When the DANCE is over桂木京介 GM) 【難易度:普通】




プロローグ


 剣鬼と呼ばれた剣の達人、【潮 石舟斎(うしお・せきしゅうさい)】の最期は謎に満ちたものだった。
 彼は刃の道を邁進したあげく【アビス】に感染、精神の均衡を失い、同じく感染した自分の弟子らと廃墟の街に閉じこもり、探究者たちとの戦いを経て死亡した。
 攻撃を受けて敗れたとはいえ、探究者との戦いに及ぶにあたって、彼は既に自刃していたという話である。
 あらかじめ割腹しておきながら腹部をそれをさらしで巻き、戦いの結果力尽きたのだと。

 ◆◆◆

 石舟斎の事件から約二ヶ月が過ぎた。

 レーヴァテイン精鋭部隊ネメシス兵団のメンバー【リン・ワーズワース】少尉から「ごく内密で」という前提で呼び出しがあった。
 国際アビス対策機構【デレルバレル】の特別作戦室、がらんとした室内にあなたが腰を下ろすと、リンは前置きもせず切り出す。
「デートしてほしいのだけど……」
 えっ! とあなたは仰け反った。
「い、いやいやいやとてもとても!」
 と、バタバタ手を振ったかもしれないし、
「実はその日は祖母が危篤で……」
 と、とっさの(無理のある)言い訳を考えたかもしれない。
 セクハラ? と身構えた純真な少年もいただろう。
 リン・ワーズワースといえば、ブロントヴァイレス戦での国民的英雄とされている。もちろんリン一人の活躍で勝利した戦いではないし、実際はリン以上に勝利に貢献した探究者も少なくなかった。だが精神的支柱を求める世論に迎合したのか、メディアはこぞって彼女を若き英雄扱いし、とうとう一種のセレブに仕立て上げてしまったのだ。
 といっても彼女はアイドル視されるようになったのではない。
 むしろ逆だ。
 メディアは同時にリンについて、『鉄の女』だの『ドラゴンスレイヤー』だの『睡眠時間平均2時間』だのといった虚実ない交ぜにしたおっかないイメージも振りまいたため、いつの間にかリンは『酒は樽ごと飲む』『仕事上のミスがあった男性部下を丸裸で寒空に放り出した』『真剣白刃取りができる』『ノンケでも平気で食っちまう』(どういう意味?)……といった風に、一種の怪物のように怖れられるようになったのである。本人は大変迷惑がっているようだが、事実かどうかは関係なく面白いほうの噂が支配的になるのは、どこの世でも同じことだ。
 なのであなたが、できればご遠慮願いたい、と考えたとしても当然だろう。
 自分の発言が誤解を与えたとすぐに悟ったのか、リンは、
「ち、違うから!」
 慌てて打ち消した。
「相手は私ではなく、【潮 綾(うしお・あや)】よ!」
 潮綾――あなたはその名に聞き覚えがあるかもしれない。
 現在十六歳、長い黒髪と涼やかな瞳が特徴的な少女だ。剣鬼石舟斎の一人娘である。石舟斎の晩年の娘だが、父は綾に世の親のような情愛を示さず、常に弟子として遇したという。
 あの日、彼女もアビス感染して理性をなくし、石舟斎とともに廃墟に立て籠もった。得意武器は鎖鎌で、綾は探究者たちを、一時とはいえ窮地に追いつめるほどの技量を見せた。
 戦いは終わった。石舟斎は斃(たお)れ、綾を含む弟子たちは全員治療を施され理性を取り戻した。
 しかし綾は、その後も心を閉ざしことの真相を明かすことを拒んでいる。罪は許され現在は保護観察の身だが、医師もカウンセラーも遠のけて一言も口をきかないらしい。
「私も何度か会って、なんとか外出の約束を取り付けるところまではいったんだけど……どういう風に扱えば、あの子が心を開くか、皆目見当がつかないのよね……年頃の子って、なにをしてあげれば喜ぶのかなあ」
 自分も二十歳前後のくせして、「私、そういう方面には弱いから」と白状するリンなのである。そのあたりが、自身にまつわる恐ろしげな噂の遠因になっているということまでは意識が向かないようだ。
「だから、そんな彼女の外出に付き合ってほしいわけ。そういうのを『デート』って言うんでしょ?」
 ということなのである。
 ほとんど和服しか持たぬ綾に、冬の洋服を購入してもいいだろう。
 遊園地や食事に連れ出せば、少しは心も晴れるかもしれない。
 楽しく会話して信頼を得て、友達になるという作戦も捨てがたい。
 いや、武術で手合わせ願うのもひとつの方法だ。
 さもなくばいっそ口説くか? 恋はすべてを解決する……とはいかないだろうか。
 
 剣の舞は終わった。
 続くはまた、別の意味で困難な使命となろうか。



解説


 拙作『SWORD DANCER』の続編的エピソードとなります。
 といっても、もちろん『SWORD DANCER』に参加していなくても参加可能です。
 心を閉ざした少女『潮 綾(うしお・あや)』を連れて、デート……というほどではなくても短いひとときを楽しんで下さい。グループを組むのでなければ個別で、1~2時間程度で交代しながら彼女と話したり遊んだり(?)します。
 内容に制限はありませんし、リンの説得が奏効したので綾は大抵のものは付き合います。

 特に思いつかないのであれば、
 ・エスバイロでのツーリング
 ・綾ではなくそのアニマ『寿限無』と会話
 ・遊園地に誘う
 ・ファーストフード(綾は和食以外の食事に慣れていません)でのランチ
 ・クリスマスシーズンに入った商業施設で夜のライトアップを楽しむ
 なんていうのはいかがでしょうか?

 また、裏チョイスとして、「綾と行くための下見」と称して、リン・ワーズワース少尉を連れ出すこともできます。
 (※ただしリンは綾以上に無愛想です)

 綾をまったく無視して、アニマとあなただけでキャッキャウフフするというのもありでしょう。(気になって綾のほうが話しかけてくるかもしれません)

 最終的に綾が心をある程度でも開けば成功とします。

●綾について
 ヒューマンの少女。やや猫目、はっとするほど色白の美少女で和服を着ています。
 基本は無口です。丁寧語は使いません。口を開けば毒舌家だったりするので友達は少なそうです。
 父の死には衝撃を受けているようですが、悲しみを見せることはありません。
 アニマは『寿限無』といい五~六歳の無邪気な少女ですが、綾はアニマともあまり会話しようとしません。



ゲームマスターより


 桂木京介です。お世話になっております。
 以前公開したエピソード『SWORD DANCER』の続編、あるいは後日談とでも言うべきお話です。
 綾に程度感銘を与え、かたくなな心を少しでもひらくことができれば成功と判定しますので、気楽にアクションプランを立ててみてください。

 それではまた、リザルトノベルで会いましょう!
 桂木京介でした!




When the DANCE is over エピソード情報
担当 桂木京介 GM 相談期間 3 日
ジャンル ハートフル タイプ EX 出発日 2017/12/18
難易度 普通 報酬 少し 公開日 2017/12/28

 メルフリート・グラストシェイド  ( クー・コール・ロビン
 ヒューマン | スパイ | 14 歳 | 男性 
僕は先だっての事件は話で聞いただけだ。故に詳しい事は知らん。
だが、潮石舟斎という男の最期には興味がある。

君はなぜかの男が腹を切ってから戦いに挑んだと思う?
ああ、僕は君がその理由については知らない事を前提に聞いている。
実際、聞かされていないのではないか?だが…君なりに分かってはいるのだろう?

これは僕の想像だが、それは己の弱さ故に。されど強くありたかった。
だが、そもそも強さとは何か。敵を屠る力か、或いは屈さぬ心か。
彼は答えを見つけただろうか?


結果として、君や他の弟子はこうして生きている訳だが…
さて、アビスの浸食を食い止める猶予はどの程度だったかな?
迷惑な話だが、それでも彼は結果を手にしたわけだな。
 ブレイ・ユウガ  ( エクス・グラム
 ヒューマン | マーセナリー | 18 歳 | 男性 
まず前の戦いの行為(飛空艇どつき、腹パン、キス未遂)を侘びる
……ここまでやった相手とデートとか拷問か!
おのれガール・オブ・スティール(リン)!

ともあれ服屋へ向かう
金は払うが買い物はエクスに任せる。少なくとも俺のセンスより信用できる
それでも選べというなら割烹着をチョイス
割烹着は和の極致で綾は和服美人。つまりこの組み合わせは必然。偉い人にはそれがわからんのです。料理の腕前は重要じゃない
というわけでぜひ着てみて、どうぞ

別れる時に俺の連絡先とマフラーと手袋を渡す
他に俺に出来る事なんて話し相手ぐらいだが、いつでも気軽に連絡してくれ
マフラーと手袋は侘びとか抜きのプレゼント。今日も寒いし、暖かくした方がいい
 羽奈瀬 リン  ( スピカ
 ヒューマン | ハッカー | 12 歳 | 男性 
目的:ハンバーガーを食べつつ緊張や警戒心をほぐす

実は僕もファーストフード食べた事なくて、良かったら付き合って下さい
僕はダブル……いやお子様用セットでお願いします

これは遠慮したら負けですね。お互い大きく口を開けてがぶっと行きましょう

何も企んではないですよ
僕は一連の件について当事者ではないし
でも身内を亡くされた直後はどうしても気が滅入るし……自分も経験者なので。
だから逆に何もしない、気分転換に誘いたかったんです
ハンバーガー食べたかったのも本当ですけど

口数が少なくても悪くても、嫌われてなければそれでいいです
ハンバーガー美味しかったと思ってもらえればもっと嬉しいです

スピカには目で「ありがとう」と合図
 ヴァニラビット・レプス  ( EST-EX
 ケモモ | マーセナリー | 20 歳 | 女性 
『憂さ晴らしに付き合ってもらえる? いやとは言わせないけど』
『ヴァニラビット・レプス。潮 石舟斎を倒した一人よ』

◆デートコース
エスバイロでツーリング
できればタンデム

◆行動
強引に振り回す感じを意識して、今度はこっちに付き合えと空に誘う。
ツーリングというより、峠攻めという感じのアクロバティックな道程…反感、疑問、軽蔑なんでも顔に出してくれればって感じで。話しかけてくるか、感情を露にするのは待つ。
「腹立たしいのは本当。勝ち逃げされちゃったもの」
「私はあの人の強さに追いつきたい。けど…何も語らずにいっちゃうんだから」
…だから代わりでも、石舟斎の近くにいた綾たちには生きて彼と流派について教えて欲しいと。
 チュベローズ・ウォルプタス  ( ゲッカコウ
 デモニック | マーセナリー | 21 歳 | 女性 
リン少尉から詳しい話は聞いていますが私は潮綾さんとは初対面です。
先ずは彼女に私の事を知ってもらい、出来れば綾さんの事を教えてもらいましょう。

リン少尉から許可を貰い『撃流』の道場跡地や石舟斎様のお墓へ向かいます。

そうして綾さんと話をします。
私はレーヴァテインに住む人達を守りたくて、力を知識をつけようと日々努力していますが立ちふさがる現実の前には力も知識も全然足りません…立ち止まる事はありませんけどね。

綾さんはここでどんな思いを抱いて過ごしていたんですか?…これから抱く思いはありますか?願う望みはありますか?
一人で難しいことがあれば私に手伝わせてください、私にとっては綾さんも守りたい人ですから。
 アリシア・ストウフォース  ( ラビッツ
 デモニック | マッドドクター | 18 歳 | 女性 

参加者一覧

 メルフリート・グラストシェイド  ( クー・コール・ロビン
 ヒューマン | スパイ | 14 歳 | 男性 
 ブレイ・ユウガ  ( エクス・グラム
 ヒューマン | マーセナリー | 18 歳 | 男性 
 羽奈瀬 リン  ( スピカ
 ヒューマン | ハッカー | 12 歳 | 男性 
 ヴァニラビット・レプス  ( EST-EX
 ケモモ | マーセナリー | 20 歳 | 女性 
 チュベローズ・ウォルプタス  ( ゲッカコウ
 デモニック | マーセナリー | 21 歳 | 女性 
 アリシア・ストウフォース  ( ラビッツ
 デモニック | マッドドクター | 18 歳 | 女性 


リザルト


 かつてここに道場があった。
 正確には、今もある。
 焼き目の入った木製の看板には、毛筆体の『撃流(げきりゅう)』という文字を読むことができ、背の高い門は、今なお厳然とした威圧感を帯びている。
 門の内側、玉砂利を敷き詰めた庭も、孤島を模した黒石も、灯籠に生す苔のあざやかな緑にしたところで、往時とさほどの差はないだろう。
 しかし、この場所にはもう魂がない。
 主を喪い門人に去られ、もはやここにあるのは、かつて道場だったというだけの抜け殻にすぎないのだ。
 白みがかった冬の風が吹きつけた。『チュベローズ・ウォルプタス』は我が身を抱くようにして、ぶるっと肩を震わせる。
「今でも」
 彼女のアニマ『ゲッカコウ』が言った。
「綾様は、この場所に暮らしてらっしゃるということでしたよね?」
「と、リン・ワーズワース少尉からはうかがっていますけど」
 チュベローズは見渡す。母屋にも、庭にも人影はない。まるで無声映画のようだ。森閑として音ひとつ聞こえない。
「入ってもよいでしょうか」
 内緒話をするような声でチュベローズが言う。
「良いのではありませんか。おそらく中にいらっしゃると思います」
 安心させるように柔らかな声色で、ゲッカコウはうなずいた。
「でもゲッカコウ、デートと言われてもどうすれば良いんでしょう? ……困りました」
 なるほど、とゲッカコウはチュベローズのためらいを理解する。
「それは仕方ないですね。チュベローズ様はご友人とお出かけしたことすら数えるほどしかありませんから」
「聞くところによると、『デート』というのは単に遊びに行くよりランクが高い行動とのこと……」
 と言い淀むチュベローズの頬が、うっすら桃色に上気しているように見える。一体彼女は『デート』という言葉にどのようなイメージを持っているのか――ゲッカコウは心配になってきた。しかしその気持ちを表に出さず、
「習うより慣れよと申します。それにこの任務は、綾様の心をほぐすことこそが目的、チュベローズ様が硬くなっていてはことは運びませんよ」
 と、ゲッカコウはチュベローズを励ますのだった。
「失礼します」
 開け放しの門をくぐりブーツの踵で玉砂利を踏みながら、チュベローズは奥へ進んだ。
「いらっしゃいますか、綾さん? リン少尉から既にお聞き及びでしょうが、話をしに参りました」
「話?」
 出し抜けに母屋から声がした。
 戸口に、白い着物姿の少女が立っている。まったく気配もなかったというのにそれこそ、暗がりが実体化したように姿を見せたのだった。
 血管が透けて見えるほどに色白、長い黒髪をまっすぐに伸ばしている。前髪はまっすぐに切り揃えられていた。やや猫目の瞳は奥二重で、人工的な、冷たい印象があった。それほど長身ではないのに、すらりとした体型のせいか芦のようなシルエットである。
 ひゃっ、とチュベローズは声を上げそうになり、口元を手指で押さえてこらえた。
「誰?」
 と言う『潮 綾(うしお・あや)』の口調に、挑戦的な気配があった。
 チュベローズは穏やかに告げる。
「初めまして、チュベローズ・ウォルプタスと申します。ネメシス兵団のリン・ワーズワース少尉から命を受け参りました」
 にこと微笑むと、チュベローズは隣に目を向けた。
「こちらは私のアニマ『ゲッカコウ』です。今日はよろしくお願いします」
 値踏みするような不躾な視線が飛んだのであれば、まだチュベローズは対応することができただろう。しかし綾が見せた対応は、それよりもさらに素っ気ないものだった。
「帰って」
 とだけ言うと、ぷいと背を向けたのだった。わざとらしく大きな音を立て戸を閉めようとする。
 戸は途中で止まった。
「待って下さい」
 チュベローズが飛び出し、これに手をかけたのだ。
「どうか、私のことを知って下さい」
 哀願するような目で綾を見る。
「そしてできれば、綾さんのことも教えて下さい」
 綾は、黙ってチュベローズを見た。

 綾が歩いている。
 手に提げているのは水の入った木桶だ。柄杓(ひしゃく)も入っている。
 彼女から数歩遅れて、チュベローズとゲッカコウが従っていた。
 綾はチュベローズを拒絶しなかった。かといって受け入れたというわけでもない。
「これから墓の掃除なんだけど」
 とだけ告げ、簡単に支度を終えると屋敷の裏道を歩き出したのである。
 無言の道中が続いた。
 ゲッカコウが半透明の姿でチュベローズに告げる。
(デートというのは、誘ったほうが話を振るべきものですよ)
 チュベローズもそれは承知の上だ。おずおずと綾の背に問いかけた。
「綾さんは鎖鎌を使っていたと聞きましたが『撃流』は剣術ではないんですか?」
 返事はない。
「私にも習得できますか?」
 やはり返事はない。
「綾さんに教えてもらうことはできますか?」
 同じだ。綾は、耳がないように無視している。
 しかしチュベローズは諦めなかった。灰色の冬空をふと見上げ、こう言ったのだった。
「私はレーヴァテインに住む人たちを守りたくて、力と知識をつけようと日々努力しています。ですが立ちふさがる現実の前には全然足りません……立ち止まることはありませんけどね」
 綾が振り返った。
「ここよ」
 ぶっきらぼうに添う告げると、松の木のそばに立てられた墓石の前で綾は足を止めたのである。真新しい石に、柄杓で水をかけはじめる。
「手伝います」
「結構よ」
 仕方なくチュベローズは立ち尽くした。
 綾は黙ったまま作業を続けていたが、やがて、
「……あなたが強くなりたいのは、他の人のためなの?」
 ぽつりと、こう告げた。
 チュベローズに笑みが浮かんだ。
「はい。人は一人では生きていけない、そう思うからです」
「この人は」
 墓石を冷ややかに見おろしながら綾は言う。
「力を極めることにしか興味がなかった。強くなるのも、全部自分と流派のためだった。門弟を育てたのも『撃流』を絶やさぬため。それだけ」
「そうでしょうか」
「えっ?」
 綾は、今初めてチュベローズの存在に気がついた、というような表情を見せた。
「戦う相手のない、守るべき対象のない強さは、求めても虚しさしか感じないと思います。石舟斎さんが力を極めようとしたのは、アビスと戦うためだったのではないでしょうか」
 静かにチュベローズは息を吸い、続けた。
「なぜって、私だってそうだからです。強くなれる機会があるのなら、私はその機会を逃したくない。でもそれは強さそのものが目的じゃありません。強くなりたいのは守りたいものがあるから…世界を虚無(アビス)から守りたいからです」
 まっすぐな目でチュベローズは綾を見つめ返す。
「これから先、一人で難しいことがあれば私に手伝わせてください。私にとっては綾さんも守りたい人ですから」
「変な人……」
 綾は目をそらした。そうして、ためらいがちに、
「さしあたって今手伝ってほしいのは、墓の手入れかも」
 と、柄杓をチュベローズに差し出したのである。
「喜んで!」
 声を弾ませ、チュベローズはその柄を握った。


 墓参りを終え帰宅した綾は、舞い降りてくるエスバイロの影に気づき空を見上げた。
 餌を前にした猛獣のような重低音、空気を震わす太いエンジンの振動が、手に触れられるほどに伝わってくる。
「憂さ晴らしに付き合ってもらえる? いやとは言わせないけど」
 見上げた姿は淡い日射しながら逆光だ。顔がよく見えない。
 綾の最初に残った印象は、エスバイロに乗る人物の長い耳だった。
 飾りではない。ケモモのウサギ耳だ。黒いマフラーのようにはためいている。
「誰よ」
 綾が鋭い一瞥を向けるも相手はひるまない。むしろ、待ってましたと言わんばかりに堂々述べた。
「レプス、『ヴァニラビット・レプス』。潮 石舟斎を倒した一人よ」
「……実に奥ゆかしい自己紹介ですね」
 腕組みしてヴァニラビットの横に浮いているのは、彼女のアニマ『EST-EX (イースター)』だ。
 冬の空気を暖め、細かな土埃を舞い上げながらヴァニラビットのエスバイロが降りてくる。
「乗って。今日は飛ばしたい気分だから」
「私が従うとでも?」
 棘のある綾の口調も、ヴァニラビットはとんと意に介さない。
「当然でしょ?」
 相手が天動説でも主張しはじめたかというような顔をして、ヴァニラビットは綾に手を伸ばす。
「勝者の権利よ。実は私、けっこう身勝手なの」
 イースターがすかさず口を挟んだ。
「おや? 『実は』という言葉は意外な新事実が発覚したときに使う表現だと思っていましたが」
「相変わらず一言多いんだから!」
 ヴァニラビットが視線を向けたとき、すでにイースターはフフフと笑って蝶のように身をかわし、その先から逃れている。
 ヴァニラビットは綾に向き直ると、もう一度、今度はすぐ綾の眼前に手を伸ばした。分厚い革手袋に包まれた手だ。
「乗るの? 乗らないの? 実は……じゃなくて、フツーに私、待つの得意なほうじゃないから」
「冗談じゃない!」
 綾は言った。
 言ったが、ぐいと引くようにしてヴァニラビットの手をつかんだのである。
 タンデムの状態で綾を乗せ、ヴァニラビットの愛機は大空に舞った。
 そうして一迅の風のごとく、空を二つに両断する。

「しっかりつかまってて。腕を緩めたら安全の保証はできないから!」
 と言うなりヴァニラビットはアクセルを全力で捻った。エンジンはツーバスドラム連打のような爆音を上げ、ロケット噴射のごときバックファイアを吐き出す。平然としていた綾も、これには思わず首をすくめた。
 首をすくめて正解だ。次の瞬間、強烈な重力が綾の身に襲いかかってきたのだから。凍てつくような風が頬を撫でる。
 腰にまわされた綾の腕に、力が籠もるのを感じながらヴァニラビットは振り向いた。
「錐揉み飛行は好き? 宙返りは?」
「好きだと思う!?」
 風音がすさまじいので双方とも叫び声だ。
「良かった! これから両方やるつもりだから!」
 何が『良かった』なのか、と言うより先に、綾が叫んだのはこれだった。
「ちょ……私、着物! 着物姿だから……!」
「だから何!」
「想像し……!」
 綾の声の後半は言葉にならない。
 タオルを振り回しているよう。白い着物は豪快にまくれ上がり、右へ左へローリング、ダイナミックかつ規則的な軌跡を描いて踊り狂った。踊るのは綾の裾だけではない。ウェーブのかかったヴァニラビットの髪も、艶のある綾の髪も、縦横無尽に竜巻を描くのだった。
 そんな二人を、
(燃料の無駄遣いを絵に描いたような飛び方ですね)
 機体にシンクロしたイースターは冷静に評する。
 七連続ループを決めてさすがに目が回ったか、ヴァニラビットは機体を水平に戻し、ゆっくりと空を流した。
 水墨画のような灰色の世界に、ぽつんとふたりきり、置かれたような情景である。後にした旅団は、はるか遠く点のようにしか見えない。
 途中から石のように黙っていた綾だが、落ち着いたのか深く息を吐き出して言った。
「……あなたいつも、こんな飛び方してるの?」
 イースターが現れる。
「その通り、と、言いたいところですが普段はもう少し丁寧ですね、さすがのヴァニラも」
「『さすがの』は余計よ。イースター」
 これは失礼、と言ってイースターは姿を消した。
「むしゃくしゃしてたから。腹立たしくて」
 当然でしょ、とでも言うようにヴァニラビットは言った。
 綾はどうすべきか迷っているようだった。しばらく無言で空に視線をさまよわせていたが、とうとうこらえられなくなったのか、小石でも蹴とばすように言った。
「腹を立てる理由がどこに? さっき、勝者がどうのって言ってなかった?」
「そうね。勝者よ。記録の上では勝ったわ。あの人……潮石舟斎に」
 でも、と一拍おいてヴァニラビットは続ける。
「勝負という意味では、むこうの勝ち。いわば不戦勝よね」
 潮石舟斎は、ヴァニラビットたちとの決戦の時点で『死んで』いた。密かに前もって割腹し、腹部にさらしを巻いたいわゆる陰腹の状態で戦いに臨んでいたのである。戦いの末尾で時間切れが訪れた。膝を屈したとき、石舟斎はすでに事切れていたのだった。
「だから腹立たしいのは本当。勝ち逃げされちゃったんだもの」
 ふたたびヴァニラビットはアクセルを回した。といっても今度は急激な加速ではない。馬でいうギャロップのように、軽やかに機体を前進させる。
「私はあの人の強さに追いつきたかった。けど……何も語らずにいっちゃうんだから」
「そういう人よ」
 綾が口を開いた。自分の父親ではなく、誰か知らない人間の話でもしているように言う。
「何の説明もしない。すべて一人で決める。『あれ』に感染していたときだったとはいえ……陰腹のことだって、一言も洩らさなかった」
 もしかして、とヴァニラビットは言った。
「綾、もしかして、拗ねてる?」
「だ、誰が拗ねてなど!」
 噴飯して両腕を解いた綾であったが、空の上を移動中だと気がついて、すぐにこれをヴァニラビットの腰に戻した。
「誤解よ。ただ、置いていかれた気はしている」
「置いていってもらった、とは考えられないでしょうか?」
 イースターがまた姿を見せ、綾に問いかけた。
「どういう意味?」
「石舟斎様は、綾様たちの感染が取り返しのつかぬ状態になる前に、一人責任を被って亡くなった、ということです。本当に自己中心的な御仁であれば、きっと皆さん門弟を道連れにしたのでは?」
「まさか」
 と綾は口をつぐんでしまった。
「……彼の真意はもうわからない。けど、ひとつ確実に言えることはあるよ」
 ヴァニラビットは声を落として告げる。
「それは、綾たちには生きて、彼と流派について伝えてほしいってこと……なにせ私は、何も教えてもらってないんだからね」
「そんな義務が私にあるとでも?」
「さあ」
 笑みを浮かべてヴァニラビットは言った。
「それは綾、自分で考えてみて。ところで準備はいい?」
「何の準備?」
「もうひとっ走りアクロバット飛行を楽しむ準備!」
「ちょ、ちょっと! さっきも言ったけど……」
 私は着物なんだから! という綾の声はどこにも届くことなく、烈しい風に紛れて消えていった。


「おのれガール・オブ・スティール! 拷問かよ!」
 待ち合わせ場所に向かいながら、『ブレイ・ユウガ』が口走った言葉だ。
「鋼鉄ガール? リン少尉のことね。あはは、言い得て妙」
 ひときしり笑ってから、アニマ『エクス・グラム』は腕組みした。
「でも拷問? 女の子とのデートが?」
 あのなあ、とブレイは眉を『ハ』の字にして言う。
「前の戦いで俺が彼女にやったことを思い出せよ」
「エスバイロで背後からドツいて、腹パンして気絶させたあげく、キス未遂までやらかした……かな?」
「そこまでやった相手とデートとか! 拷問決定だろ!」
「何言ってんの」
 エクスは人差し指を立てた。
「乙女を傷モノにした責任を取るって話じゃない? しっかりおもてなししないとね☆」
「人聞き悪いこと言うな! 傷って、それ物理的な意味だから!」
 とまで言ったところで、見覚えのある姿がブレイの視界に飛び込んでくる。
「次の相手はあんたってわけ」
 刃物みたいな視線をくれながら、衣料品店の前に立っているのは綾だった。美少女ではあるが表情に険がある。はっきり言って、険だらけだ。
「話、続けたら? 私が傷モノで物理的に使い物にならないとか」
「ち、違っ! 俺は!」
 助けを求めるようにブレイはエクスを見たのだが、すでにエクスは「あちゃー、失敗失敗」と言うなりプライベートモードへと変化した。つまり綾には見えない状態になったのである。
 逃げたな! と怒る時間などなく、ブレイは綾と一対一で向き合う体勢になってしまった。
「そんな失礼なことを言っていたわけじゃない。前の戦いで俺、お前に……」
 顔を赤らめ両手を振り弁明しようとする彼を尻目に、
「どうでもいい」
 とだけ告げて、綾は店の自動ドアをくぐったのだった。
 可愛くねぇー! と、ブレイは腹のなかでバーベキューコンロのような炎を吹き上げた。
(お怒りのようねえ)
 からかい気味にエクスが声をかけてくる。
(でもこのくらい当たり前。だってデートは男の甲斐性を見るものだから。遠慮はなしよ☆)
 マジで!? そう叫びたくなるブレイである。
 エクスの言う通りだとすれば、なんと恐ろしいものなのだろう、デートとは!
 そんな任務を命じてくるとは……やはりリンはガール・オブ・スティールらしい。

 二人が訪れたのは大型衣料品店である。いわゆるファストファッションの店、老若男女あらゆる人に向けた服が大量に、しかも安価で売られている。
 綾は白い着物を着ているが、合わせ目はずれ、髪型も心なしか乱れている。さっきまでこの格好でバスケットボールでもしていたのだろうか。そういえば前回も彼女は白の着物だった。和服しか持っていないのかもしれない。
「こないだの侘びだ。何でも好きなものを買うよ」
「お断りするわ」
「そうは言ってもだな。俺にも責任というものが」
「アビスのせいだったといっても真剣勝負だったのだから恨み言はなしよ。私は私で好きなものを買うから」
「失礼だけどお前、もしかして洋装って持ってないんじゃ」
「だからここで買うんでしょう?」
 ああ言えばこう言う、いちいちつっかかってくる綾に、もう放っておいて帰ろうか、という気がブレイに湧き起こってきた。それを見越したように、
(甲斐性甲斐性☆)
 またもやエクスが出てきて耳打ちした。
 そうだ、とブレイはエクスに告げる。
「買い物はエクスに任せる! 少なくとも俺のセンスより信用できるしな」
(なに言ってるの?)
 キョトンとした表情でエクスは言う。
(私はこの子の世話が忙しいから無理よ)
 肩を抱くようにしてエクスは、三つ編みをした五歳くらいの少女を連れてきた。前髪が長くて顔はよく見えない。エクスと同じ半透明体、つまりアニマということだ。
(『寿限無』ちゃんって言うの。綾のアニマなんだって。衣装データを買って、おめかししてあげようと思って)
 寿限無はこくこくとうなずくだけだ。
(だからブレイはブレイで頑張って! 普段言ってるでしょ? 『救えるなら助ける、それが探究者』って。綾の衣装探しを手伝うのも『助ける』ことだと思うよ?)
 そんな殺生な――というブレイのうめきを無視して、エクスと寿限無は姿を消した。

「何?」
 ブレイの視線に気がついて、綾は顔を上げた。
 綾はフリースやイージーパンツを取り体に合わせているが、センスがお婆ちゃんというか、渋い色ばかり選ぶためもあって悲しいほどに似合っていない。
「服、選ぶの手伝うよ。その……困ってるみたいだから」
「どうして?」
 またきた、冷たい口調だ。しかし『助ける』と決めたのだから逃げるわけにはいかない。ブレイは言う。
「客観的な意見があるほうがいいと思うんだ。服選びは」
 ……はねのけるかと思いきや、わずかに逡巡したものの綾はうなずいた。
 十数分後。
「近いイメージから始めたいと思って」
 ブレイが綾にあてがったのは割烹着だった。
 外出着ではもちろんないものの、綾にはよく似合っている。普段の凜然とした雰囲気がぐっと丸くなり、幼妻、なんて言いたくなるような色気もあった。
「割烹着は和の極致で綾は和服美人。つまりこの組み合わせは必然。偉い人にはそれがわからんのです!」
 嬉しくなりつい、ブレイは声を上げていた。
「和服……美人?」
 綾はブレイから目線をそらせた。
「あ、悪気だったり茶化したりしたわけじゃないんだ。思ったことを素直に言っただけというか……」
「そういうの、あまり言われ慣れてないから」
 これ買うわ、と、顔を伏せたまま綾は言った。

 別れ際、綾の手にブレイは、紙袋をひとつ押しつけた。
「途中で買った。これだけはプレゼントさせてくれ」
「戦いの侘びだとしたら、もらう道理が……」
「わかってる。これは侘びとか抜き。クリスマスプレゼントってやつさ。それなら問題ない」
 綾はまた、困ったように目を伏せた。けれど一言だけ、
「……あり、がとう」
 と言ったのである。
 中身は手袋とマフラーだった。それと、ブレイの連絡先を書いたメモ。
「今日も寒いし、暖かくした方がいい。メモはまあ、おまけだ。俺にできることなんて話し相手ぐらいだからな。いつでも連絡してくれ」
「いいとこあるじゃないの♪」
 タイミングを計っていたかのように、ひょっこりとエクスが顔を出した。サンタ帽をかぶっている。寿限無もお揃いにしていた。そして突然、
「じゃ、また会いましょう」
 エクスはブレイの前に出て綾に手を振った。
「寿限無ちゃんとも話してあげてね。私たちは都合のいいデータの塊だけど、主を裏切らないって点だけは信じてもいいと思うわよ?」
 そうしてエクスは、綾の返事も待たずにエスバイロを上空から呼ぶのである。
「はい! これでブレイの出番終了! 帰ろ帰ろ!」
「そんな急ぐなよ!」
 と言うもブレイはエクスにせっつかれ、不承不承機体を上昇させている。
 綾と寿限無が見えなくなったあたりで、ブレイは口を尖らせた。
「せめて別れの言葉くらいちゃんと言わせろよな……」
「わかってないねえ、少年は」
 やれやれ、とエクスは肩をすくめた。
「こういうのはね、名残惜しいくらいにしとくのがいいのよ。メールを出す口実ができるでしょ? 綾に」
 間もなくエクスは彼に、メールが1件到着したと知らせた。


「素敵なマフラーですね」
 はにかんだような笑みを『羽奈瀬 リン』は浮かべた。
 着物にマフラーという組み合わせで綾は立っていた。やや所在なく、どこか暇を持て余した風に。彼女の黒い髪の上に、ひらひらと冷たいものが舞い降りてくる。
「寒いと思った」
 リンは言う。綾の返事を特に期待することもせず、手のひらを空に向け、落ちてきた綿毛のような雪をそっと受け止めた。
 まるで一幅の絵ですね、とリンは思う。
 暮れゆく灰色の空を背景に、たたずむ綾の姿は白い着物に黒髪、このモノクロームな組み合わせのなか、巻いたマフラーのみは目を奪う鮮やかな赤なのである。
「僕は羽奈瀬リンです。アニマのスピカと一緒に、綾さんを食事に誘いに来ました」
「ああ、そう」
 綾は無感動な目をリンに向ける。
「あなたもご苦労なことね。つまらない接待を命じられたりして。会席の店だっけ? もう帰ってくれていいから。少尉には、『楽しかった』と報告しておくわ」
 白い息とともに言葉を吐き出すと、もう綾は背を向け歩き出している。
「会席?」
 リンが首をかしげ問いかけると、『スピカ』が姿を見せてくすくすと笑った。
「もちろん、そんな予約はとっくキャンセルしておいたから。せっかく店をキープしてくれたワーズワース少尉にはゴメンナサイだけどね」
「どういうこと?」
 綾は立ち止まっている。怪訝な目でリンを見た。
「つまらない接待だなんてとんでもない。むしろ僕のほうが楽しみにしているくらいなんです」
 リンは言うのだ。
「今日は綾さんと、どうしても行きたい店があって」
 良かったら付き合って下さい、とリンは頭を下げた。

 ギラギラと輝くネオンサイン、原色のポスターカラーで力の限り描いたような壁のアート、実物を一万倍したような巨大模型が看板から飛び出している。その模型は二枚のパンと、これに挟まれた分厚い加工肉を表現していた。
「ハンバーガーショップです」
 その言葉を口にするだけでリンは、もう夢見心地といった表情だ。 
「ファーストフード、ご存じですか」
 店からは、丸く粒だったサキソフォンの演奏が聞こえてくる。
「知ってる……名前くらいは」
 さすがに予想の範囲を超えていたようで、綾はいくらか気圧され気味だ。
 リンはうなずいて、入りませんか、と綾を誘った。
「実は僕もファーストフード食べたことなくて、良かったら付き合って下さい」
 どうしよう、と言うように綾は口元に手をやった。もう片方の手では、ずり落ちかけたカシミアのマフラーの位置を直している。
「何事も経験、って言わない?」
 ふふ、とスピカが呼びかけたところ、綾はおずおずと一歩を踏み出したのである。
 カウンターにたどり着く。リンは目を細めた。
 明るい。
 目が眩みそうなくらいに。
「ご注文は?」
 呼びかけてくる女性店員の声も、アニメ声優のように突き抜けた明るさがあった。食べたことがない、と綾に言ったのは嘘ではない。リンは緊張で喉の渇きを覚えつつ、
「僕はダブル……いやお子様用セットでお願いします」
 とメニューの写真を指さした。
「私……は」
 リンの背に隠れるようにして、綾はまばたきを繰り返す。メニューを読む目が横滑りしている。無理もない。セットとかオプションとかフレーバーとか、彼女にとっては未知の言語がバラバラと並んでいるのである。
「悩むことないって」
 スピカが助け船を出した。
「迷ったら一番大きい写真のものを選べばいいのよ。『おすすめ』って意味だから」
「じゃ、じゃあそれを……」
 このあとしばし、「ドリンクはどれにしますか?」「ホットですかアイスですか?」「ご一緒にナゲットはいかがでしょう?」といった畳みかけるような店員のコンボ攻撃に、綾はさらなる昏迷に陥ることとなる。

 安っぽいソファ、安っぽいテーブルを挟んでリンと綾は向かい合い座った。
 アニマ用に用意された隣の席では、スピカと寿限無が向かい合っていた。寿限無はなかなか姿を見せようとしなかったのだが、スピカが呼びかけて恐る恐る出てきたのだった。アニマ用にもちゃんと、映像ながらハンバーガーセットが提供されていた。
 寿限無は髪を三つ編みにした少女で、長い前髪に目は隠れてしまっている。ソファに深く腰掛けているせいか、両足は床についていなかった。
「寿限無って、あまり綾と話さないの?」
 スピカが呼びかけると、寿限無は申し訳なさそうにうなだれた。前髪の間から綾を見上げる。といってもスピカの視線に気がつくと、慌てて目を伏せたのだが。
 図星だったようだ。あまり綾とのことには触れないほうがいいのかもしれない。スピカは話題を変えた。
「教えてくれない? 寿限無のこと。好きな物とか、普段何しているとか……」
 すると寿限無は、ぼそぼそと消え入りそうな声で話し始めたのである。
 その頃リンは、音を立ててハンバーガーの紙包みを解いていた。
「わあ、こんな風になってるんですか。温かい」
 食べ方を知らないので包装紙を全部取ってしまう。リンは顔を上げ、ちょうど綾も、ほとんど同じことをしているのを見出した。すなわち彼女もハンバーガーを丸裸にしていたのである。
「これは遠慮したら負けですね。お互い大きく口を開けてがぶっと行きましょう」
「えっ?」
 綾が聞き返したときにはもう、リンは予告を実行している。
 負けじと綾も続いた。
 パンのやわらかな食感を、ぎゅっと厚みのあるハンバーグが追ってくる。肉汁がほとばしり、肉の甘味が口中に広がる。これを盛り立てるのは香辛料と玉葱のハーモニーだ。
「うん、美味しい」
 にことリンは彼女に笑いかけた。うなずきかけたものの、なぜかたちまち綾は仏頂面になる。
「……どういう企み、これ?」
 リンは目を丸くして答えた。
「何も企んではないですよ。僕は一連の件について当事者ではないし」
 もう一口してから続ける。
「でも、身内を亡くされた直後はどうしても気が滅入るし……自分も経験者なので」
 経験者、という言葉に、綾はいくらか意外そうな顔をした。
「そう……それは……」
 言葉を探している様子だ。いいんです、とリンは告げた。
「だから逆に何もしない、気分転換に誘いたかったんです」
「転換、ね」
 綾は、ほっとしたように言った。険しい顔つきは解けている。慣れぬ様子で彼女はストローを使いドリンクを飲んだ。
 これを見て、くすりと微笑するとリンは付け加えるのである。
「ハンバーガー食べたかったのも本当ですけど」
「ほらリン、口にケチャップついてる」
 スピカが手を伸ばしてくる。アニマなので触れられないものの、スピカがなぞってくれた部分をリンは紙ナプキンで拭う。
「……」
 小声で寿限無が何か言った。綾に対して。
 綾は驚いた様子で寿限無を見て、そして、スピカとリンとを交互に見て、それから、
「……ありがとう」
 紙ナプキンで、自身の頬を拭いたのだった。
 リンはこのとき目で、感謝の意をスピカに合図していた。
 寿限無の目の前に置かれたお子さまセット付録の機関車が、ころころと軽く前進した。


 夜の空港。雪は止まない。
 多数の旅客飛空艇が着陸し、あるいは飛び立っていく。いずれも遠目には、帯状に連なった光の塊のようである。
 空港という呼び名はどうなのだろう。この『地』がそもそも超大型飛空艇の上であることを思えば、実のところこれは亀の上に亀を積んでいるようなものに過ぎない。港という表現は一種のまやかしではないか。
 けれども港という言葉がもつ響き、そしてこの眺望に、ある種の切なさ、旅愁のようなものを感じるのはなぜだろう。遠い先祖の記憶がそうさせているのだろうか――。
 窓際のテーブルに頬杖を突き『メルフリート・グラストシェイド』は、そんなとりとめのない思いを転がし続けていた。
 彼と、その正面に座る綾の前には、黒檀のスクウェアテーブルがあるだけだ。といってもテーブルの上には、ひとつずつティーカップが置かれてはいるのだが。
 メルフリートは口を聞かない。カップにも手をつけない。
 綾も、同じだ。
 航空機が飛んでいく。テールランプが遠ざかっていく。
「ちょっと」
 業を煮やしたかのように、『クー・コール・ロビン』が身を乗り出した。
「あのね、名目とはいえデートなんだから……お茶くらいは飲んでもいいんじゃないの?」
 クーはずっと姿を消していたのだが、たまらなくなって出てきたのである。
 そうか、とも言わずメルフリートはカップを手にして一口した。
「愛想なさすぎ……まったく、誰に対しても仏頂面なんだから」
 クーは嘆息するほかない。
 瀟灑なカフェバー、控え目な照明のもと、メルフリートと綾のデートは粛々と行われていた。もっとも、会話もなくただ向かい合って座るだけのものを『デート』と呼んでいいのであれば、だが。
 新たな旅客機が、ゆっくりと降りてくるのが見えた。
 そのときだしぬけに、メルフリートが口を開いたのである。
「僕は先だっての事件は話で聞いただけだ。故に詳しいことは知らん。だが、潮石舟斎という男の最期には興味がある」
 綾は何も言わない。ただ、促すようにメルフリートに目を向けた。
「君はなぜかの男が腹を切ってから戦いに挑んだと思う?」
「知らない」
「ああ、僕は君がその理由については知らないことを前提に聞いている」
 綾は改めてメルフリートを見た。苛立ちを込めた目で。
「実際、聞かされていないのではないか? だが……君なりに分かってはいるのだろう」
「嫌な言いかた、するのね」
 と口では言うものの、綾の口調に嫌悪感はこもっていない。
「これは僕の想像だが、それは己の弱さ故に。されど強くありたかった。だが、そもそも強さとは何か。敵を屠る力か、或いは屈さぬ心か。彼は答えを見つけたのだろうか?」
 綾はそメルフリートの問いに直接答えなかった。ただこう言ったのである。
「……自己中心的な人だった。亡くなって改めて、そう思う」
 だけど、と断って、ようやく綾はカップに口を付けた。
「今日、ある人に教えられた。父は、潮石舟斎は、彼なりの下手なやり方で何かを守ろうとしていたんじゃないか、って」
「そのための強さということか」
 理解できる気がする。メルフリートは組んでいた脚を組み替える。
 また無言の行に入りそうな気配を察して、クーが綾に話しかけた。
「失礼。ご承知かと思うけど、うちの主ってあまりコミュニケーション得意じゃないから……退屈だったら、ごめんね」
「いいえ。悪くないと思ってる。慣れてるし
 と言う綾に無理をしている様子はない。そもそも、気遣って心にもないことを口にするタイプではないだろう。なにが気に入ったのやら、とクーは疑問を感じずにはおれない。
 疑問、というならこれもあった。
「一つ気になるのだけれど、あなた、どうして剣鬼の子なのに鎖鎌使いなの?」
 綾が怒るかも、とクーは一瞬危惧した。
 しかし綾は静かに顔を上げただけだった。
「チュベローズさんにも訊かれたわ。誰もが気になることみたいね」
 彼女にしたのと同じ回答になるけど、と前置きして綾は言う。
「撃流は剣だけを求める流派ではないの。槍術、弓術、あらゆる武器で自分の得手を見つけることを神髄とする……」
 ところが急に興味を失った様子で、綾は投げやりにこう締めくくったのだった。
「と言うのは、誰かの受け売りだけど」
「武芸百般、っていうことなのね。鎖鎌を選んだのはあなた? それともお父上?」
「父」
 見る間に綾は不機嫌そうになる。もう鎖鎌、いや、武術から身を退きたいのだろうか。
 ヤブヘビだったかも、とクーは思った。クーからすれば、メルフリートはお世辞であっても武人と言えるタイプではない。ここで「せっかくだから技を見せて」などと口にしようものなら、ちょっとした残酷ショーが展開される恐れはあった。
 武術関連の話題はもうやめたほうがいい、そう直感している。
 それなのに、クーは言わずにはおれなかった。
「ならば父上が、何のために貴方にその技を授けたのか……考えたことはない? 個人的には、そこに意味はあるんじゃないかと思うわ」
 これが一日の始めの話題であれば、綾はたちまち席を蹴ったに違いなかった。
 しかしチュベローズに警戒を解き、
 ヴァニラビットに心の扉を開けられ、
 ブレイにメールして、
 意外な食事をリンと楽しんだ今の綾には、
 ――小さな変化が訪れていた。
 綾はしばらく黙って、泉のように静かなティーカップの中身を眺めた。そうして、
「……考えてみるわ」
 ややあって彼女は、これだけ告げて息を吐いた。
 綾の回答を評価も否定もせず、ただ受け止めた上でメルフリートは言う。
「彼の行動は、アビスの浸食を食い止めるためだったと僕は思っている。君や、他の弟子に関して。結果として、君や他の弟子はこうして生きている」
「そうね」
 このことについては自身のなかで結論が出ていたのだろう。綾は素直に認めた。
「迷惑な話だが、それでも彼は結果を手にしたわけだな」
 そういう見方もあるのか、とクーも応じている。
「それが優しさなのか、償いなのか。或いは……死者の心って、生きてるものにはわからないものね」
 綾は無言で席を立った。
 さすがに怒ったかしら、とクーは危惧するも、実際は違っていた。
「見たい……飛行機が飛ぶのを」
「空港を見るっていうの? この雪の中を?」
 クーは聞き返す。すでに雪は、目に見えるほど積もり始めていた。外は凍えるほどに寒いことだろう。
「そう。経験のない景色だから」
 このときにはもう、彼女は簡単に襟巻きをしただけで、ガラス戸を押し開けている。雪駄で雪をさくさくと踏みだしていた。
「ちょっと、メルフリート。止めなさいよ、風邪引いちゃうから」
 クーが振り返ると、
「驚いた」
 と、まったく驚いた風のない表情でメルフリートは言ったのだった。
「僕もちょうど同じことを考えていたんだ。彼女と」

 肩や頭に雪がつのっていく。
 吐く息は白い。昼間よりずっと。
 そんななか、メルフリートと綾は肩を並べ、雪中の空港を行き交う飛空艇を眺めていた。
 メルフリートは口をきかない。
 綾も口をきかない。
 ただ黙って、光が降り立ち、また、飛び立つのを見ていた。
 もしかして、とクーは思った。
「似たもの同士、だったりして……」
 それにしても、何が楽しいのだか。


 黒で塗り込められたような空を、道場へと向かう一機のエスバイロがあった。
 操縦桿を握るのは、『アリシア・ストウフォース』だ。後部座席には綾が収まっている。アリシアは、彼女を自宅へ送り届ける役目を引き受けたのだった。
 雪はまばらになったとはいえ、体の芯にしみこんでくるような冷気は同じだ。いやむしろ、時々刻々と増しているように思う。今年の冬は厳しいという噂は本当らしい。
「寒いね」
 とりたてて前置きをすることもなくアリシアは言った。
 その脇につくねんと浮かぶ『ラビッツ』は、心配そうに主を見上げる。アリシアの言葉に自分が「いや本当に凍えるよねー」と答えたほうがいいのか、それともここは、綾の回答を待ったほうがいいのかわからないのだ。
 綾は基本無口で、たまに話しても辛辣だという事前情報があった。だからこそラビッツは悩むのだ。自分がさっと答えて綾の発言を封じてしまうのは失礼だと思うし、かといって綾が毒舌をふるって空気が凍り付くのも怖い――要するに、ラビッツはラビッツなりに気を回しすぎて内心ワタワタしているのだった。
 ところがラビッツの不安は杞憂に終わった。
「……そうね」
 毛糸の手袋をはめ、綾はそう応じたのである。ラビッツは赤い目をぱちくりするほかない。
 アリシアは驚く素振りもなく会話を続けた。
「ところでどうだった? 今日のお出かけは?」
「最初はいらぬおせっかいと思ったわ。度を超したお人好しばかりね、と……けど」
 短く間を開けて、綾は言った。
「いまは、リン・ワーズワース少尉の話に応じて良かったと思ってる」
「それはそれは」
 探求者仲間が褒められるのは嬉しいものだ。誇らしげにアリシアは言う。けれどアリシアは、それ以上胸を張る気持ちにはならなかった。
 でも、と申し訳なさそうにアリシアは言うのだ。
「医師として謝りたい気持ちもあるんだ。石舟斎さんを救えなかったこと……」
「いいえ。アリシアさん。あの人は……救われたと思ってる」
「えっ? でも……」
 綾は夜のように黒い睫毛を伏せた。
「あなたたちに死に場所を与えてもらえた、という意味でも。いずれにせよあの時点で、父の感染状態はもう、取り返しの付かない段階にあったのだから」
「武人としての生き様をまっとうした、ということ……なのかな」
「そう思う」
 だからあなたが気に病む必要はないと告げ、綾はこう言い加えた。
「アリシアさんについても同じ。こんなことで停滞せず、あなたの生き様に邁進してほしい」
 まさか綾に励まされるとは。アリシアは半分驚き、半分、安心した。どうやら綾にとって、充実した一日になったようだ。
「うん! ワタシもワタシの道……医師としての道を邁進するね!」
 夜という海に浮かぶブイのように、道場の屋根が見えてきた。

 



依頼結果

成功

MVP
 ブレイ・ユウガ
 ヒューマン / マーセナリー

 チュベローズ・ウォルプタス
 デモニック / マーセナリー

作戦掲示板

[1] ソラ・ソソラ 2017/12/12-00:00

おはよう、こんにちは、こんばんはだよ!
挨拶や相談はここで、やってねー!  
 

[5] 羽奈瀬 リン 2017/12/17-15:20

さらにギリギリの挨拶になってしまったけれど
ヒューマンの羽奈瀬リンとパートナーのスピカです。よろしくお願いします

僕は綾さんをファーストフードに誘ってのんびりするつもりです
 
 

[4] ヴァニラビット・レプス 2017/12/17-07:21

同じくギリギリになっちゃったけど…ヴァニラビットよ、よろしく。
石舟斎と対決した当人として、何か言わなくちゃ…とは思うんだけど。

…とりあえず、飛んでみようかしら?  
 

[3] ブレイ・ユウガ 2017/12/17-05:57

締切当日に発言するのもなんだが、まあ一応言っておこう
ドーモ、ブレイ・ユウガです

とりあえずエスバイロでどついた挙句腹パン叩き込んだ侘びをしに行こうと思う
……いやほんとなにすればいいんだろうな!  
 

[2] メルフリート・グラストシェイド 2017/12/16-22:49

見覚えのある顔ぶれだが後から来るものもいるだろうから名乗っておこう。
僕の名はメルフリート・グラストシェイド。
各々のやり方はあろうが僕が人の心を動かすとき、言葉以外を用いるやり方を知らん。
故に問うつもりだ、武とは何かを。