プロローグ
新たな世界にようこそ。
新たな幕開けにようこそ。
新たな人生に……ようこそ。
足元に地上はなく、暗黒の【アビス】だけが広がっているこの時代に、
だけど見渡せばどこまでも大空で、どんな場所にだって行ける、この時代に、
一人ではなく、文字通り終生のパートナー【アニマ】とともに降り立ったあなたに、心から『ようこそ』と言いたい。
この世界には魔法が存在する。高度なテクノロジーも存在する。とりわけテクノロジーのほうは、都市を丸ごと積んだ巨大航空機を空に浮かべるレベルにまで達するものだ。『人類』という言葉にしたって、いわゆる人間(ヒューマン)のみならず、エルフ、ドワーフ、ケモモ、デモニック、フェアリアのすべてを含んだ総称だ。
だがこれほど豊かな文明も、地上を襲った【アビス】という脅威の前には、なすすべもなかった。
地上はアビスに埋没し、虚無に帰したのである。約一千年前のことだ。
かろうじて生き残った人類は巨大飛空艇で空に逃れ空に暮らし、現在は、徐々に拡大を続けるアビスの侵蝕を恐れながら、この解決法や新たな生存地を探している。
人類が大空を飛びたいと願っていた時代はきっと、飛べるようになってから現在までより、ずっとずっと……ずっと、長い。
けれどかつての人類は、想像すらできなかったはずだ。
まさか、その大空だけが生きる場所になる日が来るなどと。
しかし希望が失われたわけではない。
新たな生存の地、あるいは、アビス問題の解決を夢見ている者たちがいる。
そんな人々を『探求者』と呼ぶ。
その一人が、あなただ。といってもあなたはただ一人でこの困難に立ち向かう必要はない。
あなたには仲間や家族があるだろう。だがそのいずれをも欠いたとしても、少なくとも、アニマだけは必ずそばにいる。
アニマは、この時代の人間がごく普通に共生している人工生命体の一種だ。生命体といっても実体を持たず、宿主のあなたの日々の生活をサポートするのが主な仕事である。自動ドアを開けたり銀行のATMを操作したり、小型飛空艇のエスバイロの操縦もする。
けれどもアニマはロボットや単なる装備品ではない。あなたとは別の人格をもつ『個人』なのだ。
普段は少女の姿をしており、あなたの求めに応じて、あるいは自分の意志で姿を現しては、あなたと会話したり、アドバイスをくれたりする。彼女はあなたの姉や妹であり、母や娘であり、恋人や妻かもしれない。
あなたはこの世界にいる。
アニマと共に、いる。
歩み始めたあなたのある日の出来事を教えてほしい。
ほんの少しヒントがあればいい。あとは、物語が導いてくれるはずだから。
解説
あなたがあなたではなく、大空に浮かぶ飛空艇に築かれた都市で暮らす探求者だったとしたら、どんな一日を過ごしているのかを教えてほしいと思います。
一日の出来事と書くと難しそうですが、ほんの数分の場面でも構いません。
あなたは、あなたのパートナーのアニマと、どんな時間を送っているでしょうか?
『アクションプラン』『デザイアプラン』を記述し提出することををお願いすることになりますが、あまり難しく考えず、「こんなことをしたい」「言いたい」という風にポンポンと書いて下されば十分です。
内容が思いつかない、というのであればたとえば……
・空飛ぶスクーター(本作では『エスバイロ』と呼びます)で空の散歩をしている。
・同級生に失恋したばかり、アニマになぐさめてもらっている。
・自動調理器をアニマに任せ、包丁で人参を刻んでいる。
・アニマにせがまれ牧場にやってきた。珍しい動物を鑑賞している。
なんていうのはどうでしょう?
もちろんこれは例であって、あなた独自の内容であってくれて構いません。
季節は今ごろ、時間帯はいつでも大丈夫です。場所等も、世界観的にありえない場所(地上とか)でなければ、なるだけ対応させて頂いただきます。
ただ一点、注意事項があります。
アニマは『あなたにしか見えずあなたにしか声が届かない状態』『あなた以外の誰でも見ることができる状態』のどちらの状態も任意で切り替えることができますが、【姿が見えるとしてもすべてイメージ映像に過ぎず、実体がないので接触することはできない】ということです。
頬にキスしてもらう、という展開もできますが、残念ながら感触はないのですよ。
けれどもふれあえないからこそ、心のつながりはより深い、ということもありえると思います。
書き方は自由です。ご希望なら『こんな台詞を言いたい』『アニマに言ってほしい』という希望も書いて下さい。できる限り対応させていただきます。
ゲームマスターより
はじめまして、このお話の案内役、ゲームマスターの桂木京介と申します。
このゲームは初めて、プレイ・バイ・ウェブ(PBW)も初めて、という方を念頭にプロローグと解説を書かせて頂きましたが、もちろんすでにプレイ中の方、PBW上級者の方でも大歓迎です。
できたてほやほやのキャラも、すでに経験を積みつつあるキャラも、楽しんでいただけるお話にしたいと思っています。もちろん無料ですよ!
世界観がよくわからないという方は、こちら↓の『ワールドガイド』をお読み下さい。
http://sosorasora.frontierf.com/world_guide/guide.cgi?page=2#0
……と、貼ってはみましたが、情報量が多いですね(汗)。
気になるポイントだけ「ざっと」読んで頂けるだけで十分ですので。
それでは次はリザルトノベルでお会いしましょう。桂木京介でした。
大空の世界のどこかから、 エピソード情報
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担当 |
桂木京介 GM
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相談期間 |
3 日
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ジャンル |
ハートフル
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タイプ |
EX
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出発日 |
2017/10/8
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難易度 |
とても簡単
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報酬 |
なし
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公開日 |
2017/10/14 |
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いつもの時間、いつものトレーニング施設。オレはいつものようにマシンを相手に筋トレをしていた。 まあ、いわゆる日課というやつだ。ここで筋トレをした後、行きつけの酒場に行ってエールを片手に肉を喰らう。 これが何よりも幸せな時間であるが・・・今日はこの後の予定を変えなければならないかもしれない。 トレーニングの終盤バーベルスクワットをしているとナッティ(ナタリアの事)が誰かしらとメールで話している声が聞こえる。 彼女の声のトーンからしていつもの興行主からか。 ああ、この流れは興行のほうの依頼か。まあ、最近、試合もやってなかったからどんな役でもやってやるぜ。 そうと決まれば、アップを兼ねて少し上げておくか。
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珍しく一日手が空く UNOに珈琲を頼もうとすると唐突に誘われ外へ出掛ける事に いつもと様子が変なUNOに首傾げ 調子が悪い…アビスの感染か? 原因を思い浮かべつつ店の中へ 雑貨を見たり普通の休日を過ごす 内緒でUNOが気になった小物を買う カフェで休憩 パフェのあーんには最初は丁重に断るが結局する そろそろ帰ろうとすると腕を掴まれる 贈物を見て目を瞠る 柔和な笑顔で受け取る 夜ご飯の場所は自分が決めてUNOをリード 台詞 今の今まで忘れていた、これは俺でも予測不能だった(祝われたのは前のアニマで最後… 今日一日を思い返すとこれはデートと評しても過言ではないのかね? (何を参考にしたのやら 有難うUNO さてここからは俺のターンだ
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空屋
( シロア )
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ヒューマン | スナイパー | 23 歳 | 男性
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人質奪還の依頼が終わって帰り道で買い物しながら、今回の依頼について二人で話す、話の流れとしてシロアに実体がなくて良かったかもな人質に取られないし、まぁ荷物持つのが大変だけど、みたいな会話を話の最後に、買い物の荷物持つドローン?がその場にない設定なので
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熱海
( ルゥ )
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エルフ | アサルト | 45 歳 | 男性
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一人で住むには大きい部屋。 久しぶりにピアノを弾く。 普段は気難しそうな表情だが、ピアノを弾くその表情は限りなく優しい。 (こうしてピアノを弾いていると、あの頃のように君が聴いていてくれてる気がする) 亡くなった妻がいて、アニマであるルゥがいて。 今だって、彼女がこの世界にいないことが時折信じられなくなる。 いつものように、「ただいま」って笑顔で帰ってくるんじゃないか、って。 妻を亡くしてから、この世界なんてどうなってもいいと思っていた。 抜け殻のような自分を支えてくれたのは、ルゥの存在。 健気に、僕の世話を焼いてくれる。娘のような存在。 ピアノを弾く手を止め、片付け。 「…あれ?ルゥさんどうしたの?」
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星野平匡
( ハルキ )
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エルフ | スナイパー | 36 歳 | 男性
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アニマと好物のレモンパイを作ろうとしたが、レモンが無かったので商店街へ買いに行く。 商店街でレモンなどの必要なものを買う途中で、ひったくりの現場に遭遇。急いで犯人を追いかける。商店街の中程で犯人を捕まえ乱闘になるが、最後は一子相伝のタイキックでとどめを刺す。 乱闘で眼鏡が壊れてしまい、死んだ俳優に似た顔が露わになり騒ぎが起こる。アニマの気転で手持ちのギターでライブをする。(アニマはオープンモードで得意のダンスを披露) ライブ後、商店街での騒ぎを潜り抜け、近くに止めてあったエスバイロに乗り、平匡の特技の曲芸飛行付きの空中散歩をして帰宅。 帰宅後はアニマとパイを作り、屋上で天体観測をする。平匡の解説付き。
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◆過ごした一日 商業旅団ファヴニルの傭兵として仕事の日々。 貧困街の治安維持や小規模な商人の護衛など、ニッチな仕事で人助け。 全てを守ろうと無茶して、ピンチになって、幸運と意地で何とか切り抜けて…人前では大丈夫と余裕ぶるも、アニマ『EST-EX』にはなじられ、反省させられ、もっと強くならなければと決意を新たにする、痩せ我慢の美学な日々。 ◆セリフイメージ 「力だけが空に生きる証じゃないって、私は思いたい…けど今は強くならなきゃ」 EST-EX『そのお顔が絶望に沈む日は近そうですね。ヴァニラビット』(※遠回しな『今のままじゃ早死にするぞ』という警告) 「…強くなって、そんな日、振り切ってやるわ」
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部屋で勉強 背後で執事とスピカの口論が聞こえてくる、あぁいつもの光景だ(苦笑) 気分転換に少しデート(遠出)しようか 彼は、僕と「スピカ」が恥ずかしい思いをしないように言ってくれてるんだよ 用意してくれたお菓子もちゃんとスピカの分が入ってる 食べられないけど「二人」で楽しんで欲しいんだよ …アクロバット、無茶すぎだよ。まぁ楽しかったけどね たぶん彼(執事)はスピカに感謝してるよ 数年前衰弱してふさぎ込んでいた僕をもう一度笑顔にしてくれた 触れられなくても、一緒に食べることができなくても、それがアニマなんだと言っても スピカだから僕は独りぼっちにならずにすんだんだ そろそろ”様”は外してくれる?対等にそばにいたいんだ
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休日をだら~と過ごしてたらもうお昼。そんな時は料理は手軽に済ませるに限る まず茶碗にご飯を盛り、その上に豆腐と醤油を……ってなんだエクス 何を作るって? 残飯メシという超お手軽な漢の料理……レシピ教えるからせめてこれの中から作れ? え~、めんど……アッハイわかったから呪殺しそうな視線を投げないで というわけで卵とじに豆腐ステーキ、麻婆豆腐まで作る羽目になった ……料理は実際やれば楽しいだろって? まあ、俺も少し頑張ればこれぐらい作れるんだなって実感はしたし、こういうのも悪くないな じゃあ早速いただくか。おっと、さっき作った残飯メシを忘れて……グワー! 痛くねえはずなのに何故か痛みを感じるパンチグワー!
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参加者一覧
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空屋
( シロア )
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ヒューマン | スナイパー | 23 歳 | 男性
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熱海
( ルゥ )
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エルフ | アサルト | 45 歳 | 男性
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星野平匡
( ハルキ )
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エルフ | スナイパー | 36 歳 | 男性
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リザルト
飾り気のない調度品が、ぽつん、ぽつん、と点在している。
いずれも新品のようである反面、部屋全体が作りかけのモデルルームのような、どこか寒々しいものをたたえていた。
やはり、と『熱海』は思った。
この部屋は、独りで暮らすには広すぎる。
外は雨だ。
テラス戸のむこうは、空と雨との境目があいまいな、水に溶いた薄墨のような灰色が広がるばかりだ。
それまで読んでいた書籍に目を戻す気にもなれず、かるく片手を振って電子端末の電源を落とすと、熱海はソファから身を起こした。無意識のうちに眉間に手をやっていた。かつて妻に、すぐここにできる深い谷間をからかわれたものだ。
やはり、眉間には彫刻刀で引いたような深い谷が刻まれていた。少しでもならそうとするかのように、人差し指と中指で無意味な動作を試みた。
またそんな難しい顔をして――彼女によく言われたものだ。
そんな顔ばかりしていると、幸せが逃げていきますよ――。
立ち上がったとき、妻が遺していった姿見に自身が映った。昨日、掃除のおりに覆いを取って、そのまま忘れていたものだ。
鏡のむこうから、自分がこちらを見つめ返している。
エルフらしいすうっとした長身、両手足は長く、髪も瞳も夜のように黒い。肌の色はやや濃く、おおむね健康そうだ。
年齢にしては若いほうだとよく言われるが、それでも青年期の晴れやかさは失せ、かわりに薄曇りのような、年齢相応の苦みがある。表情が暗いだけになおさらだった。
過去を透かし見るかのように目を細めてみた。けれどもどうしても、この顔にもかつて、よく笑っていた日々があったという事実を思い出すのは難しかった。
木の葉で作った小舟が浅瀬に流れ着くように、熱海は部屋の中央に置かれたグランドピアノに歩み寄っていた。この部屋を引き払い、もっと身の丈に合った、つまり、単身暮らし向けの住居へ移ることは一度となく考えたものだが、ピアノのことを考えるとどうしても思い切りがつかなかった。
椅子を引く。重い鍵盤カバーを開く。
鍵盤に指をのせ、散歩のような曲を即興で奏でる。いつしか歩みは、軽やかなギャロップへと変わっている。クラシックの名曲のさわりを鳴らしては、合間合間をその場で作曲してつなぐ。
右手だけで奏でていたメロディーに左手の和音が加わった瞬間、ぱっと音楽が色づいた。それまでが原始的なビープ音だったとしたら、突然これがハイレゾリューション音源に変わったようなものだ。
(こうしてピアノを弾いていると、あの頃のように君が聴いていてくれてる気がする)
考えてみると弾くのは久しぶりだ。
これほど楽しいものだったことを、忘れていた。
ペダルを踏む。その頃にはもう彼は、両腕だけでなく肩まで音楽に浸っていた。
熱海の背中を、やや後方で見つめている少女の姿があった。
まだ午前中だというのにカクテルドレス、それも、胸元の大きく開いた紅色のものだ。
彼女は気配を立てず、ふっと熱海の背後に出現したのだった。まるで守護天使のように。
熱海様、と『ルゥ』は心の中で呼びかけた。彼に聞こないように。
邪魔をしたくなかった。いつの間にか音楽は、熱海の妻が大好きだった曲へと移っていたからだ。
またこの曲弾けるようになったんだ……それを思い、ルゥは胸の前で手を重ね合わせていた。
ルゥには、あの頃が遠い昔に思える。熱海の妻と、さらに妻のアニマと、楽しく過ごしていた日々があったなんて、今ではもう幻のようだ。
熱海よりも、妻と意気投合しちゃったりなんかして――ルゥは口元を緩めた。
音楽はときとして、ノスタルジーを呼び起こす。感傷、と人はこれを呼ぶ。言い得て妙ではないか。それは『感覚』であり『傷』なのだ。
音楽に没入しながら、熱海もまた、甘い小さな痛みを覚えている。
心に蘇るのは、彼女がまだ生きていた頃の日々、そして、それからの日々だった。
(妻を亡くしてから、この世界なんてどうなってもいいと思っていた)
けれど、と熱海は思う。音もなく隣に来ているルゥに気がつきながら。
(抜け殻のような自分を支えてくれたのは、ルゥの存在。
健気に僕の世話を焼いてくれる。娘のような存在……)
自分の眉間の皺が消えていることに、熱海はまだ気がつかない。
ルゥはピアノに両腕を投げ出し、そこに頭を休ませうっとりと熱海を見つめている。
奥さんが亡くなってから……あなたの心はここになかった。
やっと最近、少しずつだけれど元気になってくれたように見える。
あたしは何もできていなかった。いつもの通りでいただけ。
いまも何もできないけれど……それでも、熱海様が立ち直っていくのは嬉しい。
音楽が終わった。
深く息を吐き出すと、熱海は鍵盤から顔を上げた。
「良かった」
ルゥが拍手した。ありがとう、と返して熱海は怪訝な顔をする。
「……あれ? ルゥさんどうしたの?」
「へ? あ、また熱海様のピアノ聴けるの嬉しいな、って!」
言いながらルゥは自分の目を拭っていた。
「泣いてなんかないわよぉ」
●
革張りの椅子に腰掛けマホガニー製デスクの上にノートを広げ、鵞ペンで文字をしたためていく。一通り終えると、今度は赤インクでチェックを入れる。正確に、素早く。
『羽奈瀬 リン』はノートをめくった。
順調だ。明日の分まで終えてしまった。
手がけているのは学校の宿題だ。鵞ペンも実は、その形をしたシャーペンであることも言い加えておきたい。
やはり自分の部屋はいい。落ち着いて勉強に集中できる。
たとえ――。
「リン様、終わったー?」
「『終わった?』ではありません! 『終えられまして?』です!」
「もー! そんな言い方堅苦しいってばー!」
「『もー』も『ってば』もなりません!」
「しーらなーい」
「またそのようにはしたないふるまいを! スカートでそのような……ああ!」
「アニマだから大丈夫っ!」
――たとえ、このような会話が前方数メートルの距離で行われていたとしても。
「あぁいつもの光景だ」
リンの口元に苦笑が浮かんだ。
顔を上げると、部屋の隅に置かれた石膏細工のオブジェ(亡き父が購入したものだが、これが何を意味しているものなのか今もってわからない)の上で、アニマの『スピカ』が片手で逆立ちをしているのが見えた。黒いスカラップスカートは、スピカ自身言ったように重力に逆らいその場に留まっていたが、
「あ、リン様!」
と気を緩めたためかまくれ上がってしまい、その場の全員を慌てさせた。
「だからあれほど!」
腰に手を当て、初老の執事は立腹の様子だ。隙ひとつない黒のスーツ、顎髭も立派だ。執事の隣では、やはり正装をした彼のアニマが、スピカにむくれ顔を見せている。
けれども、じっとお説教を聞いていられるスピカではない。
「この人たち言葉づがいがーとか振る舞いがーとかいちいちうるさい!」
舌を出し、たたた、とリンのところに駆け寄って、
「勉強終わったー?」
執務机のへりに腰を下ろしたのである。もちろん「行儀が悪うございます!」と執事&そのアニマが声を上げるも平気な様子だ。
自室、といってもリンの部屋はとても広い。机を移動させれば、ちょっとした晩餐会くらい開けるほどのスペースがあるのだ。大理石の柱まで立っている。
スピカには言い聞かせるから、と執事をなだめリンは立ち上がった。
「一段落ついたよ」
「なら散歩行こ! エスバイロで!」
「じゃあ気分転換に少しデートしようか」
日が暮れるまでには戻るからと言い残し、リンはエスバイロ駐車場へと向かうのだった。
ものの数分もしないうちに、もう屋敷ははるか下だ。
「彼は、僕とスピカが恥ずかしい思いをしないように言ってくれてるんだよ」
水平飛行に入ったところでリンは言った。
「でも……」
スピカは腕組みした。ちょうどエスバイロの舳先に腰を下ろした状態だ。
「スピカを嫌っているわけじゃない、ってことだけはわかってほしいな。ほら」
リンは腰から小袋を出して開いた。出がけに執事が手渡してくれたものだ。
「用意してくれたお菓子もちゃんとスピカの分が入ってる。スピカが食べられないのはわかってるけど『二人』で楽しんでほしいって意味だよね」
袋の中には、小分けにしたクッキーの包みがあった。わざわざ青とピンクの紙に分けて包んであるのは、リンの言う通りの意味とみて間違いないだろう。
「……」
けれどそう諭されるのがちょっと悔しいらしく、燃えるように朱い目を半分閉じてスピカは鼻を鳴らした。そればかりか唐突に、
「ね? 操縦させてよ」
言うなり姿を消し、乗機にシンクロしたのである。
途端、エスバイロは唸り声を上げた。暴れ馬のように跳ね回ったかと思えば、たてつづけに宙返りを繰り返す。あげくは高速の錐揉み飛行だ。
急降下して急停止、これでようやくスピカは機体から分離した。
「楽しいでしょ!」
くすくすと笑う。
「……無茶すぎだよ。まぁ楽しかったけどね」
やがて空の散歩を堪能し終えると、リンは機首を家に向けた。
「たぶん彼はスピカに感謝してるよ……数年前衰弱してふさぎ込んでいた僕を、もう一度笑顔にしてくれたんだから」
スピカは、ただ風にプラチナの髪をなびかせている。
「触れられなくても、一緒に食べることができなくても……スピカがいたから僕は独りぼっちにならずにすんだんだ」
スピカは、リンの抱えていた事情を知らない。その頃リンのそばには別のアニマがいたから。自分が彼女と交代した理由も聞いていない。いずれも今は聞くべき状況ではない、そう思っている。
だけど――。
手を出し、手つかずのクッキーの包みの上に重ねる。
「一緒に食べられないのが何よ、この前のお酒も共有したんだし。リンが美味しく食べれば私も美味しいのよ、きっと! さあ食べなさいっ、心から美味しいと思わなきゃ『一緒』に楽しめないでしょ?」
ありがとう、とリンは言った。
「ところで、そろそろ『様』は外してくれる? 対等にそばにいたいんだ」
いいよ、と応じてスピカは笑った。
「そのかわり、これからもいさせてね! リン様……リンのそばに」
●
作戦行動自体は、濃密ながら短いものだった。
人質奪還、さらには爆弾の解除という困難を極めたミッションだったのである。限られた時間ながら作戦は綿密に練ったもののリハーサルはできない。まさしく一発勝負であったが、辛くもテロリストの目的を阻み、無事、ひとりの犠牲者を出すこともなく目的を達成することができた。
華々しい成功があったところで、いや、仮に失敗したところで、生活は続く。
一通りの報告を終えると、記者会見や慰労会の招きを断って『空屋』は帰路についた。
そうして今は、自宅近くのスーパーでショッピングカートを押している。ほんの数時間前には生きるか死ぬかの瀬戸際にいたことを考えれば、非日常と日常の境目を瞬時にして飛び越えたような感があった。
ヘタクソなイラストの描かれたツナ缶を手に取る。無造作にひとつカートに投げ込んだところで、もうひとつあったほうがいいかと言うように空屋は二個目を手にした。
このときだった。
(……本当に行かなくていいんですか?)
と、ショッピングカートにうずくまり体育座りをするようにして、『シロア』が姿を現したのである。上目づかいで空屋のことを見ている。不満げな口調だ。【プライベートモード】だからか遠慮のない姿勢でもある。
しかし、
「邪魔だよ」
眉一つ動かすことなく、空屋はシロアの膝のあたりに缶詰を落とした。シロアはアニマであり実体はない。したがってマグロの絵が描かれた缶は、彼女の体を素通りしてカートの上にがしゃんと落ちた。
(質問に答えて下さい)
気がつくとシロアは、カートから降りて空屋の足元に立ち、やはり彼を見上げていた。
「なんの話だ」
空屋は言い放つとカートを押す。
(記者会見と祝賀会です、作戦成功記念の!)
「そんなものに興味がないことくらい、知ってるだろう」
「でも」
と言うシロアは、透明度の低い【オープンモード】に姿を変えている。空屋にとってはどちらでもいいことだったが、プライベートモードのままでは彼が独り言を続けているように見えると思い気を回したのだ。
「せっかく感謝状も出たというのに……」
「そんなもの飾る場所はないし、そもそも、飾る趣味がない」
「祝賀会はきっと、無料で食べ飲み放題ですよ」
「金がかかっても、自分の部屋でツナサンドを食っているほうが好みだ」
自分の提案を一顧だにしない空屋に、やれやれ、とシロアはため息していた。こういう返事はとっくに予期していた。だから驚きはないのだけれど、また今回も空屋の功績は正当に評価されないのかと思うと、いささか口惜しくはあった。
冷凍食品コーナーに向かうカートを追いかけながらシロアは言った。
「ところで今回の作戦では、とくに鮮やかなお働きでしたね」
褒められたところで特に嬉しいということもない様子で、空屋は冷凍コーンの袋を手にする。
「いつも通り活動しただけだ」
「敵にも死者は出までんでしたし」
「むしろ仕損じたほうを後悔している」
露悪的に言っているわけではない。敵が生きるに値しないと判断したとき、空屋はむしろ確実に息の根を止めるほうを選ぶ。この作戦では時間的に、狙撃のさい致命傷を狙うゆとりがなかっただけのことだった。
シロアは紺色のメイド服の肩をすくめた。
空屋がこういう人間なのは知っているし、だからこそ、プロとしてやっていけるのだとも思っている。
やがてレジに向かった空屋を見て、邪魔をしては――とシロアは姿を消そうとした。しかしこのとき、彼女を呼び止めるように空屋が言ったのである。
「感謝している」
「えっと……さっき、自宅の冷蔵庫にある牛乳パックの賞味期限を教えて差し上げたことですか?」
「違う。作戦行動中のアシストについてだ。単身では、フォローしきれないところがある。助かった」
思わずシロアは、ふわっと微笑んでいた。
「私はアニマでありパートナーですから」
誇らしげな気持ちでシロアは言うのである。空屋はほんのわずか表情を緩めて、
「シロアに実体がなくて良かったかもな」
「なぜです?」
「人質に取られないから」
「まあ……そうですけど」
足手まといになるな、と言われているような気がして、少々釈然としない声になるシロアである。その声色を読み取ったのか、いないのか、支払いを終え、荷物を袋詰めしながら空屋はぽつりとこう付け加えていた。
「シロアになにかあれば、困るからな」
素っ気ない言い方だが、そこに込められた優しさと信頼を感じて、いくらかシロアは頬を染めている。
「そ、そうですか……」
「まぁ今は、実体がないせいで 買った荷物を荷物持ってもらえず大変だけど、な」
「夕飯一人分くらいの荷物でそんなこと言わないで下さいよー」
「そうか? 意外と冷食は……重いぞ」
シロアは笑ってしまった。やっぱり、空屋との生活は退屈しないと思う。
「買い物用の荷物運搬ドローンでも買いますか?」
「やめておこう」
と空屋はビニール袋を両手に提げて告げた。
「それはそれで、面倒そうだ」
●
しまった、と『星野平匡』は、冷蔵庫の戸を開け放った姿勢にまま言った。
「レモン、切らしてますね」
彼の背後から身を乗り出すようにして、アニマの『ハルキ』がふふっと笑った。
「たまには自分で作ろう、と平匡さんが宣言したとたんこれですよ。ほら、調理マシンを動かして私が適当になにかご用意しますから、平匡さんは座っていて下さいな」
ところが今日に限って平匡は首を縦に振らなかった。
「なければ商店街に買いに行くだけです」
「レモンを、ですか? パイシートなどの材料は足りているのに?」
「そう、レモンを、です」
ちょっと意固地になっているかもしれない。しかしこのとき、平匡が好物のレモンパイを食べたかったのは間違いなく本当だった。レモン一つのために着替え、黄色のヘッドホンも頭に乗せる。
そんな日があってもいいじゃないか。
八百屋でレモンを吟味していたときのことである。
背を突き飛ばされそうになり、平匡は危うくジャガイモの山に飛び込みそうになった。
「危な……!」
振り返ると、脇目も振らず一目散に逃げていく背中が見えた。それを追う「ひったくりだ!」という声も。
先に声を上げたのはハルキだ。
「平匡さん、私と一緒にアイツを捕まえましょう。策ならありますよ?」
「私もそのつもりです!」
すでに平匡もやる気、前のめりとなり砂利を蹴立て弾丸のごとく駆け出していた!
「がんばりましょうね。勇者さま」
茶化しているような口調だがハルキの言葉に嘘はない。
それにしても足が速い犯人だ。平匡は息を切らせ走ったが距離は開くばかり。
しかし彼には頼もしいサポートがいる。ハルキは走っているわけではないが常に平匡と併走しているのだ。
「その横道に入って! 先回りできます!」
頷くかわりに平匡は道に飛び込んだ。息を詰めそこから夢中でダッシュするとなんと犯人の正面に出たではないか!
アッ、と犯人が声を上げるのがわかった。問答無用! 平匡は自分より大柄なその男に飛びかかり引き倒した。 追いつかれて観念するかと思いきや犯人も必死だ。手にしたハンドバッグを投げ捨てて平匡に殴りかかってきた。
最初の拳こそかわすも、二度目の重い当たりを肩に受け、一瞬目の裏に星が走る。だが、
「一子相伝! タイキック!」
ハルキの声に押され平匡は軸足を踏みしめハンマー投げのごとく、足の甲で蹴り抜いたのである!
ぎゃっと声を上げ犯人は膝を押さえ転がった。かなりいい角度で入ったのだ。
「天誅ですっ!」
ハルキが勝ち誇っている。このとき次々商店街の人々や警備員が追いつき、ひったくり犯は見事捕縛されたのだった。ハンドバッグも無事、持ち主の元へ戻った。
「ありがとうございます~」
デザインの若いバッグだったが持ち主は老婆であった。拝まんばかりにして彼女は平匡に手をあわせている。
「当然のことをしたまでです。お怪我がなくて良かった」
と立ち去ろうとした平匡であったが、直後、老婆が頓狂な声を上げたのでびくっとして足を止めざるを得なくなった。
「あ、あなたはっ!」
しまった。今の捕り物騒ぎで、平匡の眼鏡は吹き飛んでしまったのだ。
「ありがたやありがたや……」
今度こそ老婆は本当に平匡を拝みはじめたではないか。彼女だけではない。
やっぱり生きてたんだ、とか、どうしてここに、とか、口々に人々から声が上がり、いつしか平匡の周囲には人だかりができたのである。
平匡が普段、大げさな黒縁眼鏡をかけているのには理由があった。
平匡の素顔は、とある国民的俳優に瓜二つなのだ。
この俳優は死んだということになっている。だが有名人にはままあることだが、謎を残す急死であったため、今なお生存説は広く信じられているのだ。一種の都市伝説である。
ひったくり犯を捕まえたヒーローの正体は、死んだと思われていた人気俳優! これで騒ぎにならないはずはない。……実際には違うのだが、平匡がいくら否定しても騒ぎは収まりそうもなかった。
(これは、『彼』の持ち歌のひとつでも披露しないと収まりがつかないでしょうね)
いつの間にかプライベートモードになったハルキがからかうように笑った。
平匡は溜息をつき自分のエスバイロに向かった。わらわらと人々がついてくるが仕方がない。
こうしてエスバイロからギターを取ると、例の俳優の持ち歌を軽く披露し、やんや喝采を浴びたところでひらりエスバイロに戻ると、
「それでは皆さん、ごきげんよう!」
口調までその俳優の真似をして、エンジンをふかし平匡は空に舞い上がったのだった。
(あと、曲芸飛行のひとつでもお見せしては?)
「……私、眼鏡がないんでロクに見えないのですが」
(そこは学者の勘で!)
無茶言いますね、と言いながら、実際にやれてしまうのだから怖い。
別れを惜しむ声を残し、逃げるように平匡はそこから飛び去ったのである。
(星も人も、温めあって生きているんですよ)
と言うハルキに、そうかもしれませんね、と平匡は静かに笑った。
レモンは結局、買えなかった。
●
朝の支度を終えた『レイ・ヘルメス』は、驚いて自分のスケジュール管理ソフトを再起動させてしまった。
見直しても同じだ。ソフトの異常ではない。
昨日も明日も、ちゃんと予定は詰まっている。詰まりすぎなほどに。
それなのに今日に限って予定が空白なのだ。そのページだけデータがクラッシュしたのかと疑いたくなるほどきれいに。
「UNO、間違いはないのか?」
呼びかけるや否、レイの眼前にうやうやしく、ポニーテールの少女が姿を見せた。スリットが入った朱殷色のドレスはいつも通り、落ち着いた物腰も、いつも通り。アニマの『UNO』だ。
「はい。兄様は本日、一日オフです」
しかし口調だけはいつも通りではなく軽く上ずっていたのだが、そこまで読み取る余裕は今のレイにはなかった。
「しまった……」
愕然とする。忙しい日々に忘れていた。こんな空白ができていたのなら、先延ばしにしていた要件でも入れるべきだったか。
「仕方がない。まずは珈琲でも飲もうか」
腰を下ろしかけたレイに、「どうせでしたら」とUNOは切り出したのである。
「たまには、気晴らしに外へ出てゆっくりしようではありませんか」
やはり声が震えている。それなのに顔は笑顔だ。さすがのレイも異変に気づいて、
「どうかしたか?」
と言うもUNOはこたえず。
「さ、そうと決まれば支度です。いいカフェがあるんですよ!」
と、今にも歩き出しそうな様子なので、不承不承ながら彼も従わざるを得なかった。
ウインドウショッピングというやつだろうか。
レイにとって買い物とは計画的に済ませてしまうものなので、このようにふらっと街中を歩いて、気になったものを見たり買ったりする、というシステムには慣れていなかった。
だがそれだけに面白いのも事実だった。
繁華街に出た彼は普段なら素通りする道を、UNOに導かれるまま眺めてはいちいち感心している。
「こういう風にディスプレイされるのだな。この過剰包装は無駄だと思うが……」
「いいんですよ。それがわくわく感を高めるのですから」
UNOは上機嫌だ。無理もあるまい。アニマとして常にレイと一心同体だから、彼女にとってもこういう経験は、滅多にないものに違いないのだ。
UNOに導かれるまま彼は雑貨店を訪れる。
「あのバッグなどいかがでしょう?」
「アニマのUNOには所持できないだろう」
「わかっております。ですから、兄様用です」
「俺用? 不相応ではないか?」
「でしたらあの小物など……」
「そうだな」
身の回りのものだし、UNOも常に目にできると、レイはペンギン型のスタンドを購入した。
やがてUNOの行きたがっていたカフェに席を取る。
事実上一人客であるが、こういう店ではアニマの『座る』席も用意してくれる。たとえ実体がなくても、そこに座って見えるかどうかは重要なのである。
「パフェを頼みました」
UNOはくすっと笑って言った。
「兄様、『あーん』して差し上げます」
「待て待て、実体のないアニマがどうやって……」
とまで言って、レイは周囲に気がついた。主として独りの男性客、たまに女性客が、自分のアニマに「あーん」と食べさせてもらう……映像と重ねながら、自分でパフェを口に運んでいるのである。
(まさかアビスの感染か?)
レイはいささか不安になった。冷静沈着なUNOらしからぬ甘えっぷりだったからだ。
「いや『あーん』はさすがに……」
と言いかけて、レイはUNOの顔が曇るのを目の当たりにしていた。内心、溜息をつく。
「……もらおう」
こうなってはお手上げだ。
周囲は皆これをやっている様子なので、目立たないのが不幸中の幸いだった。
食べ終わって席を立とうとすると、
「もう少しだけ」
とUNOがレイの腕をつかむような仕草を見せた。このとき、
「どうぞ」
とテーブルにウェイターが花束と小箱を運んで来たのである。
花束はベチュニア、白と紫が半々ずつ。
UNOにうながされ開けると、小箱の中身は銀製のティースプーンだった。
「遅くなりましたが誕生日おめでとうございます、兄様。兄様のこれからの一年に幸あらんことを」
UNOはにこりと微笑んだ。あらかじめ店に頼んで、このタイミングで運んでくるよう指示していたのだ。
ああ、とレイは声を上げてしまった。胸にドスンと大きなボールをぶつけられた気分だ。といっても痛みのない、やわらかで暖かいボールをだが。
「今の今まで忘れていた。これは俺でも予測不能だった」
誕生日を祝ってもらったのはいつ以来だろう。少なくとも、UNOの前のアニマの頃まで遡る必要がある。
UNOが故障していたわけではない。錆び付いていたのは、自分の心だったというわけか。
レイは小さく笑った。
「なるほど、今日一日を思い返すとこれはデートと評しても過言ではないかね?」
すると面白いくらいUNOは恐縮して、
「ふぇっ……!? ちち違、私はそんなつもりでは……」
などと真っ赤になったではないか。
彼女の気持ちこそ、レイにとっては最大のプレゼントだ。
●
右から二番目。
理由はないが、これが『ケニー・タイソン』がいつも使っているランニングマシンである。
比較的ゆっくりした速度設定にする。柔軟体操の仕上げ的なウォーミングアップだから、全力で走ったりはしない。リズミカルに駆ける。
ここからラットプルダウンを50回3セット、ハイローを50回3セット、ペックデックを50回3セット行う。その後はエアロバイクを30分漕ぎ、仕上げにランニングマシンで30分走り込むのがケニーの日課だ。だんだん重くしていって中盤からは、かなりハードなメニューをこなす。もちろん要所要所で休憩を入れるので無理はしない。
仕上げはバーベルスクワットを30回3セット、最後にもう一度柔軟体操をして、行きつけの酒場で1パイントのエールを片手に肉の塊を喰らい心地良い疲労感と幸せを噛みしめる……のがケニーの日常だったのだが、今日はその予定を変える必要がありそうだ。
ずしりと両肩に食い込みそうな重量のバーベルを担ぎ、両膝に負荷をかけ筋肉のきしむ痛みと心地よさを同時に感じていたそのとき、
(ええ、そう。悪い話じゃないけど……わかってるでしょ? その出順だと彼のイメージに合わないのでは?)
声が聞こえてきた。
ケニーのアニマ『ナタリア・ウィルソン』だ。プライベートモードだが、電話のイメージを手にして誰かと話している。
アニマはこの世界の住人にとっては召使いであり専属カウンセラーであり、アドバイザー、相談相手の役割をこなすこともある。
ケニーの場合はナタリアに、もっぱらマネージャーの役割を求めていた。社交的で明るく、交渉上手な上、リングサイドにあってもセクシーでスポットライト映えのする彼女は、たしかにレスラーのマネージャーとしてはうってつけだ。実際、興行にあたってナタリアはケニーの『美人マネージャー』という役割でリングに上がったことも少なくない。
その彼女が連絡を取っている、しかもあの声のトーンということは……ケニーの表情が引き締まった。
「興行の依頼か?」
問いかけると、ナタリアは色っぽい片目を閉じた。
なおナタリアはビジュアル的には電話をしているように見えるのだが、これは実際に電話をかけているわけではない。興行主との話はすべてメールベースであるが、彼女の趣味で、メールを書いてる際にこちらにそれが声として聞こえるよう見せてくれているのだ。プライベートモードだから外部の人間に声が漏れることもない。
(ありがと、ご配慮感謝するわ。じゃ、ケニーと打ち合わせてまた連絡するから)
ナタリアは見た目上の電話を切った。つまり、興行主とのメールのやりとりが終わったということだ。
その間にケニーはトレーニングを終えている。バーベルをゆっくりとラックにかけて、
「どうなる?」
(近いうちに一夜興行)
バーベルラックにもたれるようにしてナタリアは言った。
(最初の話は前座もいいとこだったけど、メインイベントの一つ前にまで上げてもらったから。ケニーの実力を考えると、いつまでも軽い位置でやってるわけにもいかないでしょ? ヒール(悪役)だけどね)
「まあ最近、試合もやってなかったからどんなポジションでもいいんだがな」
(ダメよ。試合さえできればいい、って考え方じゃ。相応の待遇を求めないと搾取されちゃう。でなきゃ飼い殺しね)
ナタリアはマネージャーらしくぴしっとしたえんじ色のスーツを着こなし、グラマラスな胸元を軽くのぞかせている。かけている眼鏡は知性を演出するための小道具だ。明るいブロンドを夜会巻きにしていた。けれども冷たいイメージがないのは、その表情がつねに明るいからだろう。
「そういうもんかな……」
ケニーは頭をかいた。試合があるということは、鍛え方を変えなければならない。具体的に言えば、『見せる』筋肉を作り始める必要があるということだ。
「それで、『ナッティ』の出番は?」
ナッティというのはナタリアの愛称だが、二人の間でこの名は、マネージャー役のナタリアもリングサイドや、ときとしてリング上に登場することを意味する。
(そこまでは決めてなかったけど……出たほうがいい?)
「そりゃあ、セクシーマネージャーはいたほうが盛り上がるだろうさ」
(おだてないで。まあ、求められるなら出るけど……でもこないだみたいに、相手レスラーのアニマとマイクパフォーマンス合戦みたいなのは勘弁よね)
「どうして? あれは盛り上がったじゃないか」
(あれ恥ずかしいのよ……『台本』も覚えるの大変だったし)
即興の言い争いのように見えても、実は隅々までしっかり練り上げられたエンターテインメント、それがこの世界なのである。
「はは、ま、リクエストがあれば応じてくれよ。頼むぜ」
それじゃ俺は、とケニーは振り返り、特別メニュー用の器具のところへ歩き出した。
「そうと決まれば、アップを兼ねて少し上げておくか」
すでにこの瞬間から、ケニーにとって試合(リング)は始まっているのだ。
●
録画してあるテレビ番組を見たり、巻頭特集だけ読んで放置していた雑誌をめくったりしているうちに、あっという間に時計は正午を指していた。
「……だら~って過ごしていたら早いなあ。休日って」
ちょうど腹具合もお昼といったところだ。『ブレイ・ユウガ』は起き上がって冷蔵庫を開いた。
見事なまでに寂しい庫内事情だった。
賞味期限というよりもっとデンジャーな消費期限がアウトなパック豆腐あり、乾ききったソーセージあり、野菜室のほうには非業の最期を遂げたニンジンありといった次第で、当然そこにあるべき肉! 魚! フルーツ! といった主演俳優の姿はなく、あるのはサルサソースの瓶だとか、パック寿司についていた醤油だとか、どうにもこうにも、兵(つわもの)どもが夢の跡といった次第なのだった。
「あ-、こりゃ悲惨だなあ」
もう笑うしかないといった次第で水分ゼロの半笑いを浮かべながら、それでもブレイはいそいそと、炊飯器のジタを威勢良く開ける。
そして、満足気にうなずく。
「ま、ライスはあるな。昨夜炊いたやつだけど」
しかし白米があれば十万の援軍を得たに等しい。手軽に作る昼食は、もうご飯だけで半分完成したようなものなのである。電子レンジをパカッと開けて、昨夜のご飯を茶碗に盛って入れる。
あれだな、とブレイは宿命的に思った。
俺的料理のテーマを歌うべきだな! ここは一番!
「い~き~も~でき……って呼吸困難になるほど女子に夢中って冷静に考えたらやばくね?」
微妙に曲がカットされたような気がするが、それはブレイの歌がレンジの作動音にかき消されたからだと思ってほしいッ!
といったところでレンジが鳴った。ピー。
「よしきた! ではこの上に豆腐と醤油を……」
と、ライスの上に豆腐をデンと乗せたところで、
「楽しそうね」
ブレイの真正面の席に、予告もなくアニマ『エクス・グラム』が出現していた。頬杖をついていささか半月形の目をして、ふーん、とでも言いたげな口でブレイを見ている。
「うおっ! なんだエクス、俺のプライベートタイムに……!」
「別に用なんてないけど、なんかあまりに楽しそうだから出てきたの」
「ふん、残念だったな。飯作ってるだけだ。へーん」
「なぜに自慢げ……? で、何を作ってるわけ?」
「何をって? 残飯メシという超お手軽な漢(おとこ)の料理だ」
うわー、とエクスは言った。
「ねぇブレイ。それはいけない。人間として作っちゃいけない料理よ」
「いいんだよ腹に溜まれば」
「その考え方がまずいけないの! 私たちアニマの使命のひとつには、あなたたち主人の体調管理もあるわけ。だからちゃんとした料理、作・り・ま・し・ょ?」
「え~、めんど……」
と言いかけてブレイは口をつぐんでいた。顔こそ笑っているものの、エクスの顔には逆光気味の影が差しており、声にもほの黒くやけに深いドスが効いていた。
要するに、怖い。
「アッハイわかったから呪殺しそうな視線を投げないで……」
本能的にブレイは降参することに決めた。いま彼女に腹を見せろと言われたら、迷わず見せたかもしれない。
「……というわけで豆腐を手際よく消費するには、豆腐ステーキと麻婆豆腐がド安パイってわけよ。あとは豆腐の卵とじ! 無敵の大豆タンパク!」
割烹着姿のエクスが、鍋とフライパンを手にそれぞれの作り方を懇切丁寧に示してくれた。といっても彼女はビジュアライズされたホログラフに過ぎないので、これからブレイは実際に作る必要があるわけだが。
「先生! 豆腐だらだけだと思います!」
しゃき、とブレイは手を挙げた。
「手つかずの豆腐真空パックを丸ごと四つ余らせた人間に拒否権はない」
「……すいません」
挙がった手は、塩をかけられた青菜のようにヘナヘナと倒れた。
だって豆腐安いんだモン、などと愚痴りながらブレイは、エクスのレシピに従って豆腐料理の数々に挑戦した。豆腐を切ったり焼いたり煮込んだり、それぞれの行程でそれぞれのテクニックがあり、手の加え方によってそれぞれに姿を変えゆく白い豆腐の姿には、素直に驚きもする。
小半時もせぬうちに、すべてできあがった。
「案外簡単なのな」
「でしょう? それに料理って、実際やってみたら楽しいと思わない?」
歯を見せて笑うと、うりうり、という感じでエクスは肘でブレイをつつく真似をする。
「まあ、俺も少し頑張ればこれぐらい作れるんだなって実感はしたし、こういうのも悪くないな」
「よろしい! では感謝して食べなさい」
おおせのままに、と大仰に返事してブレイは席につくも、
「おっと、さっき作った残飯メシを忘れて……」
彼が最初に手にしたのは、例の『残飯メシ』であった。
「結局それから食べるんかーい!」
ぐおう、と効果音だけは派手派手に、エクスの鉄拳、右フックが繰り出された!
「グワー! 痛くねえはずなのになぜか痛みを感じるパンチグワー!」
「豆腐の角に頭をぶつけてゴー・トゥー・ヘル!」
「モノが豆腐だけにっ!」
……仲よき事は美しき哉(かな)。
●
「はい手を挙げて。抵抗しても無駄よ。っていうか抵抗したかったらしてもいいけど、たぶん後悔することになるからね」
寂れた街の、とりわけ寂れた地域にある廃屋、突如暗がりから聞こえてきた凜然たる声に、合成麻薬の取引をしていた二人の闇業者は身を強張らせた。
密告したのか、てめえこそ、といった短くも不毛なアイコンタクトが交わされるもそれとて一瞬のこと、
「安心して、二人仲良く捕まえるから」
このとき、明滅を繰り返していた頭上の裸電球に灯が入り、シルエットの姿を光のもとにさらした。
つやのある黒い髪だった。
澄みきった青い両眼だった。
黒ウサギを思わせる長い頭部の耳はケモモの証だ。
なにより目立つのはその容貌だろう。若い女性なのである。それも、とびきり美しい。
「このファヴニルの治安を乱す者は許さない。お縄をかけさせてもらうわ」
その名はヴァニラビット、『ヴァニラビット・レプス』、フリーの女傭兵だ。今は商業旅団ファヴニルで、主として治安維持の仕事にあたっている。
すっくと立つ彼女を見て、密売人たちはニヤリと笑った。どうやらたった一人、しかも丸腰と踏んだのだ。
返り討ちに、とばかりに二人は銃を抜く。ところがこれを見ても、
「抵抗すると多分後悔する、って言ったはずだけど?」
ふふん、と彼女は鼻で笑うだけだった。
(何強がってるんですかヴァニラ! 相手が飛び道具持ってることなんて想定してなかったですよね?)
プライベートモード姿で、ヴァニラビットのアニマ『EST-EX』が飛び出し声を上げた。幸いこのときEST-EXの声は、男二人には届かない。
けれどもヴァニラは動じなかった。
「大丈夫だって。……自信はないけどね」
彼女は両手で眼前の柄をつかむと、両足で床を踏みしめ打ち上げるように両腕を振り上げた。
振り上げたのは腕だけではなかった。この柄は、彼女の上半身を優に上回る巨大な両刃の斧の柄だったのだ。
ぶんと振り上げる。ヴァニラ自身がよろめくほどの勢い、反射的に放たれた弾丸が当たって鋼鉄の刃に弾かれる。
だが巨大斧とて男たちには届かない。距離がありすぎる。
けれどもそのかわりにずんとした手応えがあった。刃は勢い余って廃屋の柱に突き刺さったのだ。いや刺さるにとどまらない、これをスパッと見事に両断した!
たちまちバラバラと埃が振り天井が崩れ落ちた。もともと老朽化していた建物だ。雷のような音を立て内側へ倒壊したのである。
残骸の下からヴァニラは這い出した。
「危機一髪だったね、イースター」
(なにを脳天気なことを。あんな出たとこ勝負して)
EST-EXの抗議を聞き流し、ヴァニラは瓦礫の下から密売人たちを引っ張り出した。いい塩梅に両人とも気絶しているが命に別状はないようだった。
「ま、結果オーライということで」
(オーライではありません)
ヴァニラの真正面で腕組みして、EST-EXはあえて声を荒げず、淡々と告げるのである。
(そもそも、あんな格好つけた登場をせず急襲していればこんなことにはならなかったと思いませんか?)
「う……反省は、する」
(反省だけではなく、考えを改めて下さい)
このとき縛り上げられた密輸人の一人が目を覚まし、じろりと鋭い眼でヴァニラを見上げた。
「ねえちゃん、傭兵だって言ってたな? こんな貧民街で仕事したって大した稼ぎにならねえだろ。俺たちのブツを持って売りさばいたらどうだ? そのかわり逃がして……」
男の鼻先に、静かに斧の切っ先が突きつけられた。
「おあいにくさま」
ヴァニラビットは薄笑みを浮かべている。
「私は、『こんな貧民街』や小規模な商人さんたちのために働く傭兵なの」
宣言に嘘はない。これがヴァニラビットの生き方だった。
この混乱の時代の傭兵なのだから、もっと稼ぎのいいクライアントならいくらでもいる。仕事は選べる情勢と言えた。なのに彼女はあえて、名高い傭兵部隊なら手を出さないようなニッチな仕事ばかり選んで受けているのだった。
密売人を引き渡してわずかな報奨金を受け取り、彼女はエスバイロにまたがった。
エンジンの細かな振動を味わいながら、夜のファヴニル・シティ上空をゆく。貧富の差が激しく、黄金と赤貧がコインの両面にあるこの街を。
「どうしてヴァニラ、あなたは危ない橋ばかり渡るんです? それも単独行動ばかり……もっと大規模集団に属すとか、うまい世渡りはいくらでもあるはずです。強大な力を頼るのも、悪いことばかりではありませんよ」
風に髪をなびかせながら、後部シートについたEST-EXが言う。
「そうね」
ヴァニラの髪もなびいていた。夜に溶け込むようなダークヘアだ。
「力だけが空に生きる証じゃない、そう私は希望を持ちたい……からかな」
「だとすれば、そのお顔が絶望に沈む日は近そうですね。ヴァニラビット」
EST-EXの口調はいささか皮肉めいている。
わかってる、というようにヴァニラはうなずいた。
「……強くなって、そんな日、振り切ってやるわ」
依頼結果
MVP
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熱海 エルフ / アサルト |
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