とも話したい、それに……」
 沈黙を埋めようとするかのようにブレイは言葉を重ねた。
 綾は音もなくブレイの正面に立つ。息がかかるほど近い。
 近くで見るとますます美人だ――不謹慎ながら、ブレイはそんなことを考えてしまう。
 けれどその幸せな気分は、一瞬で霧散した。
 烈しく冷たい音を立て、綾はブレイの頬を張り飛ばしたのである。
 武道の心得がある綾である。瞬時聴力が消え足元がふらつくほどの衝撃があった。
 それでもブレイには、痛みよりも綾の行動への驚きのほうが大きかった。
「約束したじゃない!」
 綾は、道場が揺れるほどの大声を上げていた。
「イワンを止める、って! 『殺してでも止めて』って私、頼んだよね! ブレイはそれを、引き受けてくれたよね!」
 なのに、と顔を上げた綾に涙はなかった。しかし彼女が哭(な)いているのだと、ブレイは知った。
「あなたは逃がした! 殺す機会はあったはずよ!」
 綾のアニマ【寿限無】が飛び出して綾にすがろうとするも、エクスがこれをさえぎり、黙って首を振った。
「どうして……」
 と言ったきり、綾は声を詰まらせている。
 ブレイは下を向くしかない。
 綾の言っていることは、わかる。
 リン・ワーズワース少尉、イワン、一騎当千のネメシス兵団員たちを相手に、ヒンメル軌道リングを破壊できないという縛りのある状況で敵味方混然となって戦ったのだ。『力が及ばなかった』という弁明もできただろう。
 しかしブレイは弁明しない。する気もない。
 なぜなら彼自身、あのときイワンを殺傷するのに迷いがあったこと、それを否定できないからだ。
 決死のダッシュアクセルを発動した直後、ブレイはイワンの懐に飛び込んでいた。間合いは零(ゼロ)、致命傷を与えることはできた。
 なのに行わなかった。
 恩義ある相手に対し、「弾を当てないでおくから逃げろ」と義理を果たそうとしたイワンに、情け容赦ない一撃を与えることを逡巡した。
 イワンは綾の同門、おそらく兄妹同様に育ってきたに違いない。だからこそ綾は苦しみながら、「殺してでも」と言ったのだ。その想いを汲み取ったことも、ブレイを鈍らせていた。
 もしかしたら綾はイワンのことを――とも、考えた。
 だから決定的な機を逃した。逃してしまった。
 綾とて武芸者、ブレイのためらいを見抜いたに違いない。それゆえの怒りだ。
 これは罰だ。俺の弱さが、彼女を苦しめた。
 あえて受けよう。
「……言い訳はしない。気が済むまで撲ってくれ」
 ブレイは両手を背後に回した。
 綾のことだ、徹底的にやってくれるだろう。
 ――そういう生一本なところが、俺は好きなんだ。
 自分の気持ちを確認したような気がして、むしろ晴れがましくブレイは思う。
 ところが。
「……もういいわ」
 ブレイの胸を固めた拳で突くと、綾は竹刀を立てかけた壁に向かったのである。
 立ち尽くす彼を振り返り告げる。
「稽古でしょ?」
 ほっとした様子で、寿限無がエクスに笑いかけていた。

 存分に汗を流すと風呂を借り、その後は厨房に並んで、ブレイは綾と料理をした。綾の壊滅的な料理の腕にブレイは目を白黒させる。いつの間にか綾からは、自然な笑いも漏れていた。
 夕食の片付けも済み、八畳の和室に綾はブレイを招き入れた。
「そろそろお暇するが、その前に」
 ブレイは正座した。
「俺の覚悟を伝えておきたい」
 どうぞ、と綾はうなずいた。
「おそらく議長は、近々計画実行のために動く。俺はそれを止めるつもりだ。死ぬかもしれないし、生きてても一生日陰暮らしかもしれない……そもそも無駄に終わるかもしれない」
 すでに抱いていた言葉だ。まっすぐに口から出る。
「そんな道だが、俺は綾に一緒に来てほしいと思ってる。正直綾の意見を無視したひどい提案だ。無理強いはしない。それでもいいのなら」
 とブレイが言いかけたところで、綾はにじり寄って彼の手に自分の手を重ねた。
「当然、私もそのつもりよ」
「それと綾、俺は」
 一人の女性として綾が好きだ、そう伝えるつもりだった。
「先に言わせて。私は、イワンに恋慕していた。彼は……女性を愛せない男性だったから、決して叶う気持ちではなかったのだけど。それに、彼の参加するあの計画は絶対に認められない」
 だから私は、と綾は言った。
「ブレイ、あなたにイワンを殺してもらいたかった。想いを断ち切りたかった。でもそれは卑怯だとわかった。さっきは、ごめんなさい」
「いいんだ。なら決着は、ふたりで付けよう」
「必ず」
 それに、と綾は急にうつむいたのである。
「私の想いはすでに断ち切れていたということも、やっとわかった」
「綾……!」
 やめて恥ずかしいから、と頬を赤らめながらも、綾はブレイと繋いだ手を放さない。
「帰らないで……ブレイ。『その日』まで、ここにいてほしい」
「そうさせてもらうよ」
 かすかな声で、ブレイは彼女になにか耳打ちした。
 そこから先は、作者も知らない。
 
 襖の向こうで衣擦れの音が聞こえるが、エクスと寿限無はさすがに立ち入るのを遠慮する。
 アニマ二人は、うなずきあって姿を消した。


●羽奈瀬 リン
 非常事態宣言の発令、これにともなう警戒態勢の発動……一気にきな臭くなる状況の中、むしろこれ幸いと活気づく家屋があった。
 ログロム郊外に位置する屋敷、羽奈瀬邸だ。
「そう、全部並べて。出力は最大レベルといいと思うよ」
 と、【羽奈瀬 リン】は屋敷の奉公人たちにてきぱきと指示を出している。
「予備電源の確保はできた? うん、倉庫においてあるものも出しておいて」
 リンの命を受けるたび、「はっ!」「ただちに!」と執事もメイドたちも、戦場で橋梁建設中の工兵部隊のようにきびきびと動く。舞踏会がひらけるほど広い邸内ホールに、機材が櫓のように組まれていった。
 ぷう、と頬を膨らませながら、【スピカ】がリンの元に戻ってきた。
「さっき執事さんに『何か手伝うことありませんか』って訊いたら、邪魔者あつかいされたわ。ひっどーい!」
 憤懣やるかたないというように、スピカは雪色の髪を手でいじっている。
「ははは、彼だって悪気はないんだ。スピカはただここにいてくれればいいんだよ」
「そんなこと言ったって……」
 どうもお人形扱いされているようで、スピカは釈然としない。
「彼らもプロだからね」
「プロって? 家事の?」
 いいや、とリンはいたずらっぽく言った。
「見てごらんよ、いま、何が組まれていると思う?」
「避難通路とか対暴動用のバリケードじゃ……?」
 あっ、とスピカは口を手で押さえた。
 隙間なく積み上げられているものはすべて高度な電子機器ではないか。大型コンピュータが多数、それも、超高性能のものばかり。無線機もある。盗聴器としか思えないものもある。他の装置については見当も付かないが、少なくとも単なる防護壁には見えない。
「もしかして今のこのバタバタは全部……ハッキングの準備!?」
 そうだよ、とリンは夕食の献立を明かすような気楽さで答えた。
「今って、何年、いや、何十年に一度のチャンスじゃないかな。アビスが近づいて慌ただしいからこそ、厳重なプロテクトへアクセスしやすくなっている。しかもメデナだって、現状に無関係な情報まで目を光らせる余裕はないよね」
 はっとなりスピカは執事、それにメイドたちをぐるりと見渡す。
「ということは……もしかして……」
 誰もが整然と、しかも手早く装置をセッティングしているではないか。
「羽奈瀬家の執事やメイドってみんなハッカーだったの!?」
 言葉以上に雄弁な微笑みを、リンはスピカに返すのみだ。

 ホールすべてを用いたハッキングシステムが組み上がると、その中央に置かれた革張りのチェアにリンは腰を下ろした。
 数秒前までのにこやかさは消え、真剣そのものの眼差しとなる。
 ヘッドホンを装着しディスプレイ代わりのゴーグルを下ろすと、リンはその主電源を、入れた。
(調べるんだね……トロメイア議長のことを)
 リンの集中を乱さぬよう、スピカはプライベートモードをとって、直接彼の脳に語りかけていた。
 こくりとリンはうなずいた。目の前に、広大無辺のサイバー空間が拡がっていった。基調となる色は濃いブルーだ。
 暗いプールに潜水する感覚で、リンはデータの集積に飛び込んでいった。
 議長ルビー・マリエンヌ・トロメイアの半生には謎めいた部分がある。
 大政治家ルドルフ・トロメイアの一人娘として華やかに社交界デビュー、優秀な成績で大学院を修了するなり政界入するとたちまち頭角を現して複数の重要ポストを歴任、やがて父ルドルフが死去すると、あらゆる工作を用いてその影響力を継承、ついには三十代にして、史上最年少でメデナ最高議会の議長に就任した。
 モデル並みの美貌を有し、ファッション誌の表紙を飾ったこともある。
 現時点でも独身であり、恋人発覚などスキャンダルの過去はない。
 各時代のトロメイアの姿が映像、ときに動画を伴いながら、リンの横を流れては去っていった。
(経歴が綺麗すぎる……それなのにトロメイアが非合法な手段を躊躇なく使うのは、そこに後ろ暗い何かがあるからじゃないのか)
 トロメイアの経歴を洗うというのは、その政敵が幾度となく試みたことだろう。だがこのタイミング、しかも、羽奈瀬家の総力をかけたハッキングだ。普段は隠れているものが見つかってもおかしくはない。
(僕だって、低レベルとはいえアビス感染者だ。リン少尉とは比にならないけれど、わずかでもあの恐怖は知ってる……そんな彼女の恐怖やドクター・リーウァイの思いを利用して人殺しをさせようとしたこと、許すつもりはないよ)
 我知らず、リンの肌は粟立っていた。アビスの恐怖を考えるだけで起こる反応だった。一度目の世界とはいえ、それを魂の底から味わった少尉の抱いた絶望は、察するに余りある。
 リンは唾を飲み込む。
 それでも、とリンは思うのだ。
 それでも相手は相手はメデナ議長だ。懐に入り込むのは簡単ではないだろう。
 失敗したら、一巻の終わりだ。
 サブコントロールを担当する執事に一声かけ、リンはデータあふれる深海の、さらに奥部へと潜っていった。
 ――ただここにいてくれればいい……か。
 リンを見守りながらスピカは息を詰めていた。
 感覚共有しているから、リンの緊張感が伝わってくる。彼が見ているものも見える。
 リンはある混沌地帯に行き当たっていた。
 一見無意味なデータの羅列、しかしあまりにそれが多い。
 混沌はトロメイアの政治活動ではなく、彼女が中学生から高校生頃の記録を覆っている。彼女の政治活動だけを調べていては、見つけることはできなかっただろう。
 リンの額に汗が浮かんだ。ここで下手に動けば、メデナに知られる恐れがある。そればかりか、データの海に取り込まれて、直接ハッキングしている自分の脳に障害が及ぶ危険性すらあった。
 しかしそのためらいを破ったのは、ほかならぬスピカの声だ。
(大丈夫。みんなを信じて……私も信じているから。さぁ、行くわよ!)
 スピカに背中を押されたように感じ、リンは錐揉みしながら混沌に飛び込んだ!


●ルビー・トロメイア
「リン……」
 羽奈瀬リンはのけぞりそうになった。
 トロメイア議長がこちらを見ている。しかも自分を呼んだのだ。
 だが間もなくリンは落ち着きを取り戻した。
 トロメイアの焦点はこちらに合わさっていない。動画の中の彼女は、もっと奥を見ているらしい。
 一目でそれとわかる美貌だが、まるで別人の様相だった。トロメイアの姿は現在よりずっと幼い。十三、四歳だろうか。やつれた顔をしており白い服を着ている。髪もばさばさしており冴えない。正確な場所は特定できないものの、彼女はいま、病院のベッドの上にいるようだ。
「リン」
 トロメイアはもう一度呼びかけた。両腕を伸ばしなにか受け取る。
 大切そうに胸に抱くと、トロメイアは赤ん坊に顔を向けた。
 ほとんど髪の生えていない、小ぶりな新生児だった。タオルにくるまれてこんこんと眠っている。まだ産まれて数日といったところだろう。顔に黄色い染みがうっすらと残っていた。小さい鼻が愛らしい。
 トロメイアがそっと指先で手を握るも、赤ん坊は反応しなかった。
 このときトロメイアの片目から、ひとすじの涙がこぼれた。
 だが顔を上げたとき、トロメイアはすでに、『現在』の彼女と同じ鋭い眼を得ている。
「どうして、この子を育ててはいけないとおっしゃるの!?」
 幼く弱々しい姿だというのに、トロメイアの口調には、我が子を守ろうとする母猫のような獰猛さがあった。
「ワーズワース? そんな偽名は要りません! この子は……【リン・トロメイア】は、あなたの『娘』、そして『孫』でもあるのですよ!」
 映像元は病院の監視カメラらしく、相手の反応までは見えない。
「そして私の……私の……『妹』であり…………『娘』……ですのに」
 トロメイアは赤ん坊を抱いたまま慟哭した。
 起きてしまったのだろう、か細く『リン』が抗議の声をあげはじめた。


 突然、数日前放映された非常事態宣言を羽奈瀬リンは思いだす。

「……および内乱因子に関する情報をひろく募集したいと思います」
 最後に、とルビー・トロメイアは悲痛な表情で、目に涙すら浮かべて語った。
「……ブロントヴァイレス戦役の英雄【リン・ワーズワース少尉】が、叛乱者との戦いで命を落としたことを報告させていただきます」

 ……。

 ルビー・トロメイアは悲痛な表情で、目に涙すら浮かべて語った。
 ……。

 目に涙すら浮かべて語った。
 ……。
 目に涙すら


(あの涙は……演技じゃなかったんだ………!)


 このとき突然、サイバー空間がねじ切れるようにして閉じ、視界が暗転した。外部から切断されたのだ。
 リンはゴーグルとヘッドホンを外す。光が眩しかった。
 スピカが黙って、隣に座ってくれた。




依頼結果

大成功

MVP
 ヴァニラビット・レプス
 ケモモ / マーセナリー

 羽奈瀬 リン
 ヒューマン / ハッカー

作戦掲示板

[1] ソラ・ソソラ 2018/05/07-00:00

おはよう、こんにちは、こんばんはだよ!
挨拶や相談はここで、やってねー!  
 

[3] スターリー 2018/05/11-21:52

さあてな、あの場に居た奴は皆指名手配じゃないのか。

…なるようにしかならんが、まだ流れに逆らって動く事はできる。
後悔しないようにな。  
 

[2] ヴァニラビット・レプス 2018/05/10-21:24

あまり時間はないし、相談する事もないけど一応。
ケモモの元マーセナリー、リン・ワーズワース少尉殺害実行犯の空賊ヴァニラビットよ。

…どうしよっか

(ヘタレPLより…絡みとかPvPとか受けてたちますが、あまり期待しないでください。そんな強くないです。個人では戦力調達とか衣装変え(!?)とか地味にやってると思います)