プロローグ
「通して」
執務机のドアホンにそう告げると、【ルビー・トロメイア】議長は秘書官に顔を向けた。
「しばらく外して頂戴」
よいのですか、と秘書官はためらいがちに回答するも、トロメイアが返したのは沈黙のみである。ややあって秘書官が議長室を出ると、入れ替わりに外気が吹き込んできた。
部屋の温度が数度、下がったようにトロメイアは感じた。
来訪者は、ある種の冷気をまとっていた。
「ようこそ」
やや顎を上げる。立ち上がらない。ただ目線だけで、トロメイアは【ガウラス・ガウリール】特佐に着席を命じた。自分より二十は歳上の軍人が相手でも、ルビー・トロメイアは毛ほども動じることがなかった。
対するガウリールにも感情の動きは見えない。敬礼も着席もせず、爬虫類の目のような遮光ゴーグル越しにトロメイアを静かに見おろしている。
「来た用件は判っているだろうな」
「わかっていますとも。遅い報告ですわね、特佐」
「アビス領域の報告書はとうに提出している」
「都市国家連合(メデナ)議長に対する言葉として、その口調は不適切では?」
「自分を暗殺しようとした首謀者に対する言葉としては、これでも丁寧すぎるつもりだ」
ガウリールは決して言葉を荒げなかった。まるで他人事のように。
トロメイアは溜息して頬杖をついた。こうしていると彼女は、ふて腐れた女学生のように見える。
「面白いご意見ですこと」
蛇め――ガウリールは内心毒づいた。
ルビー・トロメイア、弱冠三十四歳にしてメデナ議会の代表を務める政治家である。この地位は、大政治家として知られる亡き父親のスタッフをそのまま受け継いだためもあるが、彼女の美貌、知性、カリスマのすべてが引き寄せたものだというのが通説だ。だがその真の源は、彼女の胆力にあるとガウリールは見ていた。ここまで追い詰められておきながら、これほど平然としていられるのはトロメイアだからこそだろう。
ガウリールを護るように立つ副官【ニコラス】は、「銃を抜け」という命が下るものと緊張して、震える手を腰に当てていた。抜けばその瞬間に、議会反逆罪が成立する。クーデター、新連合政府樹立、汚職政治家の粛正……そんな不穏な言葉がニコラスの胸中を行き交った。
だがガウリールは命じなかった。
そのかわりに彼は、どさっと腰を来客ソファに下ろしたのである。
「聞きたいものだな、議長」
「なんなりと」
「なぜ、『アビスの向こうに地上世界がある』などという虚偽を広めようとする」
先日のアビス領域調査から、はっきりとわかったことがある。
アビスの下には虚無があるだけだ。地上など、存在しない。
絶望的な事実であろう。もはや人類に、還るべき大地はないのだから。
「民衆は、途方もない嘘ほど信じたがるものですわ」
と言って、黒猫のようにトロメイアは伸びをして見せた。
「アビスは壁のようなもの、それを突破すれば緑の大地がひろがっている……理想としては完璧じゃなくって?」
「大衆を騙すお伽話だ」
「旅団間の争いを防ぎ、平和を導くための方便と言って下さいな」
「違う」
ガウリールは断じた。
「貴様らはそうやって、ありもしない【地上】へ人々を墜とそうとしている。はっきり言おう。死に追いやろうとしている。笛吹き男に導かれたネズミが、川に飛び込み溺れ死ぬようにして」
「ご存じですか、特佐」
ガウリールの言葉を遮ると、トロメイアはぞっとするほど美しい薄笑みを浮かべた。
「もう、七つの旅団すべてを支えるだけの【フラグメント】はないのですよ」
「嘘を言え。【トレジャー・アイランド】で採掘されたフラグメントは……」
「嘘を言っているのはあなたですわ、特佐。とうにお気づきでしょう? すでに地上世界が存在しないとなれば、人類が生き延びるすべは大気圏からの脱出を目指すしかないと。人類は、アビスに世界を明け渡し宇宙に新天地を見つけるしかないのです」
「【無何有郷(ユートピア)計画】か。世迷い言を」
メデナ上層部のごく一部でのみ進められている極秘の計画だ。技術旅団ログロムから選りすぐりの科学者を集め、大気圏からの脱出と外宇宙への移住を目指すという計画である。
「特佐、あなたが知っている以上にユートピア計画は進んでいます。すでに理論上、大気圏から脱する技術は完成しているのです」
ただし、とトロメイアは立ち上がり、長い黒髪をなびかせた。
「それが可能なのは、レーヴァテインを構成する巨大飛空挺の一部だけです。外宇宙を旅するには、フラグメントはいくらあっても足りない……要は、ほとんどの飛空挺は不要なのですわ。フラグメントを無駄に消費されるくらいならば」
もうおわかりですね、とでも言うようにトロメイアは口を閉じた。
「選民思想か。トロメイアの娘なら、そうなるのはある意味当然だな」
ガウリールは口元を歪めた。これが彼なりの『笑み』である。
ガウリールは颯爽と立つと片手をまっすぐに伸ばした。
「ニコラス、この女を射殺しろ。狂人に旅団連合は任せられん」
蒼白になり震えていたニコラスは、はじかれたように腰の銃を抜いた。
しかしその銃口は、ガウリールの背にぴたりと当てられたのである。
「も、も、申し訳ありません……特佐!」
声が震えている。手と銃口も同様だ。ガウリールは振り返らずとも、少尉が泣いているのがわかった。
「か、家族を人質に取られたのです……! お許し下さい……お許しを……!」
ニコラスの言葉の後半は、嗚咽に紛れて聞き取ることができなかった。
やれやれ、とでも言うかのように、静かにガウリールは息を吐き出す。
「私が腹を立てているとしたらニコラス、貴公にではない。自分の見積もりの甘さにだ」
執務室のドアが開いた。若い男が入ってくる。ひょろりと背が高く、髪の毛はもちろん、眉も一切ない。男は銃剣を肩に担いでいた。刃の先端は、布で拭ったばかりのように濡れ光っていた。
「……外で武装蜂起を目論んでいた連中は、すべて始末した」
「上出来です、【イワン】。潰えたりとはいえ、さすが元【撃流(げきりゅう)】ですこと。私の予想より2分も早い」
トロメイアはぱんぱんと手を叩いた。
ガウリールは首を振ると、再びソファに身を預けた。倒れ込むようにして。
「そうか、芸能旅団ミルティアイで今日行われているフェスティバル……」
「確か【ヘブンリー・ロック・フェスティバル】とか言うのでしたわね。大量のミュージシャンが揃う三日連続のフェス、明日はそのフィナーレですわ。来客数も明日は最大になるかしら? 夜には花火も上がるといいますし」
熱狂の頂点ですね、と彼女は言った。
「旅団中央の巨大飛空挺が、花火と同時に炎上しても気付かないくらいに」
銃声がひとつ、轟いた。
解説
旅団連合メデナは、すべての旅団に君臨する最高統治機関です。
ですがその中枢では、【無何有郷(ユートピア)計画】の美名のもと、ごく一部の飛空挺と人類のみを残し、他をアビスに捨てるというプランが着々と進められていたのです。
その第一歩、終わりの始まりとでもいうべきものが芸能旅団ミルティアイの破棄です。大規模屋外音楽フェスに紛れ旅団を墜落させ、一気に旅団と、集まった人々を間引きするという考えなのです。
トロメイアの密命を帯びた工作員たちが、警備兵に偽装してミルティアイ中央部の【ヒンメル機動リング】(心臓部たるエンジン。これが破壊されれば飛空挺は墜落します)に起爆装置を仕掛けに向かいました。
この企てを阻止することが目的です。機動リングはフェス会場の真下にあるため、これが爆発すればそれだけで、大量の観客が殺傷されるに違いありません。
このエピソードでは、【トロメイア議長】と遭遇することはできません。
銃剣術の達人【イワン】は敵として立ちふさがることになるでしょう。
《NPCについて》
現在、以下のNPCがミルティアイに滞在しています。彼らがどう物語に関わってくるでしょうか?
●リン・ワーズワース
会場警備を任されています。一部兵士の不穏な動きを感じ、手勢を連れて飛空挺の【ヒンメル機動リング】(心臓部たるエンジン。これが破壊されれば飛空挺は墜落します)をチェックに行きますが……。
●ソラ・リュミアート ●潮綾(うしお・あや)
客としてフェス会場に来ています。ソラはノリノリですが、綾のほうは、大音量の音楽にやや引き気味です。
●ドクター・リーウァイ
科学者。なにやら焦った様子でミルティアイを訪れました。
※ご注意! プロローグのニコラスの例もあります。今回はすべてのNPCが味方とは限りません!
ゲームマスターより
マスターの桂木京介です! よろしくお願いします。
みなさんがどうこの話に関わるか、そのあたりもアクションプランで注目したいと思います。
単に観客として参加していて、妙な胸騒ぎを感じて自主的にパトロールに出るとか、実はガウリールのアニマ(そういえば描写してませんでした。でも、います)から通信を受けて急きょ動き出すとか、まったく予期せずデートを楽しんでいたのに戦闘の音を聞いてびっくりして加わるとか……。
本作は大枠以外は自由度高めとしたいので、【実は○○でした】というやや強引なロールプレイもできるだけ通していきたいと思います! (NPCについても上記した以外の【マッチ売りの症状】【三択弄す軍団】なんかも自由に使って下さって結構です!!)
それでは、次はリザルトノベルでお目にかかりましょう。
桂木京介でした。
羇愁の涯ての無何有(UTOPIA) エピソード情報
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担当 |
桂木京介 GM
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相談期間 |
6 日
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ジャンル |
サスペンス
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タイプ |
EX
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出発日 |
2018/4/24
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難易度 |
難しい
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報酬 |
なし
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公開日 |
2018/05/03 |
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◆目的 ミルティアイが落ちた時の保険と、将来メデナと対決するための戦力集め 非正規戦力…空賊団に協力を ◆行動 特佐のアニマからの連絡で行動開始(アビス調査した当人ですし、薄々は予感済) 可能なら『ドラゴンフレイム』戦力も借りたいですが 自分は連絡とれそうな【三択弄す団】へ、会えたら全てを伝え要請(台詞はデザイアプラン参照 要約すると『自分が空賊(団長)になってお前たちと生きる。だから力貸せ』 特佐とのコネ、団長ドン・マッチョーネ倒した実績などアピールし、空賊の心をつかめれば。 他にも可能な限りのアウトローに声をかけ、集められた戦力とミルティアイへ。 空賊の接近による注意の引き付け、負傷者、墜落者救助で皆を支援に
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綾と行動中、エクスがガウリールのアニマから緊急事態を告げられたというので行動 ここで動かなきゃ探究者じゃねえ まずエクスに脱出ルートを検索してもらう その後綾と一緒にさりげなく会場を離れ、事情を話して協力を頼む ダメなら避難ルートを教えて逃げてもらう。OKならヒンメル機動リングへ行く 移動中怪しい人間を見つけたら【ダッシュアクセル】で一気に距離を詰めて即座に倒す 使えそうな武器があったら綾に渡す。それで俺の後ろを守ってくれると嬉しいな リングでの戦闘は基本的【ダッシュアクセル】からの【ウェポンマスターⅡ】を用いた【スタンダード】で攻撃する近接戦メイン 強敵を相手する時はエクスのサポートや仲間の援護を受けて対応
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ドクター・リーウァイに雑談のふりをして探りをいれる 今日はフェスに来たんですか? 「彼女(フラジャイルのマリア)」も一緒なんですか? 慌ててるみたいですね、何かお手伝いできる事はありますか? 善意の子供を装って、ドクターの話にのる(ふり)をしつつ時間かせぎ 彼から状況を聞き出す (訛り口調の有無で嘘や動揺具合を確認) 事件を起こす場合は、不意をついて妨害 防ぎに行く場合は、サポートする (スピカ…敵との遭遇もありえるから、退路を確認しておいて) 戦闘時は騒ぎにならない場所を選ぶ 機材などに身を隠すなどして攻撃 ※行動は他の人とも連携(必要に応じてサポートにまわる)
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・目的 リンと共にヒンメル起動リングへ向かう ・動機 人混みにうんざりして外れに来てみりゃあ、リンのやつ…やけにマジな表情してるじゃないか。 フェスにテロの予告でもあったのか? まさかな…いや、会場の真下にあるのは確か…おいリン! ブロントヴァイレス以来の付き合いだ。俺も噛ませろよ。 ・行動 正規の警備兵であるリンに銃を向けるって事は、アイツらやっぱりテロ屋か。 ヒンメル起動リングへ向かう。必要ならリングのルームに籠って防衛戦だな。 プロージョンを打ち込んで退避行動を取った敵が爆発物を持ってるに違いない。 水際で止めてみせるぞ、こんな所で終わってたまるかよってな。 銃剣使い? 弱点は…同時に2人以上には攻撃できねえな!
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突然の戦闘音!? …ということは、怪我人がワタシを待っている!ラビッツ行くよー! 今回はじんめー救助優先だね! メカを直している暇はなさそうかな ワタシの目の前で誰かを殺させるようなことはさせないよ 行動 やばそーな人が居たらヒールブラスト 無抵抗な人に攻撃する人が居たら迷わずオーバードーズで攻撃! 自分が怪我したらまー適当でいいけど、ラビッツ悲しむしファストヒーリングで直すかー でも治療や攻撃の手を緩めるなんてことはしない! だってそうしたら、救えた命が失われるかもしれなから マッドドクターの名は奢りじゃないことを証明する! だからちょっとテンション上がっちゃうのも仕方がないよね! 新鮮な患者!沢山治療が出来るねェ!
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ガウリールめ…しくじったのか?まったく政治の世界という奴は…大の為に小を捨てる時があるのはわかるが自分だけは助かろうとするからな。 うん?アビスの向こうに地上がなかろうが別の場所にあるかもしれんだろう? 何かを求めるならば可能性をひとつづつ潰していくのは当然だろう。そう簡単に見つかるとは思っていないよ。 さて、どう動くか…む、リーウァイか。ずいぶんと焦った様子だが…マリアの奴に何かあったか? 嫌な予感がする。機動リングには彼らが向かったようだし…僕は奴を問いただそう。 いずれにせよ、どちらもあまり楽しい話ではなさそうだ。 だが、僕もこの歳で探求を終えるつもりはない。結果が出るまではあがいてみせるとしよう。
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・フィール なんかマッチ売りの症状が三択弄す軍団と一緒に脱獄して逃げ込んだって聞いたけど…どこにいるんだろ? おや、アレは英雄リン少尉。新しい依頼ないか聞いて、ついでにまだチョコ残ってないか聞いてみよう。 で、事件に巻き込まれたら、テンペストで対抗!で何とかしよう! ん~……もう、どうしようも無い事が起こったら、み~らくるくる☆マジカルの幸運パワーでご都合主義的解決を目指すしかないね。 ・アルフォリス あー、変な通信きとるの。……何、ユートピア計画(以下略)じゃと!ちっ、この船が墜ちればフィールのふぁんが減るじゃろうが! ……黒幕共、ぶちのめすぞい。さて、肝心の場所にフィールを向かわせるとするかのー。
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参加者一覧
リザルト
失敗だったかも、と【ブレイ・ユウガ】は思った。
同行の【潮綾(うしお・あや)】が、あまり楽しんでいるように見えないからだ。
現在、ここ芸能旅団ミルティアイでは、巨大スタジアムを中心とした野外音楽イベント【ヘブンリー・ロック・フェスティバル】が開催されている。フェスは数年間隔で行われており今年は五回目、過去最大規模で、参加ミュージシャンのリストを眺めるだけでめまいがしそうなほど絢爛たる祝祭であった。本日はその最終日にあたる。
(デートね? デートなのね?)
と言うアニマの【エクス・グラム】には、「いやそんなんじゃなく、たまには綾も賑やかな場所に行ったほうがいいと思って」と、弁明にしても苦しいコメントを口にしながら、ブレイは綾を会場に誘っていた。
到着したときにはすでに、フェス会場どころか、ミルティアイの旅団そのものが高いボルテージに達していた。剃刀のようなギターサウンド、稲妻がすぐ近くに落ちたのではないか、そう錯覚するほどの重低音、これに負けじと客席からも、逆流する滝のようなコーラスが噴き上がっている。
「すごいな!」
日頃ブレイはこういう騒ぎにはあまり参加しないのだが、この環境に包まれるなり、血が沸き立つような思いを抱いた。
「そうね……」
なのに綾のほうは、あまり心を動かした様子がない。むしろ、耳をふさぎたい衝動をこらえているような表情だった。
「音楽とか、あまり聴かないから」
身の置き場がないように、綾はしずしずと歩み始めた。今日も白い着物姿だ。観衆がこぞって着飾っているだけに、そんな彼女はひとり、モノクロームの世界の住人のように見えた。
(ブレイ、綾の好みとか考慮して誘った?)
エクスが非難がましく言う。
「……素直に認める。俺のミスだ」
けど、とブレイは続けるのである。
「花火なら綾も好きだと思うんだ。むしろ花火を見るために、今回は夕方に来場したんだし!」
◆ ◆ ◆
「あー、ほんとサイコー!」
どたっと人工芝に尻餅をつくと、【アリシア・ストウフォース】は首にかけていたタオルで顔を覆った。滝のように汗をかいている。
「アリシアってばエキサイトしすぎよ」
彼女のアニマ【ラビッツ】はあきれ顔だ。
ついさっきまで、アリシアはメロディック・ヘヴィ・メタルバンドのステージ最前列でガンガンに盛り上がっていたのである。大人気バンドゆえステージ前方はまさしく戦場だった。モッシュする者ダイブする者あとをたたぬなか、アリシアはもみくちゃになりながら拳を振り上げまくっていた。
「つきあわされるこっちの身にもなってよね」
ぶーたれながらラビッツは、自分の頭をとんとんと叩く。実体がないアニマとはいえ、たたみかけるような大音量からは逃れられない。しかも今日まで三日連続こんな調子だったのだ。なんだか耳鳴りがするのである。
まあまあ、とアリシアはラビッツをなだめて、
「観たいライブは一通り観たし、あとは花火まで大人しくするからー」
「でも、その花火でまた大騒ぎするんでしょ!」
アリシアは背の翼をひろげてわさわさ、団扇のように扇いで風を起こしている。暑いとき、デモニックという種族は便利なものなのだ。
「ごめん、扇いでて聞こえなかった。なんて?」
「もー! またそうやってごまかす!」
まあそれでも、とラビッツは思う。
やめろとまでは言いにくい。
ライブに夢中になっているようで、アリシアは自分の職務を忘れてはいなかった。ぎゅうぎゅう詰めになるライブは危険と隣り合わせである。失神者が出るたびアリシアは、いち早くかけつけて応急処置を行い、スムーズに救護班に引き渡していたのだった。
その行いは、さすがというか見上げたものというか、とにかく、『アリシアのアニマ』としては誇りに思ったりもする。
そんなこともあるので、いちいち目くじらを立てるのも大人げないというものだ。
「まあいいわ」
ラビッツは言った。
「もうすぐフェスも終わりだしね」
◆ ◆ ◆
春らしく心地よい風が吹いている。
心地よすぎるかもしれない。気味の悪いほどに。癌細胞の転移を患者に告知する医師の、慣れた清潔な作り笑いのような。
「このところナーバスになっているのかもしれない」
つぶやいて、【メルフリート・グラストシェイド】は銀色の髪をかき上げた。
彼はフェスティバル会場にはいない。しかし、ただならぬ胸騒ぎを感じ、エスバイロを駆ってその周辺を航行しているのだった。
「ナーバスになって当然よ」
応じたのは【クー・コール・ロビン】だ。メルフリートにおぶさるようにして顔を寄せる。
「メルフリートは見たんだから、あれを」
もちろん私もね、とクーは空色の瞳を伏せた。
あまりに禍々しい記憶だった。
アビスの底から黒い羊の頭部が、ゆっくりと這い出してくる姿だ。
ふとこのとき、
(……私は……)
声が聞こえた。はっとしてクーはメルフリートから身を離す。
「誰だ」
通信が入ったのだ。か細く、途切れ途切れながら確かに。
(……アニマ。【リリーマルレーン】……す)
知らない名だ。クーを通して回線をひらいたものらしい。音が不明瞭で雑音が多いのは、距離があるためだろうか。
(【ガウリール特佐】……メデナ議長………アに拘束……れました)
大意はわかる。
「ガウリールめ……しくじったのか? まったく政治の世界という奴は」
事故に見せかけアビス領域で、ガウリールと自分たちを葬り去ろうとした黒幕、それが旅団連合【メデナ】の権力中枢であることまではメルフリートも推測していた。ガウリールは中枢に切り込もうとして逆に、まんまと拘束されたということらしい。
(データ……送……)
リリーマルレーンを名乗るアニマが告げると同時に、クーが声を上げた。
「テキストデータを受け取ったわ! これは……!」
データの検討は後でいい、メルフリートは問いかける。
「リリーマルレーン、キミと、その主人はどこにいる?」
しかしそれきり、ぷつりと通信は途切れたのである。
「ダメね、呼び返しにも応じない」
こういう場合、二つの可能性が考えられるとクーは言った。
「リリーマルレーンが通信を拒否しているか。それとも」
半秒だけためらってから、続ける。
「彼女とその宿主(マスター)が、死んだか」
◆ ◆ ◆
スタジアムを丸ごと用いた中央ステージは盛況だが、そこから離れること数百メートルにあるサイドステージも負けてはいない。むしろ先鋭的な音楽はファンは、こちらのほうを好むといえよう。
ステージから離れ飲食ブースに、【羽奈瀬 リン】は席を取った。右手には、汗のようなしずくをうかべるカップドリンクがある。
「リンの好みとは違うんじゃないの?」
ああいう音楽って、と【スピカ】は言った。さっきまでリンは、先鋭的なヒップホップグループのステージを鑑賞していた。
「そんなことないよ。むしろ興味があってね」
「執事さんが聞いたら目を回しそうな歌詞(ライム)だったよね……」
「だからこそ興味がある、とも言えるかも」
とスピカはブラックジョークでも聞いたように笑った。
今日はミルティアイ全体がフェス会場のようなものだ。開放的な服装をした人々が行き交うなか、スタジアム方面に向けて歩き出す。
「散歩して、花火が始まるまで時間をつぶそうか」
しかし間もなく、
「あら? あの人、【ドクター・リーウァイ】じゃない?」
スピカが気付いた。
「フェスティバルに興味あるのかしら?」
長髪に痩身という、仙人みたいな風貌の老科学者リーウァイが、小走りに目の前を横切ったのである。こちらには気がついてない様子だ。
「普通じゃなさそうだね」
リンの顔から笑みは消えている。リーウァイの表情は、高額の宝くじを当てたばかりの人のように不穏だ。少しも幸せそうにも見えないから彼の状況は、宝くじのそれよりなお悪かろう。
すぐにリンは行動を起こした。
「ドクター!」
老博士を呼び止めると強引に並んで、
「こんなところで奇遇ですね! フェスに来たんですか?」
満面の笑顔を見せる。
「いや……私は……」
「もしかして、【フラジャイルのマリア】さんも一緒なんですか?」
「マリアは、いない。私一人だ。ちょっと所用があって……」
「御用が? 何かお手伝いできる事はありますか?」
(……うわぁリン、いつもより三割増しで猫かぶってる)
プライベートモードになったスピカが、口に手を当ててくすくす笑っている。
そんなスピカに構わず、リンはドクターの様子を密かにチェックしていた。鞄など携行品はなく、いつもの薄汚れた白衣姿だが、なぜか彼は白衣の合わせを手で押さえ、そこに右腕を突っ込んでいる。
なにか隠し持っているのか――?
そもそも、口調がまったく訛っていないのもおかしい。ドクターはいつもトボけた口調で「~じゃけん」「~やねんねー」などと謎方言で話すのを好むのだ。明らかに、まともじゃない。
「手伝いはいらない。すまん、行ってくれ」
「ですが、ドクター……」
「行ってくれ」
リーウァイは右腕を、白衣の合わせ目から抜いた。
その細い腕に似合わぬ、重そうな拳銃が握られていた。
「羽奈瀬君、きみは本当にいい子だ。だから頼む! 何も訊かず今すぐ回れ右して自分のマシンに乗り、ミルティアイからできるだけ離れてくれ……!」
◆ ◆ ◆
「フィールよ」
と【アルフォリス】は言った。
「えー?」
自分のアニマの言葉を聞いているのかいないのか、【フィール・ジュノ】はサイリウムを手にしたまま、呆けたような表情で立ち尽くしている。ライブの余韻を味わっているのだ。ちょっと前まで彼女は、アリシアと同じく、中央スタジアムでメタルバンドのライブに没入していたのである。
フィールは熱心な音楽ファンというわけではない。さっきまで観ていたバンドも名前くらいしか知らなかった。観光がてらなんとなく参加しただけのものだが、観てみたらたちまち虜になったわけである。ノリ方なんて知らないから、無闇にサイリウムを振り回してみたという次第だ。
「はー、格好良かったー。特にキーボードのお姉さんが……」
「だから、フィールよ」
「なに?」
「我は訊きたい。なぜにおぬしはステージの上におらんのか、と!」
ぷんすこ、という雰囲気でアルフォリスは頭から湯気を上げている。
「フィールもアイドル、しかも売れっ子じゃ。フェスとなれば主催者側が『どうかご出演を!』とスライディング土下座してくるのが正しい流れじゃろうが。それがなんじゃ、一観客として観るなどと……」
「いやあ、それはないでしょ。動画サイトで一部に知られるだけの地下アイドルだし。そもそも、持ち曲ないし」
「そんな志(こころざし)の低いことでどうする! 曲がない? なら作曲家を誘拐してオリジナルソングを作らせぬか! そしてステージ上で痴態いやパフォーマンスとともに歌えば、次回フェスのトリは確実じゃて!」
「確実じゃないよう。ユウカイ、ダメ、ゼッタイ! あと痴態ってなに!?」
アルフォリスが相変わらずなことを言ってフィールを憤慨させたことがよかったのだろうか。このときフィールはある小集団が、身をかがめながらスタジアムの壁側を移動していくのを目撃したのだった。
「あれ、【ネメシス兵団】じゃない……?」
軍事旅団レーヴァテインの主力にして花形、エリート部隊と呼ばれるネメシス兵団の軍装である。通常時のものではなく、黒い作戦用ウェットスーツだったため、知識がない者であればぱっと見ではそれとわからないだろう。
しかしフィールは知っているのだ。彼女には、他ならぬネメシス兵団の知り合いがいるから。ちょっと自慢でもある。なぜってその知り合いは、ただのネメシス兵団員ではなく、世界的に有名ないわゆる英雄なのだから。
「もしかして【リン・ワーズワース少尉】いたりする?」
ちょっと挨拶してこようかな、とフィールは思った。
フィールがいる場所から、ほんの数十メートル離れた位置。
ぐったりしたように、【スターリー】は座る場所を探しながら移動していた。
「……俺からすれば、拷問だな」
足を引きずるようにして歩いている。
「そうですか? 私は、楽しいですよ」
愉快そうに【フォア】は言うのである。落ち着いた服装を好むフォアとしては珍しいことに、『ヘブンリー・ロック・フェス』と書いたオフィシャルのTシャツ(正しくはその、アニマ用データ)を着ている。スカートもやめてデニム地のハーフパンツだ。
「俺は、部屋で配信された音楽を聴いているほうが好みだ。洗濯機の中みたいな場所で聴いたんじゃ、歌詞もろくに聞き取れん」
「それがフェスの醍醐味じゃないですか」
「酸欠状態で聴くのがか? わざわざ金を払ってまで経験する必要性を感じないな」
といった他愛のない会話を突然、スターリーは険しい表情で中断させた。
「テロ予告でもあったのか」
前方、サングラスをかけた背の低い少尉が、ウェットスーツの部下たちになにか命じているのが見えたのだ。目元が隠れているとはいえ、見る人が見ればすぐわかるだろう。
リン・ワーズワース少尉だ。
待ってください、とフォアが言った。
「テロ予告があったとしたら、もう避難行動が開始されてるはずです」
「だがあの様子は尋常じゃない。パニックになるのを避けるため隠密行動しているのかもしれない」
「この会場が爆破されたら、それこそ並の惨事じゃすまないでしょうね」
「惨事どころか……考えてみろ」
スターリーは言う。
「この会場の真下にはミルティアイの心臓部がある。下手すりゃ旅団ひとつが丸ごとアビスに墜ちるぞ」
言い終えたときにはもう、スターリーはリンに声をかけていた。
「俺だ。笑えない状況にあるようだな。ブロントヴァイレス以来の付き合いだ。俺も噛ませろよ」
リンはサングラスを下げずにスターリーを見上げた。
「あんたたちのうち一人くらいは、気付くだろうと思ってた」
「一人じゃないですよぉ!」
ぴょん、とウサギのようにフィールが飛び込んでくる。
「リン少尉ー、お仕事ないですかー? チョコってまだ残ってますぅ?」
しっ、とリンは口元に人差し指を立てた。
「注目を集めないで」
おっと、とフィールは口をつぐむ。リン・ワーズワースはいわゆるセレブだ。衆目を惹くのはまずいだろう。
リンはささやくような声で告げた。
「……二人に頼みたいことがあるの。付いてきて」
◆ ◆ ◆
(良かった)
というメルフリートの声は、アニマ通信越しでも安堵していることがわかるものだった。
(ロックフェス会場内には、人が多すぎて通信が届かない。ヴァニラビットは今どこにいる?)
「どこ、って」
ぐるりと【ヴァニラビット・レプス】は首を巡らせる。
「クリスマスツリーの中」
「正確には、クリスマスツリー型の要塞内部ですね」
クールに、しかし、一種の可笑(おか)しみを込めて【EST-EX(イースター)】が補足する。
「といっても、我々がクリスマス時に陥落させたあの砦ではありません。もっとずっと小さいものです。ですが『彼ら』はこれが落ち着くようです」
ヴァニラビットが発言を代わった。
「そう、【三択弄す(サンタクロース)団】にはね!」
このとき、ヴァニラビットは単身で空賊団と対面しているのだった。それも、団が即席で創りあげたクリスマスツリー型の砦で。
賊徒はいずれもサンタクロース衣装を着込んでいる。白い付け髭をたくわえたり、トナカイのぬいぐるみを抱いていたりもする。
「ねえみんな、その格好、暑くない?」
すると仁王みたいな形相のサンタが、くわと目をむいて返したのである。
「これが我らの普段着で御座る。ご意見無用に願いたい」
「まあいいけど」
ヴァニラビットが三択弄す団に会いに来た目的、それは、近く起こるであろうアビスとの大規模な戦いに備え、彼らに協力を依頼することだった。なんといってもヴァニラビットは、アビス領域に迫り、そこで起こっている事態を知った数少ない探究者の一人なのである。座して死を待つわけにはいかないわ、と語る言葉には熱がこもっていた。
「味方は一人でも多いほうがいい、ってことでね」
味方は一人でも……ですか、一匹狼気取りだったあのヴァニラが――とイースターは薄笑みを浮かべる。それだけヴァニラビットが成長したということなのだろう。少し、誇らしく思った。
イースターは口を開いた。しかしそれは、ヴァニラビットの成長ぶりを讃えるのとは別の理由によるものだった。
「待ってください、ヴァニラ」
クー・コール・ロビンからデータが送られて来たのだ。
「どうやら、ガウリール特佐がつきとめた情報のまとめのようですね……」
イースターはその内容を明かした。
ヴァニラビットは、えっ、という顔をする。
しばし言葉もない。とてもではないが、本当の話とは思えなかった。
リリーマルレーンというアニマが伝えてきた内容は、メデナ最高議会の幹部らが密かに、一部を除く人類の切り捨てを決断したというものであった。
理想郷、という意味で名付けられたであろう【無何有郷(ユートピア)計画】という名前も皮肉としかいいようがない。切り捨てられる側にとって、理想とはまるで正反対の話なのだから。
大雑把に記せば、計画の全容はこのようになる。
手始めに、現在音楽フェス開催中のミルティアイをアビスに墜とす。
これを機に大量のデマをばらまいて旅団間の不信を高め、ついには旅団間大戦を生じさせる。
そうして大戦で一気に人口が減った頃、成層圏突破能力のある巨大飛空挺で一部人類のみが宇宙に旅立つという。
「法螺話にしても大きすぎる……こんなデタラメ、メデナの偉いさんが本気で考えたりするっての!?」
しかしイースターは冷静だ。眉一つ動かさず、告げた。
「まだ地上があった千年の昔も、人類はしばしば、憶測・流言の類いが原因で戦争を繰り返してきたといいますし、ありえない話ではないと思います。いや、大いにあり得るかと」
でしょうね、とヴァニラビットは嘆息した。
「……だとしたら予想以上に、最悪だわ」
このやりとりは三択弄す団もそろって聞いている。
彼らも驚いたようで、咳の一つも聞こえなくなっていた。
「待ちな」
イヒヒ、と短く笑って、ヴァニラビットに負けぬセクシーな出で立ちをした少女サンタクロースが立ち上がった。通称【マッチ売りの症状】である。今さらだが、変な名だ。
「司法取引ってやつでアタシたちに仮釈放をくれたのはガウリールさ。アタシたちはガウリール個人と契約を結んだだけ。なんでアンタまで信用する必要がある? 組めだのなんだの言うのなら、まずガウリールを連れてきな」
「そのガウリール特佐は、メデナに拘束されたか殺されたか……少なくとも、ここに来ることができる状態ではありません」
木で鼻を括ったようなイースターの口調が気に入らないというのか。あんだとォ、と少女は三日月のような目をした。
「待って」
ヴァニラビットが片手を挙げる。
「三択弄す団長ドン・マッチョーネの意見は?」
「知らねぇのかい? 団長はひとり罪を被って、いまだ獄中にいるんだよ。だから事実上、『元』団長だねェ」
「そう。だったら……」
ヴァニラビットは胸を張り、槍を立てて告げたのである。
「一騎打ちでマッチョーネを倒した私、ヴァニラビット・レプスには、新しい団長になる資格があると思わない?」
何を! とサンタクロースたちが一斉に身を起こした。マッチ売りの症状にいたっては、巨大マッチを取り出して構えている。
しかしヴァニラビットは動じない。そればかりか大きく息を吸うと、クリスマスツリーの壁が吹き飛ぶほどの大声で呼ばわったのである。
「さぁ三択の時間よ! 1つ、アビスに沈む時を待つか? 2つ、メデナに殺されるか? 3つ、私と世界を取るか……選びなさい!!」
◆ ◆ ◆
黒インクを沸騰させたように、疑念の泡が浮かんでは弾ける。
潮綾の行動がおかしいのだ。彼女はフェスがまるで存在しないかのように、落ち着かない様子で会場内を行ったり来たりしていた。
「ちょっと……」
と言ってスタジアムの壁に手を触れたり、
「外、見たいんだけど」
と会場の周囲を、思い詰めたように歩いたりする。そうして、何も告げず爪を噛むのである。
(やっぱ、音楽フェスとか綾には合わないんじゃない? 今からでもいいから景色のいいところに移るとか……)
とプライベートモードで告げるエクスの言葉を「それはいい」と遮り、ブレイ・ユウガは綾に言った。
「綾、本当のことを言ってくれ」
これまでのブレイであれば、この言葉を口にするまではかなり逡巡したに違いない。ところがこのとき、彼は迷わず問いかけたばかりか、さらにこう加えたのだ。
「今日、綾を誘ったのは、気を惹きたいと思ったからだ」
奥手なブレイにはかつてない言動ではないか。綾も驚いたのか、口を半開きにしてブレイを見ている。
(そこまで言っちゃう!? 今日のブレイって……)
エクスは言いかけたものの、口をつぐんだ。
思いだされることがある。いつか読んだ小説を、めくるように。
アビス領域での事件以来、ブレイは塞(ふさ)ぎがちだった。長時間考え込むことや、黙って足元を見つめていることが増えた。いずれもブレイが意図してやっていることではなさそうだ。ただ、気がつけばそうなっていることがしばしばあったのだ。
エクスはその原因を、彼がアビス領域で無意識的に『何か』と接触したせいではないかと考えていた。それは封印していた記憶かもしれないし、未来を示すサインだったかもしれない。あるいは……前世の記憶だったのかも。
いずれにせよアビス領域で得たものがブレイを、いささか積極的にした可能性がある。これがエクスの見立てである。
「はっきり言う。俺は、綾のことを全面的に信頼している。だから綾も、俺のことを信頼してくれ」
隠していることがあるのなら明かしてほしい、そうブレイは締めくくった。
「ブレイ……」
綾はブレイの目を見た。覚悟を決めたように、告げる。
「私、父の起こした剣術道場……撃流(げきりゅう)の門弟、【イワン】に言われていたの。決してこのフェスティバルには近づくな、と。イワンは理由を明かさなかった」
ブレイは言葉もない。イワンのことなら覚えていた。綾の父、潮石舟斎(うしお・せきしゅうさい)に従っていた銃剣使いだ。
綾はなおも言う。
「だからこそ私はここに来た。私の想像通りなら、おそらく最悪の事態になる」
「綾……」
「お願い、ブレイ。イワンを止めて。必要なら殺してでも」
◆ ◆ ◆
「博士、危ないよ。そういうものは」
リーウァイ以上に華奢で美しい腕だったが、その腕は、とても力強くもあった。
リーウァイが構えた銃を、やわらかく上から包み込む。
そして無理矢理ではなく、諭すように、そっと優しく持ち上げた。
「震える手で持っちゃダメ。暴発したら自分もケガしちゃう」
もともと撃つ気はなかったのだろう。ドクター・リーウァイはあきらめたように、銃をアリシア・ストウフォースに渡した。
「ありがとうございます。助かりました」
羽奈瀬リンは微笑した。無論リンも、リーウァイが本当に撃つとは思っていなかった。どうやってなだめ安全に武器を奪うか、それを思案しているところだったのだ。
「ごめんね、割り込んじゃってー」
アリシアは歯を見せて笑った。
「いえ、いいタイミングだったと思います。けど、どうしてここが?」
「スピカさんからラビッツ経由で緊急コールが入って……屋台で休憩でもしようと思って、ちょうど近くにいたのが良かったみたいね」
なるほど、とリンはスピカを振り返る。スピカは、どういたしまして、というように、スカートの両端をもってお辞儀した。
「それはそうと博士、えらく物騒なことになってたけど、どうしたのー?」
「博士は、僕に逃げろとおっしゃいましたね? なぜです?」
リーウァイはうなだれていたが、
「もう隠せんか……」
とつぶやくと、堰を切ったように話し始めた。
ミルティアイの心臓部こと【ヒンメル機動リング】を破壊し、フェスを訪れている観客ごと旅団を葬り去ろうという計画があるということ。
ヒンメル機動リングは巨大かつ堅牢なので、破壊するには効率よく爆弾を仕掛ける必要があるということ。
そして、その黒幕がメデナ最高評議会であることも博士は明かしたのだった。
自分は科学者でありヒンメル機動リングに関する知識も並外れている、ゆえに爆弾を仕掛けるべき場所について明かすよう脅迫されたという。
「でも博士、博士は好きでそんなことをしたんじゃないよね?」
「いま、向かおうとしていた先は機動リングの設置場所だったのではないですか? そうして、その銃で破壊活動を止めるつもりだったのでは?」
アリシアとリンがともに聞こうとしていることは、ひとつだった。
それは、『どうしてメデナ最高評議会に従ったのか』ということ。
「もうわかっとるやろ? じいさん気の毒やからウチが言うわ」
ぽん、とチャイナドレスを着た少女が魔法のように、アリシアとリンの間に現れた。
リーウァイのアニマ【孫娘(ソンニャン)】であるという。
「ソンニャン、しかし……」
リーウァイは止めようとしたが、「ええねん」とソンニャンは彼を退けた。
「もう想像ついとると思うけどな? 【フラジャイルのマリア】はんが、メデナに奪われたんや!」
「トロメイアの言うことを聞くしかなかった……。マリアへの愛着、それはもちろんある。だが本当は私の、科学者の性(さが)がそうさせたのだ」
「どういう意味です?」
「マリアは一千年前の技術が創りあげた魔法生命体【スレイブ】だ。そしてスレイブは、アニマの原型だった。そこまで私はつきとめている! それどころかもう少しで、アニマをスレイブに戻すこと、つまり、アニマに実体を取り戻す技術が完成しそうなのだ……これを途中で断念することなど、科学者として受け入れられるはずがない!」
リーウァイは両膝を地面につき、頭を抱えた。
「私は研究の完成が見たくて、あの女に機動リングの破壊方法を教えてしまった……!」
◆ ◆ ◆
リン・ワーズワース少尉の案内で、スターリーとフィール・ジュノはスタジアム直下にある階段を降り、息を殺しながら奥へと進んでいった。少尉は他の部下を連れていない。ここは三人だけだ。
(あれか)
声を出さず、スターリーは目で少尉に問いかける。
蝋燭の炎がゆらぐように、リン少尉はスターリーにうなずいた。
アルフォリスがフィールをけしかける。
(み~らくるくる☆マジカル、かけとるじゃろ? 幸運パワーのご都合主義で行けぃ!)
もー勝手なことばっか言って、と内心文句を言いながら、フィールは忍び足で近づくと、歩哨に立っている兵を背後から一撃して昏倒させた。
リンはごく当たり前のように言う。
「さっきも言ったように、一部の兵がテロリストに荷担している。問題は忠実な兵とテロリストの区別がつかないこと。いちいち確かめてる時間はない。歩哨は全員この方法で倒していくわ。いい?」
「あいかわらず過激なこった」
スターリーは首をすくめた。しかし、テロリストがヒンメル軌道リングの破壊を目論んでいるとすれば致し方ないだろう。同時に、リンが大規模な作戦行動を選ばない理由も理解できた。
誰が裏切り者かわからないためだ。
◆ ◆ ◆
ヒンメル軌道リングを破壊するための起爆ポイントは南北二カ所ある、それがリーウァイ博士の説明だった。
羽奈瀬リンとアリシア・ストウフォースは博士の手引きでスタジアム地下に潜り、リング南方を目指している。
「ひどいですね……」
リンは目を背けたくなった
道中、複数の死体が散らばっているのを目にした。リングを守る警護兵のものだ。そのことごとくが鋭利な刃物で喉を切り裂かれていた。
しかしアリシアにはアリシアの見地がある。
「諦めないよ!」
彼女はそう言うと、血まみれになっている兵でも構わず脈を取り、心音を調べた。
うち一人については、
「この人助かる!」
と目を輝かせて止血し、応急手当とヒールブラストを施したのである。
「博士、この兵隊さんを外に連れて行ってあげて! 急げば間に合うよ!」
「しかし……」
「どんなときも私は、じんめー救助優先! 後は任せてよ!」
リンが口添えた。
「機動リングまでのルートは、ソンニャンさんからデータをもらいました。戦闘になったとき博士の身が心配です。戻ってください」
戦いになればおそらく、真っ先にリーウァイが危害を加えられるだろう。命をかけて真実を伝えてくれた彼を、喪うわけには行かない。
リーウァイは迷っていたようだが、リン、そしてアリシアを一度ずつ見て確信を得たらしい。うなずいた。
「わかった……任せよう」
「博士、そこは、いつもの調子で言ってほしいわ」
ふふ、とスピカが人差し指を立てた。博士は弱々しく、けれども芯のある笑みを頬に見せた。
「うむ……ほなら頼むでー! 信じとるじゃき!」
ラビッツは目を細めた。いつもの偽方言が、今日はやけにまぶしかった。
銃撃が彼らを襲ったのは、それから十数分後のことである。
立て続けに閃光が奔る。認識したときはもう、着弾していた。
「テロリストたちに追いついたようです!」
物陰に羽奈瀬リンは身を隠す。痺れるような感覚があった。二の腕を押さえると、赤い血がにじんでいる。
「ワタシの目の前で誰かを殺させるようなことはさせないよ」
すぐにアリシアがヒールブラストを施す。
通路の奥に、ヒンメル軌道リングの巨大な高炉があかあかと燃えている。一帯はテロリストに占拠されたものらしく、大量の兵士が死体となって転がっていた。
撃ってくる敵は五人ほどだろうか、一様に黒装束、目は暗視ゴーグルだ。視界の悪さをものともせず、驟雨のように激しく撃ちたててくる。
指揮をとっているとおぼしきは、杉の木のごとく長身の男だった。スキンヘッドだけに、エルフの尖った耳が目立つ。アリシアは確信していた。ゴーグルこそしているものの、かつて潮綾たちといたイワンという男なのは間違いないと。
銃声に負けじとアリシアは声を張り上げた。
「イワンさんでしょ!? 前にワタシたちが助けてあげたの忘れたの?」
すると驚いたことに、はたと銃撃が止んだのだった。
「……覚えている。だから、当てんようにしている」
低い声だった。イワンが話している。
「探究者たちよ、去れ。そして旅団そのものから遠くに逃れよ」
「それで恩を返すつもり!?」
アリシアの言葉を継いだのは、
「ええ、それでは足りないわ。彼らの献身にはね」
少女の、しなる鞭のように鋭い声だった。
綾だ。白い着物姿で歩み出る。彼女を護るように、ブレイ・ユウガがその隣にあった。
「お嬢さん……」
イワンのうなり声が聞こえた。
ブレイが告げる。
「途中、ある人に会ってな。無何有郷計画とやらについて聞かせてもらった」
ブレイはあえて名前を明かさないが、もちろんそれはドクター・リーウァイのことだ。ここで動かなきゃ探究者じゃねえ、と急ぐことで、彼は綾とともにこの場に間に合ったのである。
「致し方あるまい」
イワンが銃剣を水平に構えた。
しかしそのときにはもう、ブレイのダッシュアクセルが発動している。
ぱっ、と銃弾が頬を掠めたが、ブレイはまるで怯まなかった。
「この程度で退くかよ……俺を、なめんじゃねえ!」
◆ ◆ ◆
北方ルートをたどったフィール、スターリー、そしてリン・ワーズワース少尉は、途中の兵たちを速やかに無力化し、ヒンメル軌道リングの可動部分に到達した。
溶鉱炉が燃えているためか明るい。そして、ひどく暑い。
「爆弾は仕掛けられていないようだ……間に合ったか」
「いいえ」
リン・ワーズワースは銃を抜いていた。左右の手に一丁ずつ。
銃口のひとつを、スターリーに。
そしてもうひとつを、フィールに突きつける。
「爆弾は私が持っている。設置を手伝ってもらうわ」
「リ、リン少尉……なに言ってるんですかー? 冗談はよしましょうよぉ?」
「後ろを向いて。それと、両手は頭に」
フィールの言葉を無視し、リンはにこりともせず顎をしゃくった。舌打ちしてスターリーは従った。フィールも続く。
「タイミングが悪いのう……今ちょうど、通信が入ってきおったわ……」
アルフォリスが、苦虫をかみつぶしたような表情で口を開いた。
「無何有郷計画じゃと! ちっ、この船が墜ちればフィールのふぁんが減るじゃろうが!」
アルフォリスは概要を語った。クー・コール・ロビンからもたらされた情報である。
スターリーは皮肉に唇を歪める。
「まさか『救世の英雄』様が、大量殺戮を目論む側に荷担してるとはな!」
「殺戮じゃない。これも『救世』よ……私は、この計画しかないと信じてる。もう、待ったなしの状況よ。丸ごと滅ぶか、わずかな人間だけでも宇宙に託すか」
一緒に行こうよ、とリンは口調を緩めた。
「アビスには勝てないわ。だからこの惑星(ほし)は捨てて、理想郷を探しに行かない? 私は宇宙行きに選ばれた。そして私は、あなたたちを選んだ」
「無何有郷計画ねえ、探究者としちゃ気になるな」
スターリーは言った。
「だがその話にゃ乗れないな。最終世代(ラストエイジ)は彷徨う時代を終わらせるためにいる、宇宙(そら)へ逃げても逃げ続けるだけじゃねえのか? メデナだか何だか知らねえが、話す相手をミスったな」
スターリーの声に籠もる嘲(あざけ)りを意図的に無視し、リンはフィールに呼びかけた。
「……フィールは、来てくれるよね?」
しかしフィールも首を振ったのである。
「私の『フィール・ジュノ』って名前、アルフォリスが付けてくれたんです……だって私には、記憶がないから。ようやくこの名前を世界が受け入れてくれるようになったのに、その世界を棄てろっての、ちょっとキツいです……」
フィールは愛おしいものを抱きしめるように、一言一言を大切にして言った。
「私は、ここに残って世界を守りたい」
「よう言うた! 桃色サービスシーン製造力はまだまだじゃが、フィールもいっぱしの英雄らしくなってきたのう!」
アルフォリスが呵々大笑する。
「私も同じ気持ちです」
フォアの表情には、緊張と決意、その両方が表れていた。
「残念よ……本当に!」
リンは引き金に指をかけた。
続いて起こったのは銃声ではない。もっと大きな音だ。
「発見! 計算通りってやつね!」
突風が吹く。内部の空気が外へ、一斉に流れ始めたのだ。
飛空挺の外装が強引に引き剥がされたのである。
こじ開けられた外装、夕焼けを背景にして、ヴァニラビット・レプスとメルフリート・グラストシェイドが、それぞれのエスバイロとともに姿を見せた。風に煽られ二人とも、髪が後方に激しく暴れている。
「途中のやりとりは、クーを通して聞かせてもらった。リン・ワーズワース、僕たちも二人と同じ考えだ。僕もこの歳で探求を終えるつもりはない。結果が出るまではあがいてみせるとしよう」
「そのためには、手始めにこの陰謀を片付ける! 野郎ども、出番よ!」
叫びざまヴァニラビットがエスバイロに飛び乗ると、外装がさらに剥がれ落ちる。洞窟の入り口になったようなその部分から、わっと声上げ押し入るは、赤、赤、赤、赤い服のサンタクロースたちだ。十数機は下るまい。
「ヴァニラビット新団長の命ずるままに!」
「さあ選択するんだね! 1.投降 2.拘束 3.強行逮捕、のどれが好みだいーッ!」
マッチ売りの症状も、奔馬のようにマッチ箱型エスバイロを駆っている。
「この計画こそが人類最後の希望だというのに……! みんな死にたいの!?」
リン・ワーズワースが号令すると、黒いウェットスーツ姿のネメシス兵団員がどっとせり出してきた。数だけなら三択弄す団よりずっと少ない。しかしその攻撃は冴えており、たくみに攻撃をしのぎ、そればかりか倍以上の反撃を与えている。
理由は、彼我の訓練度の大小だけに帰すことはできまい。
「火器の使用は厳禁だ。ヒンメル軌道リングに爆発が及べば、それこそ連中の狙い通りになりかねない」
自分でもこれが苦しい発言だと、メルフリートは理解していた。ナイフや斧を得意とするサンタも少なくはないが、彼らは普段、マスケット銃やライフルのたぐいを用いるのが主だ。あのマッチ売りの症状ですら、今は手榴弾マッチ『暴』ではなくこれを模したメイスで戦っている。銃器を思うまま使えるネメシス兵団との戦力差は決定的だった。
しかしここでまた、戦況は転換を見る。
「駄目だ……!」
と敵の後方から、にわかに押し寄せる一群があった。
やはりネメシス兵団員だ。イワンの姿もある。
「南方面は崩れた……撤退せざるを得ん」
「破れたの……どうして!?」
リン・ワーズワースは見た。
イワンを追ってブレイ、羽奈瀬リン、アリシアが駆けこんでくるのを。綾の姿もある。綾は敵から奪ったとおぼしきナイフを構えていた。
「おや!? みんなもフェス見物? いや、ヒンメル軌道リング防衛戦の最中かな!? 奇遇ね!」
ヒヒヒと甲高く笑うアリシアは、戦闘でずいぶんとハイになっている様子だ。
「ケガしている人がしたらワタシに言ってね! おっと、これはこれはリン少尉! 少尉も治してあげようか?」
「……いや、ワーズワース少尉が治すべきなのは頭のほうだな」
吐き捨てるような口調でスターリーが言い切る。
「頭? それって……?」
まさか、とスピカは言いかけて口をつぐんだ。いち早く理解したらしく、彼女のマスターのほうは、悲痛な表情をしていた。
「信じたくはない……けど」
羽奈瀬リンにはどうしても、リン少尉が裏切る人間とは思えなかった。しかしこの状況、躊躇している暇はない。キーボードに指を滑らせ、エンコード・アクセスのプログラムを弾き出す。
「少尉……嘘だと言って下さい!」
リンはリンに叫ぶ。同じ名は偶然、しかし同じ志は必然、そう信じていた。それなのに。
「……だって、しょうがないじゃない!」
リン・ワーズワースは目を真っ赤にしていた。涙を流している。それでも、彼女の銃口はまったくぶれることがなかった。
「私は味わったんだから! ブロントヴァイレスの顎に砕かれ、アビスに呑まれるという恐怖と絶望を! みんな、【一度目の記憶】があるでしょ……でもアビスに喰われたのは私だけ! あんなに恐いものはなかった……あの冷たい、音のない闇に同化していく感覚……」
リン・ワーズワースは銃を撃った。乱射した。
「もうあの経験は嫌! 絶対に嫌ああああ!」
「確実に……殺しに来ている!」
火花が散った。メルフリートは確信する。
とっさにクーがエスバイロにシンクロし急旋回してくれなかったら、間違いなく銃弾は自分の額を貫いていたはずだ。
当初優位に見えたネメシス兵団も、探究者たちの活躍で一人また一人と倒れていった。
それでもなお、リン・ワーズワースは撃ち続ける。銃弾が尽きるたびマガジンを装填し、装填しては撃つ。
「しょうがないじゃない! 私は弱い人間! 知ってしまった人間! いくら残忍と言われたって、いくら無慈悲と言われたって、私はユートピアに行くんだから!」
リンは泣いている。泣きながらも、決して銃を放さない。狙いも外さない。
胸を撃たれ、ぎゃっと叫びモヒカンヘアのサンタが自機から落下した。
彼を救うべく手を伸ばしたのは、ころころ太ったヘビー・ウエイトサンタだったが。彼も額を撃ち抜かれ仲間の後を追うことになった。
疾風が、リン・ワーズワース少尉の上を奔った。
「ごめん」
赤い飛沫が散る。
ヴァニラビットの槍だった。飛燕のごとく、リンの真上から一閃したのである。
槍はリンの片頬に深い傷を与えた。それと同時に彼女の右手首を、握った銃ごと吹き飛ばしていた。
何が起こったのか理解できない、という表情のままリンは足を滑らせ、開いた外壁から大空へ落ちる。
血と涙の雫が風に噴き上がられ、宝石のように粒だち、空へと昇っていった。
イワンも大空に身を躍らせた。
「これで終わりではない……!」
しかし彼はその途上、滑り込んできたエスバイロにつかまり、人機一体となって隼のように逃走したのである。
「イワン……!」
綾は追おうとして、腕をブレイに引き留められた。
闇に染まりゆく空が、急に明るくなった。
最初の花火が、空に咲いたのである。
依頼結果