リザルトノベル
また春が訪れた。
桜を透かして見る空の青さ。眩しい木漏れ日。春風の香り。
世界は滅亡をまぬがれた。だからまた、春が訪れた。
こんなに嬉しいことはない。
旅団ログロム、その端ぎりぎりの位置だ。刈り込まれた芝地は平らに広がり、満開の桜は両腕を大きくひろげている。
「見ててね!?」
と言うと【スピカ】は、唇をきゅっと噛んでアクセルグリップを握りこむ。前のめりの姿勢、両肩にも力が入りすぎているように見える。
けれどそれを茶化したりせず、
「もちろん」
と【羽奈瀬 リン】は手を振った。リンも自分のエスバイロにまたがり、桜の下で機体を、波間にただようクラゲのようにホバリングさせている。
「じゃあ飛ぶからっ」
なかば宣誓のようにスピカは声を上げ、勢いよくアクセルを回した。
競走馬のようにぶるっと跳ねると、スピカのブリスコラは爆発的な推力を得た。まるでロケット、焼き切れるようなエンジン音とともに飛び出したのだ。風圧を受けてリンの頭上の枝からも、はらはらと桜が舞ったくらいだ。
スピカの発する嬌声というか悲鳴というか、その両方が入り交じったシャウトが駆け抜けてゆく。
乱れた前髪を直しながら、リンは苦笑いするほかない。
――まだまだ危なっかしい……かな。
「スピカ、スピード落として」
リンは通信機に向かって告げた。
「覚えてる? ログロムの外に出ちゃう前にUターンだよ」
以前ならこうした機械を介さなくても会話はできた。スピカに起こった変化は便利なことばかりではないと思う。
「わかった」
ほとんどタイムラグなくスピカの声が返ってきた。
間もなく、すうっと燕のようにスピカのエスバイロは戻ってきたのだった。空中停車の際にややもたつくも、横転する前に踏みとどまった。
「どう?」
スピカは腰に手を当て、フリスビーをキャッチしたシェパードのように胸を張る。
「だいぶ上手になったでしょ? 実体化にも慣れたし」
プラチナ色の前髪が垂れてきたので、話しながらかき上げている。
そう、スピカは実体化したのだ。このところ彼女は、リンの指導を受けエスバイロの操縦を習得しつつあった。
「慣れてきたとは思うけど、油断すると暴走するから気をつけてね」
さっきみたいに、とリンが言うと、スピカはばつが悪そうに自分の唇を指でなぞる。
「あれはたまたまよ。その……リンが熱っぽい目で見てたから」
「僕が? 平熱だと思うよ」
「いやそういう意味じゃなくって」
察してよね、と小声で言った直後スピカは「わっ!?」と大声を上げるはめになった。エスバイロから小鳥のように飛翔しようとしたのだ。実体化した身ではそうもいかない。いささか不格好に尻餅をつく。
「いたたた……」
幸い足元はやわらかい芝生だ。ケガはなかった。
「大丈夫?」
助け起こそうとしたリンの腕が、するりとスピカの腕をすり抜ける。
「……ごめん、今の拍子でアニマに戻っちゃったみたい」
いつもタイミングが悪いのよね、とスピカは唇をとがらせる。
故ドクター・リーウァイがもたらした奇跡、それがアニマの先祖返りだった。フラジャイルのマリアを媒介とする不可視光線が、アニマにスレイブとしての実体を回復させたのだ。
この現象については解明されていない部分が多い。その後も多数の『元』アニマが、ふとした拍子にアニマに戻ってしまったりスレイブに復調したりしており、心許ない状態が続いている。
とはいえリーウァイが遺した論文をもとに研究は続けられていた。『近い将来スレイブとアニマの状態は、アニマ自身の意志で自由に切り替えられるようになるだろう』というのが技術旅団ログロムの科学者たちによる一致した見解である。
「それにしても、エスバイロの操縦って難しいのね……シンクロして操作してたときはそんな風に思えなかった。なかなか上達しないし」
スピカは肩を落とすもリンは首を振った。
「早いほうだと思うよ。僕が覚えたときはもっと大変で、練習のたびに泣いてた」
「泣いてた?」
スピカは意外そうな顔をする。幼き日のリンがベソをかく姿を想像しようとするのだが、なかなかどうして難しい。
「でも今はもう泣かないよ。当主なんだし、ちゃんとしないといけないし」
涼やかな目でリンは言い切る。
そう、ちゃんとしなくちゃ。
ちゃんと生きなくちゃ。
志なかばで、散っていった人たちの分まで。
スピカはまた肉体を取り戻していた。
「見に行かない?」
エスバイロのエンジンをかける。
「見に行く? 何を」
「ログロムの端を」
と言ったときにはもう、スピカは優しくアクセルを回していた。
あと数メートル行けば足元が消失する、というあたりで機体から降りた。
それは羽奈瀬邸の広大な庭の、行き着いた果てでもある。
ログロムの淵を示す旗のように、ここにも桜の樹がそびえ立っている。重々しげに、しかし嬉しげに、あでやかな花を宿すしだれ桜だ。花の色こそ若々しいが、幹は節くれだち、添え木で支えられているかなりの古木だった。もしかしたら地上から植林されたものかもしれない。
スピカは桜に背を預けた。リンも幹に手を当てる。
この樹も、花も、もちろん芝も生きている。それが巨大飛空挺という人工物の上にあるという事実は、どうしても信じがたいものがあった。
空と足場の境界をスピカは眺める。
「あのね教えてもらったの……執事さんから」
陽射しがあたたかくて心地いい。実体を得て嬉しく思ったことのひとつだ。
「NN-0型の私を選んだ理由。なかなか事情を教えてもらえなかった理由も」
かつて出回っていたアニマの大半は、状況適応力に優れたKE-10型や、頭脳労働に秀でたVC4型だった。未成熟なNN-0型は、比較的人気のないアニマと言われたものである。
「どうしてなのか、僕は知らない」
リンは答える。あまり考えたことがなかった、というのが正直なところだった。
「NN-0型の私が選ばれた理由はね、失敗や間違いをおかしてもいい、っていうメッセージだったの。何があっても執事さんたち、つまり大人たちが全力で私たちを守る、って意味」
リンは目を閉じた。
「……そうだった。二年前のあのときも越権覚悟で僕を守ってくれた」
守られていたのだ。いや、今も守られているのだ。
「分かってるつもりだったけど、深いよね、人の思いは」
目を開けたときには、胸がいっぱいになっている。
リンはしばし黙ってしまったが、ここで、
「でも執事さんは『あんなにお転婆だとは思っていませんでしたがっ』って内心思ってるかも」
とスピカが執事の口まねをしたので、ぷっと吹きだしてしまった。
「今頃クシャミしてるかもよ」
ひときしり笑ったあと、リンは訊いた。
「それで、なかなか事情を教えてもらえなかった理由のほうは?」
「あーそっちは……」
しまった、とスピカはこめかみをかく。口が滑ったようだ。
「今はまだ内緒っ」
えー、とリンは言うも、ぼやくよりも『今はまだ』という言葉に望みをかけるほうを選んでいる。
「だったら、いつか教えてくれるね?」
「うん、きっと多分……」
スピカはちょっと気後れ気味だった。
少なくとも今は言えない。恥ずかしすぎるから。
執事は噛んで含めるようにして、スピカにこう言ったのだ。
「当主の、ではなくリン様個人のパートナーでいてもらいたかったからです。
いずれリン様も事情をお知りになるでしょうが、今は他愛のないことで笑いあえる存在でいてほしいのです――」
この話はもう少し、伏せていようとスピカは思う。
だしぬけに強い風が吹いた。
舞い上がった花は、桜色の雪のようにひらひらと大空へ降り落ちてゆく。
桜のゆくえを目で追いながら、リンは言った。
「アビス……リン少尉のところにまで届くかな」
リンはわずかに寂しげな目をしたが、口元はほほえんでいる。
「どうしてうちの家はこんなログロムの端にあって、桜もこんなにあるんだろう、って思っていたこともあるけど……こうして桜の花で、アビスに呑まれた人たちの気持ちを慰めるためだったのかもしれないって、最近は思ってるよ」
「うん」
とスピカは言った。
リンの願い通りであってほしいと思う。
「スピカ」
リンは振り返り、スピカを見る。
「過去の技術はまだすべてが解明したわけじゃない、情報収集も必要だろうし、色々大変かもしれないけれど、これから先も一緒にきてくれる?」
「どこへだってついて行くわよ。ねぇリン……えいっ」
「あれ? 突然体当たりしてきてどうしたの?」
「………っ、なんでもない、なんでもありませんー!」
言いづらい。いや、言えない。この真相ばかりは。
リンの頬にキスしようとしたのに、突然またアニマに戻って、するりすり抜けてしまっただなんて――!
いつもタイミングが悪いのよね、本当にっ。
やはりスピカは、唇をとがらせるほかない。
|
|
スポット:8(桜の季節の自宅。ログロスのギリギリ端の位置にある)
スピカにエスバイロの練習中
だいぶ慣れてきたけど、油断すると暴走するから注意してね
それでも早いほうだよ、僕はなかなか乗れなくて泣いてた
昔はよく泣いてたけど今はもう泣かないよ。当主なんだし、ちゃんとしないといけないし
……そうだった。2年前のあの時も越権覚悟で僕を守ってくれた
分かってるつもりだったけど
深いよね、人の思いは
桜が下へ降っていくね。アビス…リン少尉の所にまで届くかな
どうしてうちの家はこんなログロスの端にあって
桜もこんなにあるんだろう思っていたけど
これならアビスにのまれた人達に届いて寂しい気持ちもまぎれるかもしれないね
これから先
飛空挺技術はまだ全てが解明したわけじゃない、情報収集も必要だろうし
色々大変かもしれないけれど、一緒にきてくれる?
…!?突然体当たりしてきてどうしたの?
スピカが元に戻ったから怪我はないけど
|
|
依頼結果
>>>イベントシチュエーションノベル ページに 戻る